- 9 -
家に帰るとポチがいた。
「え・・・・・・・・・・・どないしてん・・・・・・・・・・・」
「うん。飼うことにした。母さんも良いって言ってくれたし」
僕の言葉に、リビングのソファに座っていた達也はさらりとそう言った。
「・・・・・・・・・・・飼うことにしたって、何でなん?いきなり・・・・・・・・・・・」
「だってさ、ついてくるんだもん。別に害も無いと思うし、番犬代わりになりそうじゃん。
ほら、見た目ごっついじゃない、コイツ」
何となく早口気味にそう言いながら、足元で伏せっていたポチの頭を撫でる。
嬉しそうにポチは達也に鼻を摺り寄せた。
「あ、ちなみに名前はポチじゃなくて昌宏にしたから」
部屋に行こうとしたのか、達也は立ち上がつつ、ふと思い出したかのようにそう言った。
「え?なん・・・・・・・・・・・」
「いや、ポチだと適当すぎて可哀想かなぁと思ってさ。そういうことだから」
間違えないでね、と笑って、達也はリビングを出て行く。
置いていかれたポチ、もといマサヒロは、慌てて達也を追いかけるために立ち上がる。
そして、通りすがりざまにちらりと僕を見て、小さく鼻を鳴らし、尻尾を振って出て行った。
「・・・・・・・・・・・」
「あら、茂、お帰りなさい」
何だか素っ気無い達也の後姿を見送っていると、背後から声が掛けられた。
僕は思わず肩を跳ね上げる。
「・・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・ただいま帰りました・・・・・・・・・・・」
振り返った先には母がいた。
「ビックリしたでしょう?あの子、帰ってくるなりあの犬を飼いたいって言うのよ」
「・・・・・・・・・・・はい」
「あの子は言い出したら譲らないから。自分で世話をするって言うし、許可したのよ」
そんなことまで言っていたのかと驚いて、少し俯いた。
すると母が僕を覗き込んだ。
「・・・・・・・・・・・茂も遠慮しないで何でも言ってね?貴方も家族なんだから。ね?」
背のあまり高くない僕に合わせて、母は少し屈んで僕の目を見て、そう笑う。
「ありがとうございます・・・・・・・・・・・」
僕はそう言うと、着替えてきますとだけ言って、急いで自分の部屋に戻った。
- 10 -
母が、あの人が、僕を本当の子どもだと思ってくれているのは、よく解る。
今のことだってそうだし、僕を達也と全く同じように扱ってくれてることからも、それが解る。
けれど、僕はそれに、どうしても馴れることができなかった。
そもそも、この家での生活にも馴れることができてないんだ。
どうしても、自分が他所者に思えて仕方ない。
この家の人たちが対等に扱ってくれていることが分かれば分かるほど、それが申し訳なく思える。
結局、僕が拒否してるだけなんだってことは、ずっと昔から分かっていた。
でも、怖いんだ。
与えられた部屋に入ると、扉に鍵をかけた。
誰にも入ってきてほしくなかった。
机の上にカバンを放り出して、ベッドに腰かける。
柔らかいマットは数回跳ねてから静かになった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・・・・・・・・・・」
何だか胸が詰まるような気がする。
大きく息を吸って吐いてみるけど、あまり変わらなかった。
『そういうことだから』
さっきの達也の言葉が頭の中で再生される。
何でか判らないけど、すごく泣きたくなった。
達也があんな風に言ってきたことなんて、今まで一回もなかったのに。
今までは何をするにも、その前に僕に教えてくれてたのに。
説明だってしてくれてたのに。
そこまで考えて、この気持ちが何なのか判った。
けれど僕はすぐさまそれに蓋をした。気付かなかったフリをすることにした。
自分がそんな風に思っていることは認めたくなかったから。
