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風が少し強い。
サービスエリアの屋上に作られている展望台で、煙草の煙が風に流れてる。
「禁止なんじゃないの?」
声をかけると、見慣れた背中が小さく揺れた。
「煙草」
「・・・・・・・・・・・えぇやんか。1本くらい」
そう言いながら紫煙を吐き出す。
白いそれは重力に逆らって上り、風に吹かれて消えていく。
それを一通り眺めて、俺は茂君の座っているベンチの対角線上に背中合わせで腰かけた。
「・・・・・・・・・・旨い?」
ポケットに突っ込んでおいた煙草を1本取り出す。
「何が」
カチ、とライターが音を立てた。
「煙草」
2本目の煙を肺いっぱいに吸い込む。
煙草の先が赤く光った。
「旨いで」
不味くはなかったけれど、旨くもなかった。
背後で小さく苦笑混じりのため息。
立ち上がる気配がした。
「・・・・・・・・・・・・なぁ、」
呼びかけられて振り返る。
茂君は手摺の向こうに身を乗り出して、そしてこちらを向いて手摺にもたれた。
「こっから飛び降りたら楽になれるか?」
皮肉混じりの笑みを浮かべた。
一瞬、茂君が何を言ったのか理解できなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう、疲れた」
固まる俺に、茂君はそう言葉を投げかける。
手摺の向こうには何もない。
数十メートル眼下にコンクリートと砂浜。
「・・・・・・・何言ってんの」
くだらない、と言外に意味を込めて言葉を返す。
「死んで楽になれるわけない」
「本当に?」
低く響く無表情な声。
「本当に死んでも楽になれんのか?」
疑問系をとっていても、それは疑問の意味は持ってないんだろう。
「なら、僕はいつまで耐えればええんやろね」
「・・・・・・・・・・・・・・」
俺は何も言えなかった。
この人にはもう、やっぱり死ぬことしか見えてないのかもしれない。
漠然とした、それこそ想像でしかないけど、そんな風に思える。
それが無性に悲しかった。
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「・・・・・・・・・・・茂君は」
風が轟々と音を立てた。
髪が巻き上げられて顔にかかる。
いい加減、切る時期かもしれない。
「茂君はどうしたいの?」
茂君の言葉に何も言えなくて、だからと言って遠回しに訊くこともできない。
そんな術は持ってない。
だから、直球に、訊いた。
「僕は楽になりたい」
茂君はそう即答した。
「痛いのも、苦しいのも、辛いのも、もう要らん。・・・・・・誰かを騙すのも全部抱えて死んでくのも嫌や」
「・・・・・・・・・・・・・・だったら、山口君にだって話せばいいじゃん」
「そう簡単に言うけどな。お前だったら言えるか?
今まで自分を生かすために努力してくれたヤツに、その努力を否定してまうようなことを」
眉間にシワを寄せて、辛そうに視線を伏せる。
「・・・・・・例えば、この状況が何かに対しての罰だったとしたら、僕はどれだけアイツを悲しませれば許される?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「一番辛いのは僕やなくてアイツやで・・・・・・・・・・・・・もうアイツの泣く顔見たないわ・・・・・・・・」
絞り出すように茂君は言った。
見たことない。こんな険しい顔。
この人はどれだけ苦しんだんだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも。
「・・・・・・・・・・・・でも、だったらおかしくない?だって矛盾してるよ、茂君。
悲しませたくないから言わない。でも山口君が渡す薬を飲んで安心させるわけでもない。
結局、山口君は悲しんでるじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ならいっそのこと全部言った方がいいんじゃないの?」
確かに、言ってしまえばさらに山口君を悲しませることになるかもしれない。
今まで以上に苦しめるだろうことは、想像に難くない。
それが出来ないくらい、茂君が優しい人間だってことも解ってる。
けれど、やっぱり言うべきなんじゃないかって思う。
「全部言って、それでみんなでどうすればいいか考えていけばいいじゃん」
頼ってほしい。
1人で悩まないでほしい。
誰かの手を煩わせたくないと思うのかも知れないけど、それは違うと思う。
辛いなら辛いって言ってほしいんだ。
気持ちを押し込めて、黙ってしまわないでほしいんだ。
お願いだから、1人で苦しまないで。
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「・・・・・・・・お前に何が解る」
俺の言葉に、茂君は、怒りを滲ませて呟いた。
「・・・・・・・・・・・・病気でもないお前に僕の何が解んねん。
まだ何年も生きれて何でも好きなこと出来るお前に言われたないわ!」
投げかけられた完全な否定の言葉。
言われてみればそうだ。
俺にはまだ先がある。
何年生きられるか判らないけれど、何だってできる。
茂君の怒りは正しい。
けど、その言い草に、俺は無性に腹が立った。
「・・・・っ何だよそれ!!そっちこそ何を考えてるか言わないくせに!!そんなの解るわけないだろ!!!
