生まれてこの方二十数年。
この砂の海原で長いこと暮らしてきたけれど、相変わらずの不便さに辟易する。
見渡す限りの黄土色と雲一つない青空。そして照りつける太陽に、ボクは身体的精神的に限界を感じていた。
つい先日まではエアコンの付いた涼しい部屋で、自作の兵器を研究していたけれど、
それを破壊して逃亡してきた今ではあの快適さは夢のまた夢。
初めからそれが目的で軍に入隊したのだけれど、今の状態を思えば少しもったいなかったような気もする。
まぁ、故郷も家族も吹っ飛ばした軍にこれ以上の利益を与えるほど、ボクはお人好しでもバカでもなかったという訳だ。
よく考えれば、脱走してくる時にボクが携わったモノ全てのデータを消去してきたのだから、
軍は損をしたことになるんだろうが、そんなことはボクの知ったこっちゃない。
そんなことより可及的速やかに解決しなければいけない当座の問題としては、水と食料だ。
元々ボクはそんなに体力のある方ではない。
腕力も自信がなかったから、移動のことを考えて食料も水も大して用意していなかったのだ。
昔は、と言っても5、6年ほど前のことだが、弟とよく砂漠をふらふらと旅をしたものだが、
その時は彼がほとんど持ってくれていたから苦ではなかった。
弟、まぁ異母弟ではあるけれど、彼はボクと違って体力的には恵まれていた。
そして彼は錬金術を最も得意としていたため、物に困ることはなかったのだ。
だからあの頃の旅は今に比べればかなり楽だった。
しかも、しばらくの研究室生活で砂漠が何たるかを忘れてしまっていたらしく、
小さい頃から父親によく言われていたにも関わらず砂漠を甘く見てしまっていた。
そんなこともあって、ボクは迂闊なことに当時と同じような感覚で計画を立ててしまっていたようだ。
それに気づいたのは事を起こした直後。やり直そうにも研究室を爆破し、
知り合いとその同僚の目の前で兵器を破壊した後では何とも出来ない。
仕方なく予定通りジープを掻っ払って走り出したものの、そいつも予定よりもかなり早く燃料を切らし、
持ってきた食料もつい2日前に尽きてしまった。
水は何とか空気中の水分から錬成するという強硬手段をとってはいるが、
オールマイティに見えて実は錬金術は苦手なボク。そう続けられるものではない。
食料も、砂ばかりでサボテンも生えないこの砂漠では錬成のしようがないわけで。
というわけでボクは断食3日目を体験しているのだ。
空腹も3日目になると気持ち悪さを通り越して胃が痛い。
貴重な体験だと気楽に思えていたのも2日目も終わりがけまで。
まだ水があるだけ幸せかもしれないが、我が侭を言うならば、肉が食いたい。
いや、この際肉に見せかけて、畑の肉と言われる大豆から作った豆腐とかいう食べ物でも構わない。
とにかく何か食べられるものを腹に収めたかった。
そんな朦朧とした中、ふと気になって振り返った。
そして、遥かと言うほどでもないが、それなりに離れた遠くに大きな黒い影が見える。
とっさにボクは地に伏せて、音を聞いた。
こんな習慣が自分に残っていたことに驚いたが、どうやらそうのんびりと驚きを噛みしめられる状況ではなかった。
「・・・・・・・・・・・・・嘘やぁ・・・・・・・・・」
ボクは思わず思考を口にしていた。
聞こえたのは足音ともう1つ。
後者はジープ。音から判断するに、前者は四つ足の大型動物だろう。しかも走っている。
そしてボクはこの音に聞き覚えがあった。
犬神だ。
神といっても陰陽道でいう八百万の神様に名前を連ねるような偉大な存在ではない。
簡単に言うならタンクローリーサイズの巨大な犬、いや、狼である。
そんな感じで巨大なもんだから、脳味噌のサイズも一般的な犬の何十倍もあるわけで。
そりゃもう知能は人間ほどある。身体構造上言葉を発することは出来ないが、
人語は確実に理解している、とっても賢い巨大なわんこなのだ。
巨大になったからといって犬の習性が消えるはずもなく、奴らは相変わらず上下関係を大事にしている。
今の場合、奴らの飼い主は軍であり、奴らは軍の指示に従うのである。
つまり、だ。
