1
煙草の吸えない職員室から抜け出し、彼は階段を上がる。
この学校は珍しく、背の高いフェンスを設けることで屋上を開放している。
しかし教師も生徒もあまり行くことはなかった。
彼はゆっくりと重たい扉を開ける。
それに振り返ったのは金髪の生徒。
左耳にはピアス。右手には紫煙を上げる煙草。
「ちょっと邪魔するよ」
彼はそれだけ言って生徒とは逆サイドのフェンスにもたれて座る。
そして白衣のポケットから煙草を取り出し火をつけた。
白い煙を吐き出して頭を上げる。
ふと視線を感じそちらを見ると先客が彼を見ていた。
「何?」
「アンタ誰」
「見れば分かるだろ?」
「先公がこんなとこで何してんだよ」
「それも見ての通り」
訝しげに不躾に、質問を投げかけてくる青年に彼も相応に返した。
「そっちこそ授業中に一服とは立派なご身分だねぇ」
ニヤっと笑うと青年の眉間にシワが寄った。
「説教しに来たってわけか。お前新任だから任されたんだろ」
「んな面倒なことするかボケ。煙草吸いに来ただけやっちゅーねん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・関西弁・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あ、しまった」
うっかり出てしまった生まれの言葉に、思わず口を覆う。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もーえぇわ。僕が関西弁なん黙っといてやー」
彼はあっさり隠すのを諦め、小さくため息をついた。
「そんなん知らねーよ」
「それ黙っといたるさかい」
「教師は知ってる」
彼は生徒の手のものを指したが、相手が動揺することはなくて。
「もー。減らず口の止まらんやっちゃなぁ」
彼は携帯灰皿を取り出し、短くなった煙草を突っ込んで立ち上がった。
「でもこんなとこで吸っとるっちゅーことはばれたらヤバいんやろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
彼がニヤっと笑うと生徒は言葉に詰まる。
「どないしょーかなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・きったねぇ」
今にも殴りかかってきそうな目で、生徒は彼を睨みつけた。
「きったなくないやん。君が何も言わなええんやろ?僕も言わへんし」
「先公の言葉なんか信じられっか」
「自慢やないけど、ここ何年か僕嘘ついた事ないで?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まー、信じる信じないは君の自由やけど。僕は誰にも喋らへんから」
手をヒラヒラさせて彼は屋上を後にした。
2
「あ、どちらに行ってらしたんですか?」
職員室の自分の席に戻ると、隣の同僚が話しかけてきた。
2歳下の国語教師で、ここは3年目だとか。
「ちょっと屋上へ行ってまして」
「屋上ですか!すごいですね、何もされませんでした?」
あまり驚いていないような顔で、苦笑しながら彼は言った。
「何って、どういうことです?」
「ほら、前話しませんでしたっけ?問題児」
「あぁ、山口達也ですか?」
「そう。会いませんでした?」
「あー、あの子がそうなんですか。別になんもされませんでしたよ」
「そうですか!珍しいなぁ」
同僚は楽しそうに呟いた。
「どういうことです?」
「実はね、」
「長野っ」
彼の言葉を遮って低い声がかかる。
2人で職員室の入り口を見ると、背が高く、眼光鋭い生徒がいた。
「あ、いらっしゃい」
その姿を確認した同僚、長野は笑顔で手を振った。
「ウチの問題児その2。2年の坂本です」
ちなみに山口君と同い年で、ダブりなんですよ、と長野は小さい声で笑った。
「ちょっと待ってて!!」
大きな声で坂本少年に伝えると、彼は机の上を片付け始める。
「何か妙に懐かれちゃって、今では彼の相手専門なんです」
口調は困ったように、でも顔は嬉しそうに言った。
「校内にいますけど、何かあったら放送じゃなくて携帯にお願いします」
「分かりました」
その辺の物を適当に鞄に突っ込む様子に、彼は苦笑いしながら答えた。
「では失礼します」
パンパンに膨らんだリュックを背負って長野は出ていった。
