30

日が沈んでから、茂君と山口君が帰ってきた。
「おかえり」
暇だったから出迎える。
この間みたいに茂君は寝てはいなかった。
けど、何だかソワソワしているように見える。
「どうしたの?」
「や、達也が・・・・・・・・」
そう言って振り返る。
ちょうど山口君が入ってきたところだった。
「お、ただいま」
山口君は俺の姿を確認すると、にかっと笑った。今日は機嫌がいいみたいだ。
けど。
「どうしたの山口君!!」
俺は思わず声を上げた。
左頬に湿布を貼っていて、口の端も切ったのか、絆創膏が貼ってある。
「あぁ、ちょっとな」
苦笑いを浮かべながら言葉を濁す。
説明は何にもなしで、山口君は台所の方に歩いていってしまった。
「ぎゃー!!兄ぃそれどうしたの!!!!」
台所から松岡の叫びが聞こえた。
「・・・・・・・・・何かあったの?」
呆然としていた茂君に、俺は訊いた。
「さぁ・・・・・・・・・MRIから戻ってきたらああなっとったんよ」
「転んだわけないよね」
「あいつは転ばんわなぁ」
2人で首を傾げる。

何があったんだろう。
あれは殴られたとしか考えられないんだけど。

けれど、何だか山口君の空気が変わったような気がした。
今まであったような重いものがなくなったように思える。

山口君にも、何かあったのかもしれない。


玄関で突っ立ってても仕方ないので、とりあえず茂君とともに居間に向かった。















31

夕飯後、縁側で原稿に目を通していたら、山口君がやってきた。
「飲むか?」
差し出してきたのは缶ビール。
「うん。もらう」
それを受け取って、プルタブを開ける。
ぷしゅっと音がして、炭酸が抜けていった。
山口君は俺の横に腰掛ける。
「あっちーな」
「汗すごいよ」
額から滝のように汗が流れてる。
「新作?」
山口君が原稿を手に取って訊いた。
「うん。来月末ぐらいに書店に並ぶよ」
「へぇ。また小難しいもの書いて・・・・・・・」
「でもおもしろいよ」
「あの人のはよく解らん」
苦笑いしながら原稿をこっちに寄越す。

やっぱり、何か違う。
重苦しいとは感じない。

「坂本に殴られた」
笑いながら、山口君が突然言った。
「え?」
「コレだろ?」
頬のシップを指差して、苦笑する。
「え、あ。うん。そうだけど・・・・・殴られたの?」
「おう。シゲの検査待ちしてたらさ、急に電話かかってきたんだよ。
 今どこにいる、って。で、病院って言ったらアイツ飛んできてさ」
缶ビールを傾けて、一口。
「いきなり一発。受身取れなくて、思いっきり吹っ飛んじまったよ」
「・・・・・・・・・・・・坂本君が!?いきなり!?ウソ!!」
俺は思わず声を上げてしまった。
強面のクセに意外と温厚なあの人が、いきなり殴るなんて、ありえない。
「山口君何したの!?」
「何にもしてねぇよ。でもアイツめっちゃ怒っててさ。怒鳴られちまった」
病院の、待合室で。
そう言って、山口君は何故か笑った。
「・・・・・何て?」
「『お前一人が辛いわけじゃねぇんだぞ!!何で茂君の気持ちも考えてやらないんだ!!
 茂君だけじゃない!!太一だって松岡や長瀬だって、みんな悩んでんじゃねぇのかよ!!
 いい加減にしろよこの野郎!!』」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
山口君はきっと一字一句覚えてるんだろう。
坂本君が言ったという台詞に、俺は呆然としてしまった。