ボクは2週間ほど前に軍の支部を1つ潰して逃走した脱走兵。しかもボクは機密性の高い部署に所属していた研究員であり、
とある最強兵器解析の責任者であり、最終兵器として軍が期待していたそれを破壊した張本人でもあるわけで。
奴ら犬神とその後ろを走るジープの狙いはこのボクなのだ。
普段のボクなら迷うことなく得意の魔法で吹っ飛ばしていただろう。
しかし今は気力体力共に底を尽きかけている。
そんな状態で魔法なんて使えないし、使ったとしても制御できずに暴発するのが関の山だ。
でも黙って捕まるボクではない。こんな所で捕まったり、あまつさえ殺されたりなんてしてやるものか。
逃げきれるはずもないのに、ボクはそんな意地を糧に走り出した。
しかしそれで逃げきれるほど人生は甘いもんじゃない。
足下は砂で走りにくいし、元々足は速い方じゃないし、状況も状況だし。
近づいてくる音は次第に大きくなり、犬神どもの息遣いも聞こえてくる。
周囲に巨大な岩が増え始めた時、ボクはネコパンチならぬ犬の張り手を横から食らって吹っ飛んだ。
そして運の悪いことに石柱に背中からぶつかってしまったのだ。
「がっ」
一瞬目の前が白くなり、息が出来なくなる。砂の海に落下したと同時に激しい痛みが襲ってきた。
ぐるぐると低い唸り声が近付いてくる。
ボクは根性だけで上半身を持ち上げ、砂地に普段は描くことなんて滅多にない魔法陣を描いて、
しかも基本中の基本である氷の呪を口にした。
そこで気付いたのだ。
不得意な錬金術など使わず、魔法を利用して水を造ればよかった、と。
とりあえずそういう衝撃的な事実への後悔は置いておいて、このでっかいわんこたちを撃退しなければボクの未来はないこと必至。
レベルの低い呪を魔法陣を描いて使えば暴発の心配はほぼない。ただし、倒せるかどうかは微妙なところだ。
ボクは魔法陣に手を着いて最後のフレーズを唱えた。
陣は青白い光を放ち、そして現れた数十にも及ぶ氷の矢が奴らに向かって飛んでいく。
そこで、ボクは大きな間違いを犯したことに気付いた。
犬神の1頭ががばっと大きな口を開けて、火を吐いた。
ボクの攻撃はことごとく蒸発し、しかもその余波でボクの足下の地面は吹っ飛んで、再びボクは宙を舞った。
そう。
犬神は魔法というのか陰陽道というのか、その類の、しかも火焔系の力が使えるのだ。
これはかなりの失態。助かる見込みはほぼゼロになってしまった。
だってもう、身体は言うことを聞いてくれない。砂の大地に俯せに倒れたまま動けなくなった。
犬どもがボクの生死を確認してるのか、荒い鼻息が聞こえてくる。
あぁ。
死ぬ前に走馬燈のように思い出が走り抜けるというのは本当なんだ。
ボクは今まで忘れたことのなかった小さい頃の約束を思い出した。
あれは確か8つか9つの頃だ。
2週間だけ一緒に過ごした奴がいて、ボクはそいつと約束した。
でもそいつは出会って2週間でいなくなって、ボクの故郷も吹っ飛んだ。
でも、それから何年後かに前言った理由で軍に入隊して、驚くことにそいつと再会した。
あっちは気付いてないみたいだったから、忘れてしまったんだろう。だからボクも知らん顔を続けた。
同じ支部ということもあって多少は話すようにはなったけれど。
でもボクは律儀にも約束は守っていた。
タウとビコの技法を習って、初めて自分1人で創ったそれは、今でも誰にも渡さず、自分でも使わずに取ってある。
これはそいつのためのモノだから。
よく考えてみればそれを渡さずにここまで来てしまった。
それはボクの左耳についているけれど、今更使えるものでもない。それに使ってしまえばボクのモノになってしまう。
あぁ。なんてことか。
ボクがもう少し諦めのいい人間だったならこんな事にはならなかったろうに。
こんな状態になってまで、死にたくないと思うなんて。
死ぬ間際に恐怖を感じるとは、それはそれは最悪な最期を迎えることになるだろう。
うっすらと目を開けると、意識が朦朧としているせいか、あいつの顔が見えた。
期待しているようなガッカリしているような、何ともいえない顔をして。
そういえば兵器を破壊したときもこんな顔をしていた気がする。
