- 4 -
今までに ───
何度か襲われたことはあったけれど、こんなにヤバかったことはない。
今の俺じゃ何も出来ない。
まさかこんなに
「あ〜あ」
目を閉じてから届いたのは痛みなんかではなく、気の抜けた声だった。
驚いて目を開けると、目の前には背の高い後ろ姿。
その前には真っ黒な壁がある。
それが、見えない何かに遮られながらもなお迫ってこようとしている影であることに、少ししてから気付いた。
「今度はペットとして傍にいようと思ってたのに、台無しじゃないよ。ったく・・・・・・・・」
達也を庇うように立つその影は、そうぼやいて首だけで振り返る。
「ごめんね、やっぱアンタの傍にいたいんだよね、俺」
ま、解んないだろうけど。
苦笑を浮かべながら呟いて、彼は壁にもたれ掛かるように背を向け、達也の方に向き直る。
「さて。困ったことが1つあります」
「・・・・・・・・へ・・・・・・・・?」
「実は俺、今のままじゃこれ以上何とも出来ないんだよね。防ぐだけ。ってことは、頭良い君なら解るでしょ」
にっこり笑って、彼は達也に問いかけた。
「どうなると思う?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・疲れたら終わり?」
「正解」
そして手を差し出した。
「君は俺のことを知らない。でも、『俺』を『知ってる』よね?
俺が何なのか、これから何をしようとしてるのか。
君が望むなら、後で契約も解除するし、思い出したくないなら、ちゃんと記憶も消してあげる。
アンタが幸せなら、俺はそれで良いから。でも今は緊急事態だからさ」
苦笑を浮かべて、彼は達也を見る。
「名前、呼んで。判るでしょ?ポチじゃなくてさ。アンタがくれた、俺の名前を」
達也は、そう言う彼の額に汗が滲んでいることに気付いた。
余裕があるように見せてたんだ
そう思ったとき、頭の中に言葉が浮かぶ。
「君なら判るはずなんだ」
パキンと、ガラスが割れるような小さな音がした。
黒い壁に稲妻型の亀裂が白く入っている。
「・・・・・・・・うっそ!?」
彼は慌てて正面を向いて壁を支えだした。
「くそっ!!ありえねぇ!!何だよこれっ!!たかだか百年かそこらだろ!?」
一度入った亀裂は次第に広がっていく。
「・・・・・・・・こんな低級な奴に・・・・・・・・」
さらに大きな音を立てて破片が飛び散る。
「・・・・・・・・っ・・・・・・・・頼むよ、兄ぃ・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ろ・・・・・・・・・・・・・・・・」
「え?」
それまで黙っていた達也が、ぽつり何かを呟いた。
呆然とした表情を浮かべて彼は振り返る。
「・・・・・・・・今・・・・・・・・」
「『昌宏』」
その次の瞬間、閃光が炸裂した。
- 5 -
進行方向から風が流れてきた。
「・・・・・・・・・」
それに混じる2つの臭いに、彼は眉を寄せる。
「・・・・・・・・・ったく・・・・・・・・・」
脇に抱えた少年を肩に抱え上げて、不機嫌そうに呟いた。
「どいつもこいつも馬鹿ばっかだ」
眩しくて閉じていた目をゆっくりと開く。
すでに目の前には、あの黒い影はなくなっていた。
「大丈夫?」
差し伸ばされた手を掴むかどうか迷って、達也は男の顔を見た。
腰を地面に降ろしているのも相まって、かなりの長身に見える。
実際に背が高いのだろう。
しかし、大きいというよりは細長いのかもしれない。
真っ黒な髪を後ろで束ねて、左耳にピアスを着けて、まるで不良のいい見本じゃないか。
ぼんやりと達也はそう思った。
「・・・・・・・・・アンタ誰?」
手は取らず、男と目を合わせて達也は訊いた。
「え。・・・・・・・・・あー・・・・・・・・・」
達也の問いかけに、男は目を泳がせた。
「えー・・・・・・・・・どう説明したらいいんだろ・・・・・・・・・」
うんうん唸りながら悩んでいる姿を見て、悪い奴ではないな、と達也は根拠のない確信を持った。
「・・・・・・・・・えっと、君は魔法って信じる?」
