43

どれだけそうしていたのか。

しっかり時間を計っていたわけじゃないから判らないけど、気付いたら太陽がさっきよりも高くなっていた。

不意に茂君が小さくゴメンと言った。
「茂君が謝る事じゃないよ」
「・・・・・・・・・情けないわ」
目尻を赤くして、苦笑混じりに呟く。
「・・・・・・・ったく、泣かんって決めてたんになぁ・・・・・・・・・ヒドいわ」
「俺のせいかよ」
頭をガシガシ掻きながら、照れくさそうにそう言った茂君に、俺は文句を言う。
「・・・・・・・・・達也には言わんといてな」
恥ずかしいから。
苦笑いを浮かべて俺を見た。
「判ってる」
それだけじゃないとは判っていたけど、でも俺は素直に了承した。
「ありがとぉ」
そう言って笑った茂君に、俺は笑い返した。



茂君が笑ってくれたことが嬉しかったし、少し悲しかった。
多分この笑顔はもう何回も見れないんだろうな、という悲壮感と、
あれだけ感情を吐露した後に俺に笑いかけてくれた安心感で、こんな複雑な気持ちになるのかもしれない。



この刹那が止まってくれたらいいのに。


そしたらこの人は俺の目の前からいなくなることはないだろう。



そんな、絶対に叶わないことを考えた。














44

携帯を貸してくれ。
突然茂君はそう言った。
「いいけど」
「悪いなぁ。連絡し忘れとって」
俺が携帯を差し出すと、そう言って苦笑いを浮かべる。
「ちょお待っとって」
そして少し離れた喫煙所に小走りで向かった。

誰にかけるんだろう。

そんなことを思いながら様子を眺める。
笑顔で電話の向こうと会話する茂君がそこにいた。





「もういいの?」
「おん。ありがとな」
「どういたしまして」
戻ってきた茂君はどことなく嬉しそうだった。
「これからどうする?」
言うだろうことは予想がついていたけれど、わざと聞いてみる。
多分、俺の意図が判ったんだろう。
茂君は笑いながら、俺に目的地を告げた。
「この先の街じゃん」
「おん。やから太一が高速乗ってこっち向かって走り始めた時、エスパーかと思ったわ」
苦笑を浮かべながら茂君はそう言う。
「まかせて」
「たまたまなんやろ?」
「実際のところはね」
笑う茂君に、俺も笑って答えた。
「何や自分、調子ええなぁ」
クスクス笑うその姿に、俺は少し調子に乗ったのかもしれない。


こんなに元気な人が、まさか明日をも知れないなんて、誰が思うだろう。


「じゃあ、行こっか」
俺はそう言って、車のロックを開けた。
鍵からの電気信号を受け取って、車はガチャンと音を立ててロックを解除する。
茂君が助手席の扉を開けて、車に乗り込む。

それを確認して、俺は運転席に乗り込んだ。














45

真っ暗な場内で、正面だけが明るく光っている。

『お願いがあるの』

スクリーンの中で有名な女優が言った。








高速をしばらく行った出口で降りた。
この辺りでは結構大きな街。
茂君が指定したのはその駅前だった。
「1時間でいいの?」
俺の言葉に茂君は頷く。
「・・・・・・・・・・1時間潰せって難しいんですけど」
買い物といってもほしいものは今は特にないし、百貨店はあるけど1時間では大して見回れない。
「あ」
頭を掻きながら振り返ると、ちょうどそれが目に付いた。
「2時間半なら時間潰せるよ」
「は?」
「映画館。ほら、そこにあるじゃん」
俺が指差すと、茂君は納得したように声を上げる。
「あそこで映画見てるから、2時間半ぐらいゆっくりしてきて」
「悪いなぁ」
本当に申し訳なさそうに茂君は苦笑を浮かべた。
そして財布から1枚引き抜いて俺に差し出した。
「お礼、っちゅーわけやないけど」
「そんなの要らない」
「高速代やと思ってぇな。今まで全部太一が払ってくれとるやんか」
多分、ここで拒否しても、あっちも譲らないだろう。
俺は黙って受け取った。
「これ。持ってて」
そして俺は自分の携帯を茂君に渡した。
「こっちが終わったら連絡するから」
「判った。ありがとぉ」
茂君はそれを受け取って、じゃあと俺に背を向けた。
彼は大通りを渡って、向かいの歩道を歩いていく。
茶色い壁のビルに消えていく姿を見送って、俺も映画館に足を踏み入れた。

