9

「じゃ〜ん、今日は太一君の要望によりスープカレーです!」
5人全員揃ったダイニングに鍋2つと炊飯ジャーを持ってきて、松岡が言った。
「俺カレーなんて言ってないけど」
「確かに辛いものって要望だけだったけどね。
 でも4日も飲まず食わずで寝てた人がいるから、胃にもたれないモノにしなきゃいけないじゃない」
松岡の台詞に茂君が照れて苦笑い。
皮肉に見えて、松岡は松岡なりにちゃんと彼の身体を気遣っているのだ。
「ちなみに時間があったので辛口甘口2種類作ってみました。
 ご飯もいっぱい炊いたし、兄ぃも長瀬も遠慮せず食べてよ」
「お、気が利くね」
「俺くらいになると、これくらい当然でしょ」
長瀬が注文した、甘口大盛りを皿に盛り付けながら松岡が胸を張る。
「あ、茂君はどうする?」
「僕辛口で頼むわー。少な目でええで」
「了解」
テキパキと準備していく姿に、すっかり家政夫だな、と俺は思った。
元々料理は好きだったみたいで、ここ半年ぐらいで一気に腕を上げた。
まぁ、ここには食べる専門ばかりだから必要に迫られたのかもしれないけれど。



「あ、そうだ。シゲ、明日東山さんとこ行くから」
突然山口君が言い出した。
東山さんとは山口君の先輩で、茂君の主治医でもある。大学病院の教授らしい。
「?検診やっけ?」
「ちょっと早いけど、俺明日休みだし」
「今日も休みやなかった?」
サーフィンやっとったやん、と茂君が言うと、山口君は苦笑した。
「ほら、うちの病院海近いでしょ?だから夏場は浜辺で医務所みたいなことするの。
 熱射病とか日射病とか、怪我も多いからね」
だから海の家と兼業でやってんの、と律儀に説明する。
「まぁ、今日は長瀬も松岡も出てたから休みにしたけど」
「で、休憩時間にサーフィンしてたんだよね」
「そういうこと」
そこでちょうど松岡が席に着いた。
「じゃあ食べようか」
この家では、『いただきます』は、家にいる全員ですると決まってる。
茂君は例外が認められてるけれど、起きてる時は必ず顔を出す。
それは茂君がこのルールの言い出しっぺだからだ。
締め切りが近くても、彼は絶対に破らない。だから皆もここにいる時は必ず守ってる。
誰も文句は言わない。それがとても大切なものだと解ってるから。














10

「あのさ」
不意に松岡が口を開いた。
「茂君て、もしかして締め切り迫ってたりする?」
「んー?一応明日やけど、もう終わったで」
「もう出来たの!?」
俺が驚いて声を上げると、茂君は誇らしげに胸を張った。
「寝る前に構想だけはちゃんと練っておいたんよ。
 残っとったのは結末だけやったから、達也のチェック終わってから夕飯までに書き上がってん」
「さすが」
「後で渡すな。で、松岡は何やった?」
さりげなく話が元に戻る。
「実は俺ね、転学部しようと思って」
「え!?マボ変わっちゃうの?」
「俺には文での表現は合ってなかったみたいなのよ。やっぱ映像に興味あるから、表現文化の映像に行きたくて」
「簡単に変われるもんなのか?」
山口君が2杯目を注ぎながら訊いた。
「もちろん試験があるよ。この前映像科の先生と面接みたいなのしたんだけど、そこで言われてさ。
 好きなものでいいし、我流でいいから、30分の映像作れって言われてね」
「すごい試験やねぇ」
「で、試しに作ってみたから見てもらえないかな、と思って」
少し緊張気味に松岡が言う。
「僕でええの?」
「ていうかアンタに見てもらいたいの。作家としてじゃなくて」
「難しい注文やねぇ。まぁ、ええよ」
茂君が苦笑しながら了承すると、松岡の顔が輝いた。
「じゃあ後で持ってくるから!」
嬉しそうに笑う。よっぽど自信があるんだろう。
でも転学部は、俺が在学してた頃に難しいと聞いたことがある。今でもそう変わらないだろう。
純粋に、すごいと思った。