しかしその言葉で、確信はあっさりと消え去った。
「何が狙いか知らないけど、それ以上近付いたら警察呼ぶぞ」
「普通に否定された!」
睨みつけながら言った言葉に、男は声を上げる。
「根本否定されたら説明できないし・・・・・・・・・・・・・・・・・・あー!もう!どうすりゃいいのよ!」
早く来てよ、たいちくん。
男がそう呟いた時、背後で足音がした。
達也と彼は同時に振り返る。
「太一君!!」
「シゲっ!?」
そして同時に声を上げた。
足音の主は不機嫌そうな顔で、肩に抱え上げていた少年を地面に降ろす。
「シゲ!」
茂は気を失っているようで、駆け寄ってきた達也の呼びかけにも反応しない。
「お前、シゲに何した」
「アンタと同じように襲われてたから助けてやったんだよ」
今にも人を殺しそうな表情で唸るように訊いた達也に、茂を連れてきた小柄な男は視線を逸らして答える。
「・・・・・・・・・っ・・・・・・・・・」
襲われたという言葉に、達也は慌てて茂を確認しだした。
「怪我はしてないよ。昌宏と違って俺は攻撃できるから」
達也の行動を見て、不満気に彼は答える。
「・・・・・・・・・う・・・・・・・・・」
「シゲっ」
その時、茂が小さな声を出して目を開いた。
「・・・・・・・・・達也・・・・・・・・・?」
「よかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
茂が目を覚まして安心したのか、達也は小さく息をつく。
「助けてくれたのはありがとう。でもアンタらは怪しすぎだから俺らはもう帰る」
そして2人を見上げてそう言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺らはずっと君達に会いたかったんだ」
茂を起き上がらせようとした達也に、背の高い男が突然声を上げる。
「・・・・・・・・・信じてもらえないってのは判ってる。でも、ずっと君達を捜してた!俺らの主人は君達以が」
「俺は認めねぇぞ」
必死な表情の男の言葉を、小柄な方が遮った。
そして、状況が理解できずに呆然としていた茂を睨みつけ、さらに口を開いた。
「そんな、自分から危険なところに行って、自分の身さえ護れないガキがあの人の生まれ変わりだなんて、俺は認めない」
その言葉に茂の表情が微かに歪んだ。
「太一君っ!」
「魂は同じでも、こいつはダメだ。こんなガキ、魂の価値に見合わねぇよ」
「太一君言い過ぎだよ!!」
「ガキに意味なんて解るわけねぇだろ」
長身の男の叱責に、小柄な方はその手を振り払い、森の奥に消えていった。
「太一君!!」
男は小さくため息をつき、困った顔をして2人を振り返った。
「ごめんね。さっきの言葉、気にしないで。存在の価値なんて決めつけちゃいけないものなのに・・・・・・・・・」
悲しそうにそう言い、さりげなく手を出して茂を立ち上がらせた。
「俺はまだここにいるから、何かあったらまた来てね」
そして彼はその場から消えた。
- 6 -
あの日以来、特に困ったことは起きなかった。
いつも通りの、普段と何にも変わらない1日が過ぎていく。
俺も茂も、あの日のことは触れなかったし、何だかんだすることが多くて、口に出す暇がなかった。
強いて変わったことを上げれば、茂が少し落ち込んでいるような気がすることぐらいだろうか。
だけど、それよりも、俺はあの背の高い奴のことが気になっていた。
ある日、茂が委員会で残るというから、俺は行かないようにしていた裏山へ行ってみた。
この前と全く変わらない、静かな森の中を俺は黙々と登っていく。
そして、この間、変なものに襲われたところで足を止めて、背の高い奴を呼んでみた。
「まさひろー!!!」
空に向かってそう呼んだ瞬間、横にあった木から大きな音を立てて何かが落ちてきた。
「ぎゃあ!!」
驚いて何も言えずにいると、草むらから声が聞こえた。
「・・・・・・・・いたたたた・・・・・・・・・」
ガサガサと音がして、草むらの向こうからひょっこり頭を覗かせる。