入り口で待っていた生徒は、長野が傍に寄ると少し表情が柔らかくなる。
「ほんまに懐かれてんやなー」
彼はぽつり呟いて、2年用の教科書を開いた。
3
青空とコントラストを描いて、2本の煙が立ち上る。
「アンタ何吸ってんの?」
「コレ」
青年の言葉に彼は自分の煙草の箱を放り投げた。
「うわ。きっついの吸ってんのな」
「お子様と一緒にしてもろたら困るわ」
彼がそう言うと、少しムっとした表情になる。
「そういうところがお子様やねん」
彼が笑うと煙草の箱が勢いよく投げ返された。
あれから彼は屋上で煙草を吸っている。
青年も性懲りもなく彼がいる目の前で堂々と吸っている。
時々話しかけて、逆に話しかけられて、何となく話すようにもなった。
彼はムキになって自分の目の前で吸い続ける青年の様子を楽しんでいた。
「ん〜、もう昼やねぇ」
彼は伸びをして立ち上がった。
「そういえば、君は昼どないしてんの?」
「・・・・・・・・・コンビニで適当に」
「1人で?」
「誰と食べるってんだよ」
「じゃあ今日は僕と食べへん?」
唐突な彼の言葉に青年はジト目で睨む。
「何でそうなるんだよ」
「え?僕も1人やし、君も1人やし。調度ええやん」
なぁ?と微笑む彼に、青年は顔を背けた。
「良くない」
「何で?」
「俺は1人で良い」
「僕が嫌やねん」
彼はそう言って、青年の手首を掴んだ。
「ちょっ!!」
「ええから来ぃや。金は心配せんと、僕が特別に奢ってあげるがな」
グイグイ引っ張っていく彼の手を、青年は振り払った。
「うるせぇっ!!放っとけよ!!」
「何で?」
「俺は1人でいたいんだよっ!!」
声を張り上げる青年は、ひどく狼狽えているように見えた。
「じゃあ、僕も追い出せばよかったんやないの?」
「・・・・・・・・・っ」
「別に、今生一緒におるわけでもない。
いつかは会わんようなるんやから、今食事行くくらい何ともあらへんがな」
彼は小さくため息をついた。
「しゃーない。今回は諦めたるわ」
寂しそうな表情を作って、彼は屋上を後にした。
4
「今日は行きたなった?」
毎回、そいつは訊いてくる。
「行かないって言ってんだろ」
「奢るゆーとんのに」
毎回つっぱねると、毎回ガキみたいにふてくされた。
「ガキみてぇ」
「君みたいなお子様に合わせてやっとんねん。ありがたく思いや」
ふふん、とそいつは鼻で笑う。
腹は立つ。
でも、嫌ではなかった。
「何で俺に拘んだよ」
別の奴でもいいだろ。
そう言うと、奴は考え込んだ。
「ん〜、何やろなぁ。おもろいから?」
「訊くなよ」
「あはは、せやな。まー、おもろいからやで」
何がおかしいのか、ヘラヘラ笑う。
「おもしろくねぇよ」
「おもろいで。僕が何言っても反応してくれるし」
クスクス笑いながら煙草に火をつけた。
「何だそれ」
「ほら、それや」
笑いながら煙草で俺を指してくる。
「・・・・・・・・・」
「まー、何だかんだゆーて、僕との約束守ってくれとるやん」
なぁ、と、俺の方を見た。
「・・・・・・・・・知らねー」
俺は背を向けて、煙草に火をつけた。
「そーいえば、僕君の名前聞いとらんな」
「・・・・・・・・・知ってんだろ」
わざとらしい言葉に突っ慳貪に返す。
「知っとるで」
ニヤリと、意地の悪い笑顔が浮かんだ。
「でも君の口からは聞いとらん」
俺に名乗れと言っているらしい。
ようやく解ったのだけれど、どうやらこいつは遠回しな表現が好きなようだ。
「・・・・・・・・・山口」
「それは名字や」
折角名乗ったというのに文句をつけてくる。
「僕が訊いたんは名前で、名字やな」
「達也」
「・・・・・・・・・。じゃあ達也て呼ぶわ」
「はぁ!?」
「山口やと他の先生と同じやん」
そしてヘラっと笑う。
何という馴れ馴れしさだろう。
「あぁ、僕は茂ゆーねん。城島茂」
「呼ばねーよ」
「言うと思った」
ノドで笑いながら、そいつは白い煙を吐き出した。
「ん〜っ、さて、次は授業やから行こかな」
「・・・・・・・・・」
「またなぁ、達也」
いつものように手をヒラヒラ振って、アイツは屋上から出ていった。
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2006/03/19
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