すぐ戻るから



あの人はそう言って出て行ったんだ。



いつもと同じように、何も、変わらない様子で。



けれど、帰ってこなかった。



兄ぃが探しに出て、でも見付からなくて、その日の夜、兄ぃがこっそりと家を出て行くのを俺は見た。

















「・・・・・・・・・・・今の、何・・・・・・・・・・・・・・・?」
突然身体を走り抜けた衝撃に、太一も松岡も立ち上がった。
「・・・・・・今の茂君だよね?」
松岡がそう呟く。
それと時を同じくして、空間が歪んだ。
「?」
太一が振り返った。
その先にあるのはさっきまでと変わらない、奥に闇を湛えた果てしなく続く廊下。
変わっていたのは、そこに人影があったことだった。
「・・・・・・・・っ茂君!!?」
同じく振り返った松岡が、その姿を真っ先に確認して、声を上げた。
太一が走り寄る。
同時に城島は力なく床に膝をついた。
「・・・・・・・・・・・・・何・・・・・・・・・これ・・・・・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・・・・・・・」
崩れ落ちた城島を支えるように膝を着いた太一が、自身の手に付いた赤を目にして絶句する。
「茂君!!太一君、どうしよう!!このままじゃ死んじゃう!!!」
咄嗟に上着を脱いで、それで城島の傷口を押さえた松岡が悲鳴を上げた。
そこから流れ出る血は緩やかに、それでいて確実に、傷口を塞ぐ上着を濡らしていく。
「・・・・・・たい、ち・・・・・・・・・・」
「誰にやられたんだよ、こんなこと!長瀬か!!?長瀬なんだろ!!!?
 こんな傷作れるのは山口君か長瀬しかいねぇんだから!!!」
空気が熱せられているのを松岡は感じた。
「・・・・・・・・・太一・・・・・・・・・止めたって・・・・・・・・・」
城島が太一の手を強く握り締めて声を発した。
「喋るなよ!!喋んなくて良いよ!!」
「・・・・・・・・・智也を・・・・・・・・止めたって・・・・・・・・・僕はもう無理やから・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・僕の声はもう・・・・・・届かへん、から・・・・・・・・・・長瀬を、助けてやっ・・・・・・・・・・・・・」
咽喉の奥から競りあがってきたものに、言葉は遮られる。
「茂君!!!」
松岡が叫ぶ。
周囲に広がる血溜まりを目にして、太一は一瞬動きを止めた。


「・・・・・・・・・っふざけんなぁぁああああああああああああああああ!!!!!」


焔が弾けた。

傍にあった開けっ放しの扉が炎を上げる。
それをきっかけに周囲のモノ全てに火がついた。
太一は何にも目もくれず城島が現れた廊下の奥に走っていく。
「太一君!!!」
手を伸ばすも遅い。
松岡の手は虚空を掴んだだけだった。
「・・・・・・・・・・っ茂君!!茂君ちょっと!!しっかりしてよ!!」
「・・・・・・松岡も、太一追いかけてや・・・・・・・・・松岡しか・・・・・・・・太一は止められへんねんて・・・・・・・・・」
「それよりもあんたの方がヤバイでしょ!!どうすれば・・・・・・・!!」
目を潤ませながら松岡は取り乱していた。
記憶に残っている永い永い時間の中で、こんな事態は初めてだった。
この空間で怪我なんてすることはない。
しかも、長瀬が意図的に誰かを攻撃するなんていまだかつてなかったのに。
パチパチと火の爆ぜる音を耳にしながら、松岡は城島を見た。
「・・・・・・僕は・・・・・・・・・大丈夫やから・・・・・・・・・・・・・・」







────── 僕は大丈夫やから



────── すぐ帰ってくるで、いい子して待っとってな








扉の向こうの影が笑う。
心配は無いと、そう言った。
背を向けて行ってしまう影に向かって泣き叫ぶ子どもが見える。

俺は泣かない。

だって帰ってくるって言ったじゃないか。

あの人が嘘をついたことはないから。

俺は信じるよ。

待ってる。

待ってるから。









「・・・・・・・・っ・・・・・・・・・・・!!」
突然頭の中に流れ始めた映像に、松岡は声を失う。








どうして帰ってこない?

どこに行ってしまった?