32

「言われなくてもさ」
俺が言葉を失っていると、山口君はそう切り出した。
「解ってたよ。辛いのは俺だけじゃないって。一番辛いのは、シゲ自身だって解ってた。
 でも、解ってたつもりだったんだろうな、ずっと。状況を信じたくなかったのかもしれないけど」
遠く、暗い海を眺めて、自嘲気味に呟いた。
「今思えば独り善がりだったかもな。シゲの気持ちを無視して、勝手に行動起こして。
 俺が、死なせたくないから、治療だって押し付けてた。どうして拒むかなんて考えたこと無かったよ」
「・・・・・・・俺も、一緒だよ」
俺の呟きに、山口君は苦笑を浮かべる。
「・・・・・いきなりの一発は痛かったけど、何か目が覚めた感じだ。
 ・・・・・・・・・坂本に感謝しねぇと。あいつがあんなに怒ったの、久しぶりに見たし」
ビールを飲み干して、缶を潰す。
メキっと音がして、それは簡単に潰れた。
「お前にも、悪いことした」
「・・・・・そんなことないよ。・・・・・・・・俺も長野君に怒られちゃったし・・・・・・・・・」
「長野に?それこそ珍しいな」
「独りで全部背負い込むなって。愚痴ぐらい聞かせてよって、言われちゃって」
「・・・・あいつも変わんねぇな」
山口君は懐かしそうに目を細めた。
「ただ喋っただけなのに、こんなに楽になって、何か変な感じ。状況はぜんぜん変わってないのに」
「何か乗り越えたのかもな、俺もお前も。きっかけは違うけど」
妙にすっきりした表情を浮かべて、山口君は笑った。
「それ、松岡にも言われた」
「あいつらもちゃんと解ってたんだな。何も言わなかっただけでさ。あいつらの方が大人かも」
「・・・・・なんか悔しい・・・・・・・・・・・」
「はは、同感」
俺が眉間にシワを寄せると、面白そうに表情を緩める。
「・・・・・・もう、いいか」
そして、山口君は呟いた。

何がもういいのかは解らなかったけれど、山口君の中で何かがまとまったんだろう。
それが、『乗り越える』と言うことなのかもしれない。

実感はないけど、山口君や松岡の言葉通り、俺も何かを乗り越えたんだと思う。


もう、暗い道も歩いていけるだろう。














33

次の日の19日には、もう茂君は眠ってしまっていた。
次に起きるのは22日あたりだろうか。
よく考えてみれば、前回もまるまる4日間は眠っていた。
ここ最近、急激に、1日単位で彼の睡眠時間は延びている。
もしかしたら、今回は5日間になるかもしれない。

以前、目覚めない時間が一週間になったらもうヤバイという話を聞いた。



リミットが近付いてるのかもしれない。

そんなことを考えて、少し悲しくなった。





『あ、山口君いる?』
昼頃に長野君から電話があった。
「ついさっき海に行っちゃったよ。しばらく帰ってこないと思うけど、どうしたの?」
『やー、ちょっとね、坂本がここで落ち込んでるんだよねー』
長野君が苦笑交じりに言った。
『ほら、山口君から聞いた?殴っちゃったって』
「うん。聞いたよ」
『この人、それがショックだったらしくてさぁ。ご存知の通り、外見に似合わず小心者でしょ?
 人殴ったの初めてだったらしくてね。しかもそれが山口君じゃない。
 もうウザいくらいに落ち込んでるんだよね。だから直接話させようかと思って』
よく聞くとひどいことを言っているように聞こえたけれど、それには触れないことにした。
それにしても、その様子がありありと想像できるのは、何と言えばいいんだろう。
確かに坂本君は小心者というか、すごく優しい人だけど、そんなに落ち込んでるなんて。
それならやらなきゃ良かったのに、と思ったけれど、口には出さなかった。
『・・・・・・・・・まぁ、でもね。坂本の気持ちも解るんだよね』
電話の向こうで苦笑しているのが判った。
『昨日さ、たまたま会ったから、太一のこと言ったんだよ。ああ、何があったかは言ってないよ。
 すっきりしたみたいだよって言っただけなんだけどね。その時に俺余計なことも言っちゃって。
 ・・・昨日、一昨日かな。太一がうちに泊まった時、そっちに電話したら松岡君が出てね。
 不安そうにしてたから、話を聞いたんだ。それを坂本に言っちゃったんだよね、俺』
小さなため息。
『正直なところ焚きつけたんだけど、まさか殴りにいくとは思わなかったなぁ。
 ・・・・・・・すごい怒ってたよ。あんなに怒ったところ初めて見たかもしんない』
「・・・・山口君、感謝しなきゃって言ってたよ。目が覚めたって」
『ホント?それ本人に聞かせてやりたかったよ』
俺の言葉に、長野君は嬉しそうに言った。
『でも、ああいう直球だからこそ山口君に伝わったのかもしれないね』
感慨深げな言葉。
「・・・・・ありがとう」
何となく、そう言いたくなった。
『・・・・・どうしたの?』
「ううん。何となく言いたくなった」
『じゃあ黙って受け取っておこうかな』
クスクスと笑い声が聞こえる。
『良かったね』
「うん」

