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ページをパラパラめくる音が部屋の中に響く。
この家の中には、僕の挙動に干渉するヒトはいない。
周りを気にせず本が読める。
最高の時間だ。

小さく部屋の扉が音を立てた。
ちょうどキリが良いところだったので頭を上げる。
「やっぱりここにいた」
入ってきた達也がため息混じりに僕に声をかけた。
「何読んでんの?」
達也は僕の真横に腰掛けて、僕の読んでいた本を覗き込む。
「・・・・・・・・・好きだねぇ。こういうの」
「おもしろいやん?」
「アナタの雰囲気に合わないよ?」
「だからここで読んどるんやろ〜」
達也の言葉に答えながら、僕は本を閉じた。
「でもどうやって手に入れてんの?学校にはないでしょ」
「・・・・・・・・・智兄ぃに買ってきてもらってん」
「あぁ、なるほど」
立ち上がった達也に倣って僕も立ち上がる。
「でもアイツ、あんまり信用すんなよ」
「何で?」
「何ででも」
達也がこう言う時は、大抵の場合正しかったりする。
でも従兄を信用しないのはどうなんだろうか。


「今日はどこ行くん?」
「裏山の方行ってみようよ」
休みの日は決まって2人で出かける。
大体が、行き先を決めるのは達也だ。
僕はそれに黙ってついていく。
そうすれば道に迷う事もないし、安全だから。
「あれ?2人ともどこ行くの?」
玄関を出ようとした時、ちょうど入ってきたのは智兄ぃだった。
「ちょっとそこまで」
達也は素っ気なくそう答えて、外に出ていく。
「遊びに行くの?」
「うん。あ、こないだの本ありがとう」
「おもしろい?」
「うん!まだ全部読んどらんけど、」
「シゲっ!早く行こうよ!」
僕の言葉を遮って、達也が僕を呼んだ。
「あっ、待って!また後でな!」
「いってらっしゃい」
智兄ぃは笑顔で僕に手を振る。
少し先に行っていた達也は、僕が追いつくと少し怒ったような顔をした。
「あんまり仲良くすんなって言ったばっかりなのに」
「でも智兄ぃは良いヒトやんか」
僕がそう言うと、達也は怒ったように言った。
「良いヒトじゃねぇよ」
そしてふいっと視線を逸らす。
「行こう」
でも僕の手を掴んでぐんぐんと歩き始めた。
「ごめん、達也」
「・・・・・・・・・何で謝るの」
「やって怒っとるやん」
「怒ってないよ」
「怒っとる」
「怒ってないよっ!もういいよ、智也が良いヒトなのは判ったよ。それでいいから」
達也は振り返ってそう言った。
「ごめん、強く言い過ぎた」
そして少ししょげた表情をして謝る。
「ううん、僕こそ」
僕がそう返すと、達也はほっとしたように笑った。

僕らは大抵こんな感じだ。
ケンカをしても長引かない。
小さい頃からずっと。

お互いにお互いの事がよく解る。



僕らは半分しか血が繋がっていないのに。







- 2 -




兄の茂がどうなのかは判らないが、俺の目はこの世のモノではないモノを、時々映し出す。
死んだヒトだったり、明らかにこの世界には存在しないモノだったり。
ずっと昔から見えていたから、今更怖がることはないけれど、そいつらには時々腹が立つ。
きっと、いや、確実に、茂には見えてないんだろう。
それにあのヒトは理系人間だから、こういうモノの存在自体を断固否定する。
だから、まさか自分の周りにそういったモノが寄ってきている事なんて気付いてないに違いない。
でもそういう時、大抵茂は体調を崩す。
良くないモノが、茂の気力を吸い取ってるから。
だから、腹が立つ。




出かけるときは決まって俺が行き先を決めた。
茂に訊いても「どこでも良い」と答えるし、どこに連れていっても喜んでくれたから。
けれど、行く場所は多少選ばなければならない。
だって茂は少しドジなところがあるから、何もないところで転んだり、ちょっと目を離すと道に迷ったりする。
今もふと気になって振り返ると、まさに転ぼうとしているところだった。
とっさに手を出して受け止める。
「ありがとぉ」
「足下気を付けてよ、転びやすいんだから」
嬉しそうに笑った茂に、俺は照れくさくなって突っ慳貪に言葉を投げかけた。
そうやって笑ってくれることを嬉しいと思ってるなんて知られたくないから。
気後れしているのか、茂は家族の前では笑わない。愛想笑いくらいはするけど。
そして、何でか知らないけど、友人の前では作り笑いをする。
本当の笑顔は俺に向けてくれるものだけだと、俺は思ってるから、だから嬉しい。
だから俺は茂を連れ出すのかもしれない。
「行こ。この上崖みたいになっててさ。景色めっちゃキレイだよ」
「ホンマ?楽しみやなぁ」
目を輝かせて茂は歩き出す。
その背中を少し見て、俺も続いて歩き出した。