そいつは少し口の端を持ち上げて、言った。
「死ぬの?シゲ」
そのヒトをバカにしくさった態度がひどく癇に障る。
・・・・・・・・・・・・・畜生。
こんな死神に看取られて死んでたまるか。
「・・・・・・・・んで・・・・・・・・死んで、たまるか・・・・・・・・」
最後の力を振り絞ってそいつを睨みつけ、中指を立ててやった。
ざまぁみろ。
ボクはお前の望むとおりに死んでなんてやるもんか。
ボクは赤の民シャラックスの族長の第一子であり、『深緑』の名を受けた最高位の魔術師なんだ。
目が赤くなかろうが、この力全部注いで運命だって変えてやる。
こんな所で犬死にしてたまるか。
「・・・・・それでこそシゲだよね。まぁこんな所で死ぬなんて俺が許さないけど」
死神は何故かそう笑って、ボクの服の首元を掴んで持ち上げる。そのままボクを担ぎ上げて歩き出した。
「!?」
「俺ずっと待ってたのにヒドくない?」
ボクはジープの助手席に投げ込まれ、水の入ったボトルを渡された。
窓ガラスの向こうでそいつは犬神たちに指示を出している。
犬神はそいつに鼻を押しつけてから元来た方に戻っていった。
「ちょっと待って」
戻ってきたそいつは何も言ってないボクに待つように言う。
小さくポソポソ何かを呟くと、そいつが翳した手から薄桃色の光が溢れた。
少しずつ身体の痛みが取れて、だるさが和らぐ。大抵の軍人なら使える回復系の魔法だろう。
ということはこいつは人間だということになる。神は魔法や錬金術といった力を使わないのだから。
「・・・・・・ヤマ・・・・・・・グチ・・・・・・・・」
「何?」
「・・・・・・何、で」
「忘れたなんて言わせねぇよ?シン」
ボクの問いににっこり微笑んで言った。
有無を言わせないその笑顔。女はイチコロだろうが、今はとても恐ろしい。
「俺はまだアナタが一番最初に創ったタウをもらってない。ビコっていうんだっけ?」
「・・・・・・覚えて・・・・・・」
「忘れるわけないだろ。アナタとの出会いが親父の言う通りに生きるはずだった俺の人生を変えたんだから」
少し怒った様子で彼は言う。ジープが勢いつけて走り出した。
「ていうか、忘れてると思う方がおかしくない?
まぁ確かに初めてアナタを見た時はこんなふうに金髪だし、判んなかったけど、でも空気は変わんないよ。あの時のまんま」
「・・・・・・・お前、性格悪くなったんとちゃうか」
「言うね、ヒトのこと言えないくせに。てか西の方の訛だっけ?」
こんなズバズバ言う奴だっただろうか。確かに2週間しか一緒にいなかったわけだから猫被ってたとも言い切れないけども。
「待つのは俺の性分じゃないのに、俺ずっと待ってたんですけどね」
「・・・・・・・・は・・・・・・・・?」
「何で俺に話を持ちかけてくんなかったかな。俺もアナタみたいに派手に軍抜けしたかったし」
少しふてくされたようなその台詞に、ボクはようやくジープの進行方向が支部とは逆なことに気付いた。
「支部に戻るんちゃうんか!!」
「あんな所戻ってどうすんの。別に俺アナタを連れ戻しに来たんじゃないし」
「やって犬神・・・・・・・・」
「アレは俺が世話してた俺の私設部隊。まぁ、もうアイツ等は軍属じゃないけどね。そう指示出したから」
私設部隊とはどういうことだろうか。
もしかして、時々耳にした『破壊神は犬神をも素手で手懐けた』という噂は真実なのだろうか。
もちろん“破壊神”とは、このたくましい体躯と小麦色の肌を持つ御仁の通り名であるけれど。
「そうそう。さっきはゴメンねー。俺を除け者にして1人で出てくもんだからムカついちゃってさ。
思わず『一発やっちゃって』って指示しちゃったら、追いついたらシゲ吹っ飛んでたんだよねー」
「・・・・・・・・・・・・・・」
あはは、と笑って告げられた事実に、何かがみしりと音を立てたような気がした。
「あ、それとね。シゲがかっぱらったジープの燃料を満タンから3分の1にしといたのは俺ね」
涼しい風が吹き抜けるような、とても爽やかな笑顔を浮かべてヤマグチが言う。
ボクの頭の中のどこかがブチっと言った。
「なん・・・・・・・・・てことすんねんボケェ!!!
