47

眠ってしまった茂君を隣に乗せて、高速を走る。
太陽は少し傾き始めていた。

まだまだ日は長い。沈む前には帰れるだろう。

そう思いながらラジオをつけた。
スピーカーから軽やかな音楽が流れる。
聴いたことのない歌。
青春を歌ってる。
それはあまりに希望が詰まりすぎていて、少し眩しく感じた。



高速を降りたところで携帯が鳴った。
急いでいるわけでもないので、路肩に寄せて電話に出る。
『太一君?』
「おう。どした?松岡」
『本題に入る前にさ、茂君生きてる?』
「生きてるよ。起きてないけど」
そう答えると、電話の向こうから小さく息をつくのが聞こえた。
「何?」
『いや、長瀬がね』
苦笑混じりに松岡は言葉を濁す。
『帰ってきたら判るよ。で、本題なんだけど・・・・・・・・・・・・』
納得いかなかったが、とりあえず答えた。
まぁ、帰れば判るのなら今すぐ知る必要もないだろう。
『買い物頼んでいい?兄ぃが焼き肉食いたいって言うから。・・・・・・・・あ、でも茂君寝てるんだよね?』
「あぁ、良いよ。たぶん大丈夫。じゃあ買ってくるものメールで送って」
松岡は了解と言って電話を切った。
少しして再び着信音が鳴った。
それを確認して走り出す。
「何だよ、必要と思われる量って」
肉の横に書かれていた量の指示に笑いながら、近くのスーパーに車を止めた。

出来るだけ日の当たらないところでエアコンをかけたまま、茂君を車に残して店に走る。
あまりゆっくりは出来ない。
メールでもらった指示通りにカゴに突っ込んでレジを抜けた。
急いで袋に詰めて車に戻る。
特に何ともないようで、ほっと息をついた。

夏場はこういうところが不便だ。
窓を開け放しても暑いから熱射病になるかもしれないし、そもそも何があるか判らない。
でも、こうやって安心してほったらかしに出来ないのは、何となく寂しい気がした。














48

家に近付く。
見慣れた風景に何となく安堵感を覚えた。
不意に視界の隅に見慣れた陰。
そいつは駐車場の入り口に、膝を抱えて座っている。
俯いているからか、こちらには気づいていないみたいだ。
出来るだけ近付いて、軽くクラクションを鳴らした。
その音にそいつは顔を上げる。
そして勢いよく立ち上がった。
俺が車を駐車場に止めるとそいつは走ってきた。
「太一君!!」
「何してんだよ、長瀬。あんなとこ・・・・・・・・・・・・・」
車から降りて、声をかけた俺の言葉を遮って、長瀬は俺に抱きついてきた。
「何・・・・・・・・・・・」
引き離そうとしたけど、長瀬の手が微かに震えていることに気付いた。
「・・・・・・・・・・・どうした?」
長瀬の腕を掴もうと思って回した手で、そのまま背中を軽く叩く。
長瀬は何も言わずに首を振るだけだった。



少しして、家の中から山口君が出てきた。
車の音がしたのになかなか入ってこないから様子を見に来たらしい。
山口君は長瀬を俺から離して、眠ってしまった茂君を運ぶのを手伝わせていた。
2人が茂君を連れて家に入るのと入れ違いに松岡が出てきた。
「お帰り」
「ただいま。・・・・・・・・・・・・・・何かあった?」
車の後ろから荷物を取り出す松岡に訊く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茂君がいないのに最初に気付いたのが長瀬でね」
少し間を置いて、小さくため息をつきながら松岡が言う。
「太一君もいないしで、アイツ、パニック起こしちゃってさ。
 ま、ちょうどそれを落ち着かせた時に太一君から電話がかかってきたんだけど」
「パニック?何で?」
「怖かったんだって」
松岡が取り出したビニール袋を受け取って、車をロックしながら訊くと、そう答えが返ってきた。
「怖い?」
「そう。・・・・・・・・・・何かね、夢見たって言ってた」
「夢?」
「夢。茂君がいなくなる夢。太一君も一緒に。車でどっかに行って、帰ってこなかったらしいよ」