そして、ちょうど良く始まる時間だったのが、この映画だった。








『何だい?』

君のお願いなら何でも聞くよ。

相手の男優がそう言って彼女を抱きしめる。

『お願いだから』

涙ながらに彼女は彼に抱きついた。

『今の私がいなくなっても、私を忘れないで』

『あぁ。きっと守る。絶対に忘れない』

彼の言葉に彼女は泣き始めた。
漏れる嗚咽を覆い隠すように、彼は彼女をきつく抱きしめる。

スカスカの場内に、疎らに座っている客の鼻を啜る声が小さく響く。

でも俺は、感動のシーンのはずなのに、泣けなかった。



だって思ってしまったんだ。





何て残酷な願いだろうって。














46

映画が終わって少しして、電話をかけた。
公衆電話を使ったのはすごく久しぶりなような気がした。

しばらくして、茂君は入っていったビルから出てきた。
その後ろに人がいた。ビシっとスーツを着こなした茶髪の男。
遠いから核心は持てないけど、多分茂君と似たような歳に見える。
茂君が会っていた人だろう。
見送りに来たのか、茂君に向かって笑顔で手を振る。
茂君も笑顔で手を振っていた。

「お待たせ」
「そんなに待ってないよ」
「ありがとな。映画はどうやった?」
「まぁまぁじゃない?」
「さよか」
そんなことを話しながら車に乗り込む。
「アイツ。見たやろ?」
「手振ってた人?」
車がゆっくりと動き出すと同時に、茂君は俺に言った。
「おん。どない思った?」
「どないって、スーツ着て、茶髪だけど、きちっとした人だなって。てか遠くてよく判んなかった」
「きちっと、なぁ」
声に面白そうな音が混じってる。
ちらりと見た横顔は、少し眠たそうだった。

ここ何回か、起きていられる時間が短くなってる。
いつもは3日寝て2日起きて、というリズムだったのに、この間だって24時間ぐらいしか起きてない。
今回は何時から起きてたか知らないけど、まだ24時間は経ってないはずなのに。

「アイツ僕の同級生やねんけどな、昔は不良やってんで?」
「は?あの人が?」
「おん。学ランの裏に龍の刺繍入れてみたりとかしててん。今でも覚えとるわ」
あの派手な柄シャツ。
クスクス笑いながら、懐かしそうに茂君は言う。
「・・・・・・・・・変わっとらんかったわ」
感慨深げにそう呟いた。



「・・・・・・・・・なぁ、太一」
しばらく落ちた沈黙の後に、眠たそうな声が俺を呼んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・何」
「・・・・・・・・・・・・僕のこと、忘れんとってなぁ」

『今の私がいなくなっても、私を忘れないで』

頭の中でさっきの映画の台詞がリフレインする。
「・・・・・・・・・・・・・無理、だよ」
俺は言った。
「俺が事故に遭って記憶喪失になったり、若年性痴呆症になったりしたら、
 俺が覚えていたいと思っても、俺の脳みそは忘れてっちゃうだろ」
「・・・・・・・・・それでもええよ。太一が覚えていられる限りでええねん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・何で俺?」
不意に浮かんだ疑問。
「俺以外に、きっと、いろんな人がアンタのことは忘れないよ。
 アンタほどの作家が忘れられることはないし、作品だって永久に残ってく。
 ・・・・・・・・・・・・・それに、山口君だったら、絶対にアンタのことを忘れない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・せやね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
俺の言葉に、茂君は素直に頷いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・でも、僕は、お前が覚えとってくれたら、それで・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何で・・・・・・・・・・・・もっと、早く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
茂君の言葉はそこで切れた。
助手席をチラリ見ると、すでに夢の世界へ旅立った後だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・酷いね・・・・・・・・・・・・・・・」
そうとしか言えなかった。

忘れないで、なんて、どういうつもりで言うんだろう。

そんなこと言われなくても、忘れることなんて出来ないのに。




・・・・・・・・・・・・・・あぁ、でも




自分がこういう立場だったら、同じことを言うのかもしれない。











ねぇ


置いていかれるのと、置いていくのと、どっちが辛いんだろうね







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