独りじゃなかったんだなぁ、と、突然に思った。


それだけで、とても温かい気持ちになった。














34

思った通り、茂君は4日では目を覚まさなかった。
山口君が診察していたけれど、特におかしいところはなかったらしい。
もっとも、精密検査をしてみないとはっきりとは言えないそうだけど。
もしかしたらその先も、予想通りになるのかもしれない。
そう考えたら泣きそうになった。
見られたくなくて、部屋でこっそり泣いた。
でも、もう我慢はしなかった。




次の木曜日。
少し早めに帰ってこれた。
松岡もバイトで、長瀬はいなくて。
居間のテーブルの上に、病院に行ってくる、と言う山口君のメモがあった。
時刻は16時になっていたから、七時くらいには帰ってくるだろう。
閉め切られていた縁側の雨戸を開けて、家の中に風を通す。
まだまだ暑いけれど、それでも少しは涼しくなってきてる。
走り抜けていった風が、暑い時に比べると微かに冷たい。

8月も来週で終わる。

「・・・・・・・・・・・・あっという間に夏も終わりだなぁ・・・・・・・・・・」
ポツリそう呟いて、少し寂しくなった。


海が赤く染まる。
少しずつ日が海の向こうに沈んでいく。
今日がまた終わる。


明日は起きてくれるんだろうか。

茂君の声が聞きたくなった。























何となく、早く目が覚めた。
日が出たばかりだった。
水平線の傍で太陽が白く輝いていた。

松岡や山口君はまだ起きてきてない。
縁側の戸を開け放ち、そこに座ってのんびりと海を眺めていた。

ギシリ。

後ろの方で床が鳴った。
振り返る。
そこにいたのは茂君だった。
「おはよう」
俺がそう言うと、茂君は微笑んだ。
「おはよぉ」
いつもの調子で返ってきた。
そして。
「太一」
いつもの調子で俺を呼ぶ。
「お願いがあんねん」
そう言った。














35

車の通りが少ない道を、大半の車が向かう方向とは逆に走っていた。
助手席には茂君がいる。

遠くへ行きたい。
どこでもいいから。

そう言った茂君を、俺は少し迷った後、こっそり家から連れ出した。
もう少ししたら会社に電話をしなきゃいけない。
多分家にも連絡を入れないと、山口君が探し回ってしまうだろう。
ガラス越しに外を見ている助手席の彼の希望を完全に叶えるつもりなら、
どこにも連絡はしなくていいのだけれど、そんなわけにもいかない。
「大丈夫?」
俺は声をかけた。
「おん。大丈夫。薬も飲んだし、眠くもないねん。すっきりしとるわ」
茂君はこっちを向いて笑った。
前の時よりかは顔色は良いように見える。
けれど、痩せたな、と思った。
「エアコン、寒くない?」
「寒ないよ。太一エアコン嫌いやなかったっけ?切ってもええよ」
「まだクソ暑いのに、体力ないアンタが耐えられるわけないでしょ。寝言は寝てから言ってよ」
俺が嫌味を言うと、茂君は笑った。
「すんません」
「で、どこに行きたいの?」
「・・・・・どこでもええねん。海でも、山でも。家から遠く離れた所だったらどこでもええわ」
「遠く、ね」
「そう。遠く」
流れていく景色を遠目に眺めている。
焦点はきっと合ってない。
茂君は、どこか険しい顔をしているように見える。
それはただの無表情だったのかもしれない。
でも、何か思い詰めているように、俺には見えた。