兄ぃが探しに行ったって

でも見付からなかったって


それは嘘だ


だって兄ぃは何か隠してる










深夜。満月が輝く。
コッソリ出て行く青年の跡をつけた。
村の外れ。最近作られた簡素な社。
その向こうに立てられた木製の柱の根元を青年はただ只管掘り続ける。
少しして、彼は泣き崩れた。
その、穴の中には、











「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」










悲鳴。
恐怖で松岡の瞳が揺れた。
「嫌だ!!嫌だぁ!!!!死なないで!!!!死なないでよ!!!!茂君!!!!
 だって、帰ってくるって言ったじゃないか!!!!!何であんたが死ななきゃなんないんだ!!!」
「・・・・・・・・・松・・・・・・・・・・・思い出し・・・・・・・・・・・・?」
頭を抱えて蹲り、叫びだした松岡に、城島は何とか身体を動かして近寄る。
「嫌だ!!嫌だ!!行かないで!!行っちゃダメだよ!!兄ぃも選ばれたんだ!!!
 兄ぃの次は俺なんだ!!!嫌だ!!!!死にたくない!!!!死にたくないよ!!!!」
「・・・松岡っ・・・・・・・それは『今』やない!!もう、昔のことやねん!!
 もう選ばれることも殺されることもないねん!!!大丈夫やから・・・・・・・・!!」
泣き喚く松岡の肩を抱いて、彼は城島は頭を撫でた。
「・・・・・・・松岡・・・・・・違うやろ?・・・・・それは今のお前じゃないやろ・・・・・・・?」
「・・・・・・っ・・・・・・茂く・・・・・・・・」
「・・・・松岡、よく聴いてや・・・・・・・。
 『風』の僕には『火』を煽ることしか出来んかった・・・・・・・。このままじゃ『木』が燃え尽きてまう。
 ・・・・・・・・・・どうしたらえぇ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『水』の俺が・・・・・・・・・『火』を止める・・・・・・・」
「・・・・えぇ子や。太一、止めたって・・・・」
城島は蒼い顔でそう微笑んだ。
「・・・・・茂君は・・・・・・?」
「・・・・・・・・・僕はもうあかんみたいやねぇ・・・・・・・・・」
その言葉に松岡は顔をしかめた。
「・・・・・・・・また会えるよね・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・お前が望んでくれたら、僕は何処にいても会いに行くで」
城島が笑うと、松岡は涙を乱暴に拭って笑った。
「・・・・・・このお代は高くつくんだからね」
「・・・・・・覚えとったら、次に逢った時に埋め合わせするわ・・・・・・・・・・」
「忘れないでよ」
そして松岡は太一が消えた廊下の奥に走っていった。







それを見送って、城島は小さく笑う。
息をついて、壁にもたれかかった。
「ホントアナタって相変わらずだね」
「・・・・・・・仕方ないやんか・・・・・・・・・・不変の枠組みの中におんねんから・・・・・・・・・・・」
横手から聞こえてきた声に、城島は苦笑を浮かべる。
「・・・・・・ほれ見ぃ・・・・・・・・・壊すことしか出来んかったやろ・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・痛くないの?」
「・・・・・・『母』の優しいお心のお陰でさっぱり痛ないわ・・・・・」
幾分か囲められた皮肉に、彼はため息をつく。
「・・・・・・・・・ごめんなぁ・・・・・・・・・・」
「何を今更」
「・・・・・僕一人が犠牲になればお前ら全員幸せに暮らしてけると思ったけど・・・・・・こんなんなってもうた・・・・・・・・」
「・・・・・思い出したの?」
「・・・・・・・・・・・何で忘れとったんやろ・・・・・・・・・・長瀬との約束も・・・・・・・・・・・お前との約束も・・・・・・・・」
ぼんやりと遠くを眺めて、城島はポツリと呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・苦しかった?」
「・・・・・埋められた時はもうほとんど意識なかってん・・・・・・・・・・苦しくはなかったで・・・・・・。
 ・・・・でもなぁ・・・・・・・・・・・自分泣きよったやろ、あの後・・・・・・・アレは、辛かったなぁ・・・・・・・・。
 見とったんやでー・・・・・・・・・・もうあの時には此処におったから・・・・・・・・・・・・・・・」
ふふ、と力なく笑う。
山口はその手をそっと握った。
同時に城島の体が淡く発光し始める。
「・・・・・・・・・・・・・あぁ、もういかなあかんみたいや・・・・・・・・・・・・・」
城島は穏やかに笑った。
「・・・・・・・・なぁ、今度こそ2人で酒酌み交わそうなぁ・・・・・・・・・・・・」
「良い酒を用意しとくよ」
「・・・・・・・・・・・・・・約束やで・・・・・・・・・」
山口の笑顔に満足そうに目を細める。
「茂君」
呼んだその人の身体は、少しずつ、光の粒子になって崩壊していく。
「俺は、今のアナタ、嫌いじゃなかったよ」
「・・・・・・・・・・僕も・・・・・・・・・今のお前が好きやったで・・・・・・・・・・・」
一瞬、城島は呆けた顔をして、けれどすぐ微笑んで答える。
「後は頼んだ」
そして、はっきりとそう言って、その姿は完全に崩れ去った。
僅かに残った粒子も、蛍のように淡く光を放って、虚空に溶けていく。
握っていた手は空を掴んで、山口の頬を一筋流れた。









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