- 11 -
部屋の扉を閉めて、すぐさま鍵をかけた。
扉を閉める前にスルリと滑り込んできた昌宏が、驚いた様子でヒトの姿に戻る。
「どうしたの?いきなり」
心配しているのか、扉にもたれ掛かったまま動かない俺の顔を覗き込んできた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「達也君?」
──── 『 』
「っ!?」
昌宏が俺の名前を呼んだ瞬間、頭の中で声がしたような気がした。
驚いて肩を跳ね上げると、昌宏も驚いて一歩下がった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何でもない。何もない。
心の中で何度もそう呟いて顔を上げる。
心配そうな昌宏の顔があった。
「大丈夫?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫だよ」
笑顔を作ってそう告げる。
「何でもないよ」
「そう?なら良いけど・・・・・・・・・・・」
不思議そうに首を傾げながら昌宏は俺から視線を外した。
シゲが部屋に来た瞬間、何でか、『知られちゃいけない』と思った。
昌宏のことも魔法のことも、本当は全部話すつもりだったのに。
どうしてか、ダメだと思った。
ダメだという声が聞こえた気がした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気のせい、だよな」
小さく呟いた言葉は昌宏にはちゃんと聞こえなかったらしい。
俺の方を振り返って不思議そうな顔をするので、何でもないと首を振った。
「何でもないよ」
もう一度、俺はそう言った。
- 12 -
ベッドに仰向けに倒れて目を閉じていると、カリカリと音がした。
ビックリしてそっちを見ると、窓ガラスの向こうに黒いカタマリが見える。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タマ?」
恐る恐る近付いてみると、窓の向こうでタマがガラスをカリカリと引っ掻いていた。
「タマ!」
嬉しくなって、引っ掻いているのと反対側の窓を開ける。開けると同時にスルリと中に入ってきた。
「お前最近どこ行っとったん?待っとり、今ご飯もろてくるからな」
この間の騒動から姿が見えなくなっていたから心配していたのだけど、見ればなかなか元気そうだった。
ほっとしてそう声をかけ、部屋から出ようとドアノブに手をかけた時。
「おい」
知らない声がした。
「っ!!?」
驚いて振り返る。
そして、一瞬息が止まった気がした。
タマがいたはずの場所には、知らない男の人が立っている。
いや、知らない人じゃなかった。
この間の小さい方、怖い、人だ。
「おい、お前」
声が出なくて黙っていると、その人は僕をジロッと睨んだ。
「・・・・・・・・・・・チッ・・・・・・・・・・・返事ぐらいしろよ。ウジウジと鬱陶しいなぁ」
「・・・・・・・・・・・っ」
「・・・・・・・・・・・昌宏がこの家に住むらしいから、俺もここに住むからな。
別にお前の世話にはなるつもりはないけど、昌宏が全部説明したらしいから教えといてやるよ」
その人は面倒臭そうにそう言うと、床にドカンと腰を降ろした。
「俺はすごい魔女の使い魔だった」
「・・・・・・・・・・・魔、女・・・・・・・・・・・?」
「昌宏もだ。別の魔法使いの使い魔だけど。
で、お前はその魔女の生まれ変わりで、お前の弟が魔法使いの生まれ変わりだ」
いきなりのことに頭がついていかない。
言葉を聞き取れても意味が解らなかった。
「だから昌宏はお前の弟と契約した。あの犬は昌宏だ」
昌宏とは、この間の背の高い方の人のことだろうか。
ポチは昌宏で、昌宏があの人で。
じゃあポチはあの人?