それでいて、こっちが想像して言葉かけたら、そうやって返してくんのかよ!!ふざけんな!!」
どれだけ心配したと思ってるんだ。
どれだけ、どれだけ山口君がアンタのために苦しんでると思ってるんだ。
「そうやって屁理屈捏ねてないで言いたいこと言えよ!!!
何で・・・・・・・・・・何でそんなふうに理屈で納得しようとするんだよ!!
理屈で納得できることじゃないだろ!!死ぬんだよ!!?怖くないのかよ!!」
視界が滲んで見える。
茂君の顔が泣きそうに歪んだ。
「俺は怖いよ!俺だったら、アンタみたいに穏やかでいられねぇよ!!
自分がもうすぐ死ぬって考えたら、落ち着いてなんていられるか!!笑ってられるもんか!!
俺だったら、誰かに縋りつきたい!誰かに聞いてもらいたい!怖いって、誰かに助けを求めたいよ!!」
自分がこの世からいなくなる。
そんなの、怖くて堪らない。
考えただけで、途方もなく寂しくなって、泣きたくなるじゃないか。
それが実際に目の前に迫っているのに、何でアンタはそんなに平然としていられるんだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・い・・・・・・・・・」
小さく、声がした。
「・・・・・・・怖くないなんて・・・・・・・・・・怖くないなんてことあるか!!」
突然耳を塞ぐように頭を抱えて、茂君は叫んだ。
「何で僕やねん!!何で僕が30年かそこらで死ななあかん!?
僕だってまだ、やりたいこと、いっぱいあるのに!」
感情的な言葉が溢れ出す。
今まで聞いたことなかった、茂君の本心。
「僕は死にたくない!!」
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「怖い!怖いねん!!寝る時も、このまま目を覚まさなかったらって何度思ったことか!!
誰かに泣きついて、死ぬのが怖いって、お前が言うみたいに全部ぶちまけたら楽かもしれんわ!!
・・・・・・・・・・でもそんなこと言ったって、誰も何にも出来へんやんか!!
僕が泣いて、助けを求めて、それで助かるならどんだけでもやるわ!!
でも山口だって、結局何も出来へんかったやないか!!
僕は死ぬしかないんやろ!?だから山口だってあんな必死になっとんやろ!!?
誰も助けてくれん!!!もう僕には未来がないねん!!!
それを屁理屈で無理矢理納得して何が悪い!?こうやって喚けばお前が助けてくれんのか!!?
そんだけ偉そうなこと言っても、何にも出来へんくせに!!」
爆発したように喚き散らして、茂君は蹲った。
その言葉、全部否定できない。
結局俺は蚊帳の外なんだ。
病気をしてる本人でもないし、それを治すための手段を持っている人間でもない。
何にも、出来ない。
「・・・・・・・・・・・・・ごめん」
自然と、謝罪の言葉が出てきた。
何にも出来ない自分が悔しい。
そこまで考えられなかった自分が悔しい。
「ごめんなさい」
蹲ったまま顔を上げない茂君の傍に近付く。
ぎゅっと縮こまって、周りの全部拒絶して、そんな姿がすごく小さく見える。
半袖の先の腕も、ズボンの裾から少し見える脚も、折れてしまいそうなくらい細い。
いつの間に、こんなに小さくなってたんだろう。
堪らなくなって茂君の横に座る。
その痩せた肩に腕を回すと、小さく、身体が跳ねた。
「・・・・・・・・・俺、ホント何も出来ないね・・・・・・・・・・・・・」
何も出来ないけど、俺は、茂君に生きててほしい。
そう願うのはアナタには負担?
「ごめんね」
でも、願ってしまう。
死なないで
茶色い猫っ毛の向こうから、小さく嗚咽が聞こえた。