「後で会社に電話するからね。それと家にも」
「え!家には・・・・」
「山口君に説教受けるのはアンタだけじゃないんだよ。
 一報入れておかないと後で殴られるのは俺なんだからね!」
そう言って睨むと、茂君は小さくなった。
「うぅ・・・・・・怒られんのか・・・・・・・」
「そりゃそうでしょ。観念しなさい」
「うるさいわ!」
萎れるその様子に俺が笑うと、茂君は少し不貞腐れた。














36

『そこにいるんだな?』
「いるよ。体調は良いみたいだから、ちょっとお願いを叶えてあげようかと」
電話の向こうから山口君のため息が聞こえた。
『・・・・・・・・・・・すまん。頼んだ』
「うん。無理はさせないから。ヤバそうだったら引き返すし、連絡も入れるよ」
それから二言三言話して、電話を切る。
助手席では茂君が小さくなっていた。
「いいって」
「・・・・・・・怒っとった?」
「呆れてたよ」
俺がため息をつくと、茂君は少しほっとした様子で微笑んだ。
「いいよってさ」
「ええの?」
「ただし少しでも辛くなったら帰るからね。茂君も黙ってないで言ってよ」
「解った」
茂君から了承をもらって初めて車を発進させた。
辛いのを我慢されても困る。
なるべく無理はさせたくないから、そんなに遠くまで行かないようにしなくちゃいけない。

高速に乗って走り出す。
朝早くにしては車が多い気がした。
平日と言えども夏休み中だから出かける家も多いんだろう。
「お腹空いてない?起きてから何も食べてないでしょ?」
「んー、僕はあんまり空いてへんけど、太一は空いてとるやろ?」
「うん」
「やったら次のサービスエリア入ろう。僕ももう1つ薬飲まなあかんから、何か食べるわ」
「OK」
と、普通にスルーしかけて、ある言葉に気付いた。
「・・・・・・・・え?薬?」
山口君の話によると薬は飲んでないはずなのに。
「ちょっと、薬って何の・・・・・・・・・・」
思わず助手席に目を移す。
「太一、前見とらんと危ないで。ほら、サービスエリアの入り口あるがな」
茂君の言葉に慌てて前方に視線を戻した。
そしてウィンカーを出す。
カチカチという音が妙に鮮明に聞こえた。



朝一からどうだろうと思ったけれど、食べたい気分だったからラーメンを頼んだ。
茂君は蕎麦を頼んでいた。
「朝からよぉラーメン食べるなぁ」
「若いからね」
「よぉ言うわ。4つしか離れとらんやないか」
俺の言葉に、茂君は苦笑いを浮かべた。
ちょうど呼ばれる。
「唐辛子とかかける?」
「いや、なしでええよ」
食券を持って受け取りに行く。
丼から湯気が出ていて、冷たいものにしとけば良かったと胡椒をかけながら思った。
「お待たせ」
「ありがとぉ」
差し出したお盆を茂君は笑顔で受け取る。
「蕎麦なんて久しぶりやわ」
そう言いながら手を合わせた。
俺も手を合わせて、いただきますと呟く。
そして一口啜ったラーメンは不味くはなかったけど、熱かった。
やっぱり冷たいものにしておけば良かった。