食事が終わり、茂君から出来立てホヤホヤの原稿をもらった俺は、
風の通る縁側に腰を下ろして目を通していた。
誰よりも先に原稿を見れるのは共同製作者で編集でもある俺の特権だ。
これは山口君にも譲れない、密かな楽しみだったりする。
校正という他人の手が入らない分、初めに意図していた雰囲気を味わえるから。
「それ、茂君の原稿?」
不意に影ができて、見上げると松岡がいた。
「そう。見せねぇよ?」
「太一君の特権を奪ったりしないよ」
俺が笑いながらそれを隠すと、松岡も笑う。
そして小さなガラスの器を差し出してきた。もちろんスプーン付きで。
「何?」
「ミカン缶にヨーグルトかけただけ」
そして俺のそばに腰を下ろした。
「渡した?」
「ビデオ?渡してきたよ。台本も一緒に」
「良かったな」
「うん」
妙に素直に肯いたなと思ったけれど、あえて言及しなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・あのさ」
そして、どこか落ち着かない様子で松岡が口を開く。
「何?」
「あ・・・・・・・今から言うことは俺が気にしすぎなだけかもしれない事だから聞き流してくれてもいいんだけど」
「? おう」
「俺、今日の夕飯も失敗とかしてないよね?食べれないこともないけど美味しくないとか」
「普通に美味かったけど」
「だよね。・・・・・・でもさ、残してたんだ。ほとんど丸々」
普段より早口にそう言った。
「・・・・・・・は?何のことだよ」
俺の問いに松岡は周りを見回して何かを確認する。
「茂君だよ!さっきの夕飯、俺、少な目って言われたから普通の量よりもかなり少なくして注いだのに、
2口3口しか食べてないんだ!・・・・・寝ちゃうのは仕方ないとしても、あんなんじゃ、茂君し」
「っ・・・・松岡!」
泣きそうな顔をしてまくし立てる松岡の名前を呼んで、言葉を止める。
「・・・・・・・それ以上言うな」
「・・・・・・・・ごめん」
松岡は小さく謝って、頭を垂れた。






松岡が言おうとしたことは判る。
だって、俺は何度もそれを考えてきたんだから。

でも、言葉にしないのは、それが現実のものになってほしくないから。


たとえそれが、叶わない願いだとしても。














11

次の日の朝、早くから松岡も長瀬も学校に行った。
松岡は集中講義で、長瀬は部活だとか。
受験生なのに部活をやるのは、あいつが吹奏楽部所属だからだ。
音楽科を目指すのだからちょうどいいとか言ってたような気がする。

2人が出ていってからしばらくして、茂君と山口君も出かけていった。
「これ、松岡に渡しといてくれんか?」
出かける前に、茂君は1本のビデオテープとA4サイズの薄い紙の束を渡してきた。
「松岡?あぁ、昨日言ってたやつだね」
「おん。よかったでって伝えといたって。朝渡しそびれてもうたから」
茂君はそう笑った。

たぶん検査に時間かかるから帰りは夕方になる、と言っていたから、
お昼は久しぶりに自分で作らなきゃならない。
茹だるような暑さに辟易しながら、俺は素麺を茹でて、縁側で1人食べた。

夏場の縁側は俺の指定席になっている。エアコンも好きじゃないし、暑いのも嫌い。
となると、簾をぶら下げて程良く日差しがカットされた縁側がベストポジションというわけだ。
俺はそこにタオルケットと枕を持ち込んで、ごろごろしながら茂君の原稿を読んでいた。