何て、リアルな。

「それで起きたら茂君いないでしょ。太一君もいないし、車もない。で、パニック起こした、と」
松岡はそう言って肩を竦める。
「・・・・・・・・・・気持ちは解らなくもないけどね」
俺が黙っていると、松岡が口を開いた。
「何だろう。多分長瀬がいなかったら俺も取り乱してたかもしれない、けど・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・こんな事本人には言えないけどさ。俺、あんな風にはなりたくないって思っちゃった」
黄金色に染まり始めた海に視線を向ける。
「・・・・・・・・・・・最悪だよね。大事な人がいなくなってるのに、それよりも自分の体裁が大事なんてさ」
自嘲的な笑みを浮かべて、松岡は眉を下げた。
「ゴメンね。変なこと言っちゃって」
聞かなかったことにしてよ。
それだけ言って、松岡は家の中に戻っていく。
俺は何も言えなかった。

だって、長瀬のように取り乱すことが正しいことで、
松岡のように自分の格好を気にすることが悪いことだなんて、
そんなこと誰が決めれられるだろう。

取り乱すことも、体面を見繕うことも、きっと人間としては間違ってない。


もしも俺だったら、どうしていただろうか。














49

茂君の様子を伝えるのに、山口君と少しだけ言葉を交わした。
そして山口君は、様子を見てくると言って茂君の部屋に行ってしまった。
階段を上がる姿を見送って、俺は縁側に足を向ける。
橙に色を変えた海を、長瀬が膝を抱えて眺めていた。
足を踏みしめると床が鳴る。
その音に長瀬が振り返る。
男前の顔に不安を張り付けて、何とも言えない情けない顔をしていた。
「何情けない顔してんだよ」
長瀬の隣に座って、冗談混じりに声をかける。
「せっかくの男前な顔が台無しになってるぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・・・・・・・・」
声に張りがない。
ショックは大きかったんだろう。
「・・・・・・・ごめんな。メモくらい残しとけば良かったな」
そう謝って、俺は長瀬のもさもさの頭に手を置いた。
「・・・・・・・・・・・・・・茂君、元気でしたか?」
「おう。元気だったよ」
「どこ行ってきたんですか?」
「高速乗って、大きいサービスエリアで飯食って、隣の市の駅前で映画を見てきた」
「どんな映画見たんですか?」
「題はよく分かんないけど、悲恋モノかな」
長瀬は視線を落としたまま訊いてきた。
俺は余分なことは何も言わないで、それにだけ答えた。
「・・・・・・・・・・・・突然いなくならないでください・・・・・・・・・・・・」
最後に、長瀬は小さく、本当に小さく、呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・・解った」
俺はそう答えて、海を見た。

赤く染まった夕日がだんだんと水平線の向こうに消えていく。
1日が終わる瞬間は、長いようで短かった。

日は完全に沈み、その残りの光だけで明るく照らされている海が次第に暗くなっていく。
「長瀬」
背後に人の気配が現れると同時に、その人は長瀬を呼んだ。
「いいよ」
長瀬は走るように二階に消える。代わりにこっちに来る山口君に、俺は視線を向けた。
「・・・・・・・・茂君、何ともなかった?」
「ま、今調べられる範囲では、異常無しってとこかな」
俺の問いかけに山口君はそう答えて、長瀬のいた場所に座った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・良かった・・・・・・・・・・・」
俺はホッと胸を撫で下ろした。
連れ回したせいでどっかがおかしくなってないかとか、ずっと、不安だったから。