そんな笑って言うことかぁ!!その所為で死に掛けたやんかボク!!!」
「だってムカついたから」
「ムカついてもやっていい事とやってよくない事があるやろぉ!!!」
「そんな声上げると倒れるよ?」
ブチキレるボクとは対照的にさらっと言うヤマグチ。
絶対にこいつは性格悪い。
「実はね、俺も軍抜けしてきちゃった」
・・・・・・・・・・・・・・何なんだろう。コイツは。
何でまたそんな爽やかな笑顔で、あっさりと言うんだろう。
「抜けた!!?抜けたって、えぇ!!?抜けた!!?支部長の息子のお前が!!?」
「うん」
「なん・・・・・何考えとんねんお前!!!」
この男、実はボクが潰した支部の最高司令官の息子だったりするのだ。
「だって、俺親父の命令に従って人殺しするために軍人になったんじゃないし。
軍にいても何もおもしろいこともない。議会とドンパチやって赤目殺して。
それよりもアナタについてった方が充実した人生が送れそうだからね」
あっけらかんとヤマグチは言った。
「・・・・・・・・・・・自分の立場解っとるんか」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。アナタね、『ゼウス』ぶっ壊してただで済むと思ってんの?」
ニヤリ笑ったその顔は、ボクの弱みをしっかり知っているようだが。
「・・・・・・・・・ボクはな、自分の情報もゼウスの情報も全部、本部のホストコンピュータも含めて、
軍内全てのデータベースから削除してきてん。指名手配しようにも数枚の紙の書類と人の記憶にしか残っとらん。
そんなヤツの指名手配なんてどんだけ先になると思ってんねん。ボクを甘く見たらあかんで」
ヤマグチがどんなにボクのことを知っていようが、ボクは弱みになるようなもんは出来るだけ消去してきている。
今この時点ではボクのほうが有利なのだ。
伊達に長い時間かけて『ゼウス』破壊計画を練ってきたわけじゃない。
「うっそ!!そんなこと出来るの!!?ヤッベー。俺情報全部残してきちまった」
あちゃー、というような台詞ではあるものの、表情はむしろ楽しそう。
「ま、いっか。人生1度や2度の指名手配があった方がスリルがあって楽しいしね」
「楽しないわ!!どこまで感覚ずれとんねん自分!!」
「ともかく、俺はシゲについてくよ」
ボクのツッコミをものともせず、ケラケラ笑ってヤマグチは言う。
「逃げても無駄だからね。地の果てまでも追いかけてくから」
背中に変な汗が流れるような、それでも目の離せない冷めた笑みを浮かべて。
「ねぇ。シン」
破壊を司る神は念を押した。
なんともはや。
ボクは何とも性質の悪いヤツに目を付けられてしまったらしい。
「・・・・・・・・・・どうなっても知らんで」
「望むところだよ。っていうかまずはちょうだいね、ビコ」
「・・・・・・・・・・図々しいやっちゃ」
「何とでも仰ってください」
本当に、『そんなこんなで』、波乱続きのボクの第2の人生は始まった。
---------------------------------------------------------
読みずら!!
シゲさん視点で書いたことがなかったので書いてみたらこうなりました。
流れがわかってもらえればそれでいいです。(最近こういうのが多い・・・・・・・・)
予想以上にヤマグチさんが黒く・・・・・・;
何だか謎は謎のまま、さらに謎を増やして終わってしまいましたね。
こんなはずじゃなかったのに・・・・・・・・・・。
これでマボとシゲさんの過去は書きましたね。
・・・・・・・・あとはぐっさんとたいっさんとベイベーを書かなきゃ。
2006/06/05
もどる