道は少し登り坂になっていた。
何だかんだとくだらない事を話しながら歩いていく。
すると、不意に横手の方からがさがさと音がした。
俺は思わず茂を自分の後ろに移動させた。
だんだんと音が近付いてきて、2人で息を飲んだ瞬間、草むらから顔を出したのは黒い犬だった。
「・・・・・・・いぬ、かぁ・・・・・・・」
後ろから小さく息をついたのが聞こえた。
そいつはこっちに気付いて、頭を出したまま動きを止めた。
こっちもどうしていいのか判らなくてそのまま固まる。
すると、その犬はのそのそと草むらから出てきて、その場に座った。
意外とでかくて驚いたが、そいつはそのまま伏せの体勢をとって尻尾を揺らし始める。
「・・・・・・・・・・・・・・喜んどるん?」
俺の後ろから覗き込んで、茂が呟いた。
「・・・・・・・かな・・・・・・・?」
何となく、その予想は合っているような気がして、俺は近付いて手を出してみる。
するとそいつは少しニオイを嗅いでから、鼻を押しつけてきた。
「シゲ、こいつ大丈夫だよ」
そいつの頭を撫でながら、俺は茂を振り返る。
茂も、少しビビってはいたけれど、ゆっくりと手を出した。
犬は差し出された茂の手を舐めて、傍に寄ってくる。
「おわ・・・・・・・」
あまり動物は得意じゃない茂が少し嬉しそうにしているのを見て、俺も少し嬉しくなった。







- 3 -




数人の学生が校門から出ていく。
出たところで1人、手を振って集団とは逆の方向に歩いていった。
彼は急ぐでもなく、のんびりと道沿いに進んでいく。
しかし、不意に立ち止まった。
彼はその右手の方に広がる鬱蒼とした森を見つめる。
そして、引き寄せられるように森の中に入っていった。


誰もいなくなった道に、塀から1匹の黒猫が音もなく降りてきた。
それは空中で少し鼻を動かすと、ゆっくりとした足取りで彼と同じく森の中に入っていった。













学校から帰るとすぐに裏山に走った。
茂と2人で買ったドッグフードを持っていたが、茂は隣にはいなかった。
しばらく登り坂を上る。
俺の足音を聞きつけたのか、草むらから影が1つ飛び出してきた。
「ポチ!」
適当につけた名前を呼ぶと、嬉しそうに飛びついてくる。
鼻を鳴らすから、持っていたドッグフードをあげると、嬉しそうに食べ始めた。
「今日はタマはいねぇの?」
俺がそう訊くと、ポチは顔を上げて首を傾けた。

この間、出会ったのはこいつだけじゃなかった。
茂に妙に懐いていたポチの後からもう1匹、黒い猫が現れたのだ。
そいつも人慣れしていてすり寄ってきたから、とりあえずタマと名付けた。
決めた時、2匹は何となく微妙な顔をしていたような気がするが、
主張があっても犬や猫の言葉なんて解らない。
だからそのまま呼び続けているけど。

「今日シゲは委員会で遅くなるんだってさ」
頭を撫でながら言うと、ポチは鼻を鳴らした。
「頑張るよなぁ、シゲ。勉強もだけど」
小さくため息が出る。
「・・・・・・・・・・・・あんなに頑張らなくてもいいのに・・・・・・・・・・・・」
ぽつり呟くと、何を思ったのか、ポチは俺の方にすり寄ってきた。
「どした?」
頭突きをするように俺の肩に頭をぶつける。
「なぐさめてくれてんの」
嬉しくなってポチの顔をわしゃわしゃとかき回した。
ポチが嬉しそうに鼻を鳴らす。
その時、生温い風が吹き抜けた。
嫌な感覚が背中を走る。
「・・・・・・・・・・・・何だ・・・・・・・・・・・・?」
風上に視線を向ける。
同じくそっちを向いたポチが唸り声を上げ始めた。
瞬間、全身に鳥肌が立つ。
頭のどっかで警報が鳴ってるのに、金縛りにあったみたいに身体が動かない。
見ていた方向から視線をそらせないまま、何かがそっちから来るのを感じた。
この世のモノじゃないおぞましいモノが音もなく近付いてくる。
そして、暗い獣道の向こうに、赤く光る目が見えた。



ヤバい



頭の中で激しく鐘が鳴る。
逃げなきゃいけない。
でも動けない。
生温い、粘り気のあるような重たい空気を引き連れて、それは目の前に現れた。
そしてそれまでの動きからは想像できない速さで、その黒いモノが俺に向かってくる。
俺は、逃げなきゃいけないのに、何もできずに目を閉じた。






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