そう思ってから気付いた。

長瀬の不安は、これと同じだったのかもしれない、と。














50

暗かった長瀬も、何となく落ち込んでいる様子だった松岡も、
何事もなかったように夕飯の席では笑っていた。

香ばしい匂いが家の中に広がる。
目の前の皿に山盛りに盛りつけてあった肉が順調に消えていっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・いつ見ても見事な食いっぷりだよね・・・・・・・・・・・・・」
半分呆れ混じりに、隣に座る松岡が呟く。
「胃袋ブラックホールなんじゃない?」
俺がそう言うと、松岡は苦笑した。
「これっくらい美味しそうに食べてくれるから、作りがいはあるんだけどね」
そして、松岡は程良い焼き加減の野菜を長瀬の皿にずらしていく。
「マボ、何で俺んとこ入れるの!?」
「お前肉しか食ってねぇだろ」
「キャベツは食べてるもん」
「椎茸食え」
「シイタケは無理!!」
ぎゃいぎゃい騒ぐ2人を横目に、正面の山口君は黙々と肉を食べてる。
食い漏らさないように、俺も自分の分の肉をホットプレートに乗せた。
「あぁ、そうだ。太一。あと松岡と長瀬も」
突然山口君が俺達を呼んだ。
「何?」
俺が返事をすると同時に、松岡と長瀬が騒ぐのを止めてこちらを見る。
「これからは一言、メモでもいいから残しておいてくれ」
焼酎片手に、肉を取りながら山口君は言った。
「・・・・・・・・・・・ごめん」
俺が謝ると、少し困った様子で山口君が頭を掻く。
「いや、そういう訳じゃなくてさ。シゲのこと抜きにしても、
 それぞれが何してんのかを把握しといた方がいろいろと便利かな、と思ったんだけど」
「あ、じゃあアレはどうっすか?ホワイトボード置いといて、誰々仕事とか書いとくの」
山口君の言葉に長瀬が手を挙げた。
「それいいんじゃない?大学の研究室もそういうの入り口に作ってたよ」
それに松岡が賛同した。
同時に、もうすでにどういう物にするかの話し合いが始まっている。
「太一、どうだろう?」
「うん。いいんじゃない?」
山口君の呼びかけに俺は肯いた。
「・・・・・・・・・・・・・・あと、シゲの希望、聞いてくれてありがとな」
そして、急にそんなことを言った。
「俺にはもう、何も言ってくれねぇからさ」
その一瞬、山口君の表情が、本当に寂しそうに見えた。














51

「シゲさ」
夕食が終わった後、ぼんやりとテレビを眺めていた俺に、山口君がそう切り出した。
「何か言ってた?」
「え・・・・・・・・・・・・・」
一瞬、本当のことを言おうかと迷ったのが良くなかった。
「あぁ、やっぱ言ったんだなぁ」
山口君が苦笑いを浮かべる。
「いいよ、言わなくて。多分、太一だから言ったんだろうし」
そう言って、暗い海に視線を向けた。
「ま、隠しておきたいことの1つや2つ、あって当然だよな・・・・・・・・・・。俺にもあるんだから」
小さく、ため息。
そして、少し生まれた間に、俺の口は勝手に動いていた。
「・・・・・・・・・・・・・忘れないでって言われたよ、俺」
何でそれを言ったのかは、瞬間、自分でも解らなかった。
「ん?」
「自分のことを忘れないでって」
実際の声がまだ、頭の中に残ってる。
「無理だって言ったけど、覚えていられる限りでいいからって言うんだ」
何だか無性に泣きたい気分になった。
「・・・・・・・・・・・・・・そんなこと言われなくても忘れるはずないのに・・・・・・・・・・・・・・」
悲しいというよりは、本当のところは重いのかもしれない。
本当は、忘れてしまいたいのかもしれなかった。
「何で俺なんだろう」
ポロリと本音が零れる。
「何で山口君じゃないんだろう」
俺よりも誰よりも、山口君が一番茂君を心配してる。
誰よりも、茂君を理解している人なのに。
「・・・・・・・・・・・俺は傍にいすぎたんだよ」
その言葉に俺は山口君を見た。
「俺は近すぎるんだ、あの人にとって。・・・・・・・・・・・・・・俺が忘れられないことも、
 受け入れられないだろうこともちゃんと判ってる。だから駄目なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「でも松岡や長瀬に背負わせるには重い。きっと2人とも律儀に約束は守るだろうけど、違う」
「・・・・・・・・・・何、が?」
「シゲにとって、お前は特別なんだと思う」
「特別・・・・・・・・・・・・・」
「俺みたいに一緒にいて当然な奴でも、松岡と長瀬みたいに慕ってくるでもない。
 ・・・・・・・・・あぁ、確か『明らかな敵対心を持って否定してくる』って言ってたかな。
 とにかく、お前は違うんだよ。あの人の中での位置が」
悔しいことにね。
ポツリ呟いた山口君は、一瞬寂しげな表情を浮かべたが、苦笑して缶ビールを呷る。
「・・・・・・・・・・・・・俺、何にもしてないよ?」
「俺に判るのはその程度だよ。後は本人に訊くんだな」
意地悪な笑顔で、山口君は俺を見た。
悔しさの腹いせか、と内心毒づきながらも、でもそれは嫌味ではなかった。


あの人の中で自分が特別なところにいる、というのは嬉しい。

今の状況じゃ、少し重いな、と、思ってしまうけれど、でも、




俺は、あの人が期待するような存在で在り続けられてるんだろうか。







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