それは前見たままの男の姿だったから、少し安心して息をついた。
「・・・・・・・呼んだよね?」
少し困ったような顔をして、男は俺を見る。
「うん。呼んだ。そんな風に落ちてくるなんて思わなかったけど」
「・・・・・あ、いや、これは気にしないでよ。ちょっとビックリしただけだからさ」
恥ずかしそうにそう言って、そいつは草むらから出てきた。
「何か用?」
そして、俺と視線を合わせるように少し屈んで、首を傾げた。
よく見ると目の色が少し紫色だ。
「訊きたいことがあるんだ」
「・・・・・・・・・・・・訊きたいこと、ねぇ」
俺の言葉に、そいつは立ち上がって周りを見渡す。
「ここじゃなんだから、移動しない?いろんな奴が聞き耳立ててウズウズしてる」
そして俺に向かって手を差し出した。
「・・・・・・・・・・・・・アイツはいんの?」
「アイツ?」
「あのちっちぇえ奴」
「ちっちゃい・・・・・・・・・・あぁ、太一君ね。今はいないよ」
苦笑を浮かべながらそいつは答える。
明らかに胡散臭い状況ではあったけれど、知りたいことがあったから、俺は迷わずその手を取った。
- 7 -
「飛べたらベストなんだけどねぇ」
俺高所恐怖症なんだよね。
そう言いながらそいつは俺を抱えて屋根から屋根へ飛んでいく。
これでも十分高いじゃないかと内心思いながら、俺は黙ってそれを聞いていた。
「どこ行くんだよ」
「あそこから離れないと、いろんな奴が聞いてるんだよ」
「いろんな奴って何」
「こないだみたいな奴とか。言っとくけどね、君、こっちの方じゃ有名人なんだからね」
「こっちってどっちだよ」
「俺みたいな奴ってこと。お、あの辺とかいいかも」
そして、そいつはある建物の屋上に着地した。
俺を降ろして、少し離れた位置に立ち、手を払うように叩いた。
「ちょっと待ってね。結界張っとかないと、どこで聞いてるか判んないし」
そう言って、胸の前でパンと手を合わせる。
その手をゆっくりと離していくと、手と手の間に正八面体の透明な何かが浮いていた。
「何それ」
「結界の種だよ」
そしてそれを放り投げると、空中で大きくなって、俺たちを包んだ。
「これで大丈夫」
「あのちっちゃいのどうなったんだよ」
「あるよ。目に見えないだけね」
笑いながらそう言って、そいつは地面に腰を降ろす。
「で、聞きたいことって何でしょ。山口達也君」
「・・・・・・・・・・・・・俺の名前知ってるんだ」
「もちろん。調べたからね。ちなみに俺は昌宏ね。ポチじゃないから」
二カッと笑いながら、そいつ、昌宏はそう言った。
「やっぱポチなんだ」
「何ならあっちの姿になってあげようか?」
言うが早いか、座った昌宏の姿が光に包まれる。
「!!」
一瞬、眩しくて顔を背けた。
それが消えた後には、黒くて大きな犬がその場にいた。
【と、いうわけなんだけども】
「しゃべった!!」
【いや、普通の犬じゃないんだから、喋れますよ】
「何となく予想してたけど、いざ喋られるとビックリするじゃん」
【ま、そりゃそうね】
そしてまた光に包まれて、元の人間の姿に戻った。
「本題に戻ろうか?」
「あんたの正体が知りたい」
俺がそう言って昌宏の顔を見ると、ニッと笑った。
「じゃあ、俺が魔法とか悪魔とか言っても、とりあえずは話全部聞いてくれる?」
その問いかけに俺が頷くと、その場に座るように促される。
「単刀直入に言うとね、達也君」
俺がその場に胡坐をかくと、昌宏はそう切り出した。
「君はこっちの世界でメチャメチャ有名だった、最強の魔法使いの生まれ変わりなんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
本当に単刀直入な言葉に、俺は思わず固まった。
「うーん。じゃあ昔話から始めようかな。昔、それこそ百年位前の話なんだけどね」
そうして昌宏は苦笑を浮かべながら、御伽噺のように話し始めた。
- 8 -
昔、あるところに魔法使いと魔女がいました。
彼らは恋人同士ではなかったけれど、ずっと一緒にいました。