「でも俺はお前とは契約しない」
考えを遮って、目の前の人は僕を指差した。
「俺は、お前があの人の生まれ変わりだなんて認めない」
そう言って睨み付けてくる。
怖くて怖くて仕方ないのに目を逸らせない。
「お前みたいな弱い奴があの人だなんて、絶対に認めない。でもあの人の魂が悪魔の手に渡るのは困る。
だから悪魔からは守ってはやる。それ以外は、お前がどうなろうが俺の知ったことじゃない」
そして、ジロリと僕を見た。
「お前なんか・・・・・・・・・・・」
そこまで言って、その人は口を閉じる。
でも睨んでくる目が、その続きを言っていたように思えた。
その人はフイっと僕に背を向けた。その瞬間、突然身体が光りだす。
光はゆっくりと小さくなって、消えたところには黒猫がいた。
黒猫、タマは窓に飛び上がると、そのまま窓の向こうに消えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
誰もいなくなった部屋の中で、僕は胸の辺りを触った。
そして掌を見る。もちろん、血なんて出ていない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イタイ、なぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
傷なんて無いのに、胸がざっくり刺されたみたいに痛かった。
- 13 -
一歩踏み出す度に床が小さくギシギシ鳴った。
別に古いからというわけではないだろう。
階段を登りきって、2つの部屋の真ん中で立ち止まる。
どちらも人の気配がない。
どちらに行こうか。
少し悩んで左側を見た。
こちらの部屋の主からは嫌われてしまっているから、右かな。
そう答えを出して右側に足を進めた。
ノックを2回。
しばし待つが返事がない。
再度呼んでも返事は無く、ノブに手をかけて、回した。
途中で鈍い音がしてノブが止まる。
鍵がかかっているようだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅん」
彼は小さく唸り、目を細める。
一度ノブから手を離し、もう一度握り締めた。
カチャリ。
何の前触れもなく小さな音が響く。
そして彼はゆっくりとノブを回した。
今度は途中で止まることはなく最後までノブは回り、静かに扉は開いた。
「・・・・・・・・・・・茂君?」
部屋に足を踏み入れ、主の名を呼んだ。
返事はなく、こんもりと膨れた布団が小さく動いたのが見えた。
「茂君、調子悪い?」
ベッドの端に腰をかけて、彼は話しかけた。
「もうすぐご飯ですよ?食べられるなら降りてこない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いらない・・・・・・・・・・・」
布団の向こうからくぐもった声が聞こえた。
「・・・・・・・・・・・何かあった?」
「・・・・・・・・・・・なんもない」
「俺にも言えない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんもない」
「そうっすか」
彼は小さくため息をついて、布団の端の方、恐らく頭があるところを軽く撫でた。
「調子が良くなったら降りてきてくださいね。みんな心配してるから」
返事は待っても返ってこなかった。
彼はもう一度息をついて立ち上がり、部屋を後にした。
出て右側の部屋にチラリと視線を向ける。
扉をじっと見つめ、面白そうに目を細めた。
しかしそのまま背を向け、階段を降り始める。
すると、階下から黒い猫が我が物顔で階段を上がってきた。
猫は彼にチラリとも視線を向けず、スッと横を通りすぎる。
彼は足を止め振り返り、猫をじっと見た。
そして登りきったところで声をかけた。
「タイチく〜ん。久しぶりだね〜」
軽い口調でそう言うと、猫は驚いた様子で足を止め、階段を覗き込んでくる。
「あぁ、それとも今は、初めまして、かなぁ?」
にっこり笑って声をかける。
猫はその目を大きく見開いて固まった。
「太一君もマボもしつこいねー。まぁ俺もヒトのこと言えないけどさぁ」
彼は猫の様子を見ながら、楽しそうに話を続ける。
「言っておきますけどね、太一君。今俺は、太一君よりも近い立場にいるんだよ?
従兄弟で居候ってだけですけど、赤の他人の太一君よりはかなり優位にいるんですよ。
何てったって家族だし?ま、だからってわけじゃないですけど、一家族として言わせてもらうと」
一段階段を登り、壁にもたれかかって猫を睨みつけた。
「茂君を傷つけたいだけなら、今すぐ出てってもらえますか?要らないのは太一君の方ですよ」
そしてニヤリと笑い、階段を降りていく。
猫は今にも飛び掛りそうな視線だけを彼に投げつけて、
その背中が見えなくなってからようやくその場から離れていった。