37

「ねぇ。あのさ」
口の中が空になってから、茂君に話しかけた。
「ん?」
「さっき言ってた薬って何?」
「何って、抗癌剤」
「は?抗癌剤・・・・・・・・・?」
「僕が癌やって知っとるやろ?」
事も無げに、普通な顔をして世間話のように言った。
「いや、確かに知ってるけど・・・・・・・。飲んでないんでしょ?だから山口君とケンカして・・・・・・」
俺の言葉に、茂君は箸を置いた。
「山口がくれた薬は飲んどらんよ」
「・・・・・・・・ちょっと待って。訳解んない。
 山口君が渡した抗癌剤は飲んでないのに、抗癌剤を飲んでるの?」
「せや。重複して薬は飲めんやんか」
「誰にもらったの、その薬」
「東山さん」
それは彼の主治医の名前だった。
「・・・・・・・・・・・・どういうこと?」
「・・・・・・・・・・山口がくれる薬はな、本当に初期に効く薬やねん。でも、僕にはもう、効果はないんよ」
本当に穏やかに、茂君は笑った。
「僕の癌は、本当は進行性で、見つかった時点でもう手遅れに近かったんやて。
 ほら、僕は一辺寝たらなかなか起きれんやろ?やから手術は無理やってん。
 投薬もこんなんやから続けられへんし。放射線も合わんかったらしくてな。
 ・・・・・・・・これも結局気休めなんやけど・・・・・・・・」
そう言ってポケットから取り出した錠剤を見せてくれた。
「達也には初期で、進行性やないって言うてある。
 東山さんにも協力してもらって、あいつを騙しとるんよ。医者やから下手に嘘ついてもバレてまうやろ」
俺は唐突な告白に、言葉を失った。
「・・・・・・・・やからな、達也の薬を飲まんのやなくて、飲めんねん。
 けど、本当のこと言うたら、あいつまた何も出来んって落ち込みよるやろ?
 でも僕が拒否したって理由があれば、あいつも納得できるやんか。
 そういう理由をこじつけるのに都合良く、僕は頑固者て思われとるし」
そして、頭の片隅で、麺が伸びちゃうな、と、思った。
茂君の言葉が理解できなくて、そんな関係のないことが気になってしまう。
いや、理解できないんじゃなくて、理解したくないのかもしれない。
だって、山口君から聞いたこととは全く違うんだ。


そんなこと、思ってもみなかった。


「・・・・・・・・・いきなりこんなこと言うてごめんな」
固まっている俺に、茂君は申し訳なさそうに言った。
「・・・・・・・・それ、本当なの・・・・・・・・・?」
「東山さんが僕に嘘ついてへんならな」
「・・・・・・・・何で黙ってたの・・・・・・・・」
「誰にも言うつもりはなかったんよ。それこそ墓にまで持ってくつもりやった」
「じゃあ何で今言ったんだよ!」
俺は思わず声を上げた。
「そんなの聞きたくなかった!!!」
俺の声は人の少ない食堂の中に響きわたった。
周りの人の視線が向いていたけど、そんなのどうでも良かった。
「・・・・・・・・・・俺はそんな事実知りたくなかったよ・・・・・・・・道化でも構わなかったから、
 茂君がいつか良くなるかもしれないって、希望だけがあれば良かったのに・・・・・・・・・・・」
これじゃあ自分を騙すことも出来ない。
「・・・・・・・・・・・・ごめんな・・・・・・・・・・・・」
俺はそれに、どう答えればいいのかわからなかった。














38

俯いている俺に茂君は何も言わず、蕎麦を半分ほど食べて、散歩してくる、と言って出て行った。
茂君が言ってしばらくして、俺はようやく少し冷めたラーメンを食べた。
少し伸びていたそれは、あまり美味しくなかった。


建物の外に出た。
海沿いだからか、風が微かに潮臭い。
家に比べるとそうでもないけど、それでも気付くのは、
慣れたと言ってもやはり潮風を好きになれないからかもしれない。
何となく口が寂しくて、煙草を買った。
適当な銘柄だから口に合うかは判らなかったけど、この際何でも良かった。
お土産に売られているライターも買って、1本火をつける。
「・・・・・・・・・・・・・不味・・・・・・・・・・・・・・・・」
吸い込んだ煙は煙たいだけで、前吸っていた時のような感じではなかった。

ため息をついてベンチに座る。
遠く離れた垣根の向こうに本線を走るトラックの屋根が見えた。
俺の落ち込み具合に関係なく、それは走り抜けていく。

すごくショックだった。
乗り越えていけそうな気がしたのに、立ち直った途端にこれだ。
神様って奴は俺に試練を与えすぎだと思う。
「・・・・・・・・・・・・・・・・山口君が知ったらどうなるんだろ・・・・・・・・・・・・・」
ポツリ呟いて、ふと思い出した。
「・・・・・・・・・あぁ・・・・・・・・・・・・・・・・」
山口君を殴った後に坂本君が言ったという言葉。
よく考えてみると、茂君は今まで何にも言ってなかった。
茂君の気持ちを聞いてない。
「・・・・・・・・・そうだよね。責めるだけじゃダメだよね・・・・・・・・・・・・・」
独り言ちて、俺は腰を上げた。







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