時には敵同士になったこともあったけれど、結局最後は2人仲良く暮らしてました。
それが、実は、魔女は不老不死だったんだけども、魔法使いはそうじゃなかった。
ある日、当然のことながら、魔法使いに寿命が来ちゃったのです。
そうしたら、魔女も一緒に寿命を終わらせることを決めてしまいました。
それで困ったのが2人の使い魔でした。
使い魔は主人から魔力をもらって生きています。
だから主人が死んでしまったら魔力がもらえなくて死んでしまいます。
それを知っていた魔法使いと魔女は、2匹の使い魔と契約を解除しました。
そして言ったのです。
『好きなように生きなさい』
その最後の命令に、2匹の使い魔は、もう一度主に仕えることを決めました。
「だからずっと探してた。主の生まれ変わりを。
あの人は変人だったから、生まれ変わるわけないって言ってたけど、
実際にこうやって同じ魂の匂いをさせてる人がいるんだから仕方ないよねー」
あはは、と笑う昌弘に、どうしてか、仕方ない奴、と思ってしまう。
「俺はあの人以外に従いたいとは思わないし、今更ただの魔物に戻るのも微妙だし。
姿形や考え方が違ってても構わないんだ。俺はあの魂の在り方に惚れたんだから。
だから、君が認められるなら、俺は君に従うし、死ねって言うなら今すぐ死んでも良いよ。
それだけの覚悟を持ってあの人の下についたんだし」
その自信に満ちた口調から、きっとそれは本当なんだろう。
「・・・・・・・・・・じゃあ、アンタはその話の中でいう、使い魔ってわけ?」
「そういうこと。で、君が俺の主人だった魔法使いの生まれ変わり」
「ふぅん・・・・・・・・・・・・・。じゃあさ、俺も、その魔法ってやつは使えんの?」
俺がそう問いかけると、昌宏は驚いた様子で目を見開いた。
「・・・・・・何だよ」
「・・・・・・・え、あ、いや、兄ぃはそういうこと言う人じゃなかったから・・・・・・・・」
「兄ぃ?」
「ああ、その魔法使いのこと。俺、そう呼んでたんだ。だからちょっとビックリして」
少ししどろもどろになりながら昌宏はそう言った。
「俺はその魔法使いじゃないんだから、違うこと言ってもおかしくないだろ?」
「うん、そうだけど。同じ顔で違うこと言われると、ねぇ」
「そんなもん?」
「・・・・・・・・・・その答え方もそっくりだなぁ。君、あの人にそっくりなんだよ、外見」
俺の答えに、昌宏は苦笑を浮かべてそう言った。
「まぁ、いいや。じゃあ逆に質問。君は魔法使えるようになって、どうしたいの?」
今までとは違って、その薄紫色の目で、じっと俺の目を見据える。
きっと、この答えで俺を試すつもりだろう。
だからここでは嘘はつけない。
そもそもつくつもりなんてない。
「魔法が使えるなら、こないだみたいな奴も追い払えるんだろ?
なら俺はそれを使えるようになって、茂を守りたい」
それ以下の理由も、それ以上の理由もなく、それが唯一で絶対の理由。
「そんだけだ」
じっと見てくる視線に負けないように、俺も薄紫を見つめ返す。
そのまましばらく沈黙が続いた。
「・・・・・・・・・うん。それでこそ俺が選んだ人間だよね」
そして、昌宏は突然そうやって笑う。
「じゃあ、こうしよう」
俺がホッとしていると、昌宏は勢いよく立ち上がった。
「俺は君に魔法を教える。その代わり、俺と契約してくんない?」
「契約?」
「そう。俺がアンタの使い魔になる代わりに、俺の命と魔力を君が支える。
といっても別に大したことじゃない。一緒にいさせてくれればいいんだ。
そうすれば自然と魔力はもらえるからね。後はまぁ、お使いにしてくれればいいよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・パシリかよ」
「パシリじゃなくて“お使い”!そこ間違えないでよ!」
俺の呟きに、昌宏はムキになって言い返してくる。
「で、どうする?」
「いいよ」
即答で許諾した俺に、昌宏はニヤリ笑う。
「後悔しないでよ?」
そして俺は、上手いこと乗せられたことに気が付いたのだった。