中編小説だから、読むのが遅い俺ではもう1日2日かかるだろう。
それが仕事だし、楽しいから苦ではないけれど。
読みながら浮かんだイメージをスケッチブックに簡単に描いておく。
何度も読むとその度にイメージが少しずつ変わってくるからメモしておかないと後々困るのだ。





今回の話は少し変わっていた。

主人公は1人の男。
彼は眠る度にどこか別の世界にいく。

それは今の世界のパラレルワールド。

文明が滅んでしまった荒廃した世界や、非道な王が支配する世界。
全ての人がのんびりと、穏やかに過ごす平和な世界もあったし、
戦争が何百年も続いて、人々が疲れ果てた世界もあった。

そこでは彼の住む世界と全く同じ姿・名前の人間が全く別な形で生きている。

どの世界でも共通なのは、『彼』という人物は彼以外存在していない事、
彼はそこでの『彼』の記憶を全て持っている事、それまでの彼の記憶も残っている事、

そして必ず死んでしまうという事。

彼はそこで死んで、彼の世界に帰ってくる。





まだ最後まで読んだわけじゃない。
けれど、何となく俺は、この主人公の男は茂君じゃないかと思った。
理由なんてない。単なる直感でしかないけど。

あの人も、寝ているときにこんな夢を見てるんだろうか。














12

3時くらいになって、早くも山口君たちが帰ってきた。
出迎えると山口君は茂君を抱えて家の中に入ってくる。
「早かったね」
俺がそう言うと、
「・・・・・・・・寝ちまったからな」
少し不機嫌そうに返事が来た。
山口君は、寝てしまっている茂君を彼の部屋まで連れていって寝かせて、
そのまま何も言わず、一服することもなく、ボードを持って海に行ってしまった。
取り残されてしまった俺は、何となく茂君の部屋に足を向けた。

そっと、音を立てないように扉を開いて、中に滑り込む。
部屋の窓は開けられていて、生ぬるい風が入ってきていた。
それに合わせてレースのカーテンが揺れている。
少し散らかった机の上には何枚かのメモ用紙と、電源の落とされたノートパソコン。
風の力で、メモ用紙がピラピラとはためいていた。

窓の傍のベッドには部屋の主が眠っていた。その顔は、何だか目につくほど白い。
あまりに寝息が聞こえないから、不安になって顔を近づける。
当然、息をしてないはずがないから小さな小さな寝息が聞こえてきて、少しほっとした。
そして俺はすぐに部屋を出た。
あの部屋は時間が止まってるような気がして、少し怖かったから。





それから2時間ぐらい経っただろうか。
日が傾きかけた頃、山口君が海から帰ってきた。
庭の方からざばざばと水を被る音がする。いつものようにタオルを持っていった。
「はい」
「おう」
「・・・・・・・・・・・・・波、良くなかった?」
まだ何となく機嫌が悪いような気がして、気不味く思いながら俺は訊いた。
「・・・・・・・・別に悪くはなかったよ」
頭を拭きながら曖昧に答えを返してくれる。
タオルで隠れて顔が見えない。
「・・・・・・・・何か、あったの・・・・・・・?」
嫌な予感を感じながら、俺はさらに訊いた。
山口君は一瞬手を止め、そのままタオルを取って、縁側に勢いよく座った。
そして手を組んで、額を当てて、ため息をつく。
沈黙が続いて、俺が質問を撤回しようとした時、山口君は頭を上げた。
「・・・・・・・・山口君・・・・・・・?」
その表情はとても厳しくて、どこか焦ってるようで、いや、泣きそうで、俺は不安になった。
「もう、い・・・・」
「ダメかもしれない」
俺の言葉を遮って、山口君は言った。
「・・・・・・・・・言われたんだ、今日・・・・・・・・・・・東山さんに・・・・・・・・・・・・・・」
山口君の口から出てきた言葉達は、俺の頭を真っ白にするには十分すぎるほど信じがたいものだった。















「近いうちに、シゲは目覚めなくなる可能性が高い、って」











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