ネコのような奴だと、そう、思った。
stray cat
僕の姉はもう、長くない。
ついさっき医者から聞かされたその死刑宣告に、時間が止まってしまったような気がした。
平日の昼間。
大病院の割には人気が少ない。
白さが際立つ廊下。
そのリノリウムに僕の姿がぼんやりと映る。
僕ははっきりとしない頭のまま、緩慢な足取りで病院を出て、中庭に設置されていたベンチに腰掛けた。
両親のいない僕にとって、姉は唯一の肉親だった。
それが、気が付けば、余命幾許もない状態。
天涯孤独になってしまうなんてドラマティックな展開は、僕の人生には有り得ないと思っていたのに。
どうしたら良いのか判らなくて、無意識にポケットを探る。
出てきたシワだらけの煙草の箱の中には、最後の1本が残っていた。
それを銜えて、火を探す。
見付からなくて小さく舌打った時、横手からライターが差し出された。
「どうぞ」
いつの間に僕の横に座っていたのか。
年齢のよく判らない男が、僕に火を勧めてくれていた。
「・・・・・・・・・・・・・・どうも」
僕は軽く頭を下げて、その火を借りた。
火に当たる煙草がジリジリと小さな音をさせる。
微かに煙を上げ始めたそれを口に含み、紫煙を肺いっぱいに吸い込む。
ゆっくりと吐き出すと、僕の横でライターが再度カチリと音を立てた。
「6000℃らしいですよ」
しばらく、お互いに何も言わず、かと言って移動することもなく喫煙していた時。
そいつは唐突にそんな事を言った。
「・・・・・・・・・は?」
「煙草の先の赤い部分」
あまりに唐突な話に、僕は思わずそいつを見た。
そいつは僕の方なんて見ておらず、ただ真っ直ぐ先を見つめていた。
「はあ」
「身体に添ってだらりと腕を伸ばした時、小さい子どもの目の辺りにちょうど手が来るんですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・歩き煙草なんてしませんよ」
何を言いたいのか何となく解って、僕はそう言う。
そいつの視線の先、スーツ姿の中年の男性が、煙草を吸いながら歩道を歩いていた。
「それならいいんです」
僕の言葉に、そうにっこり笑って、僕の顔を見た。
満面の笑みだった。
そいつは二宮と名乗った。
「ネコは元気?」
姉はそう言って窓の外を見た。
状態が悪化した最近は、散歩にも出ていない。
「そういえば最近見てないかもしんない」
僕がそう言うと、姉は少し寂しそうな顔をした。
「・・・・・・・・・・ネコみたいなヤツになら会った」
「?」
「こないだ、中庭で」
言葉が足りないと思った。
けれどそれ以上、何を言えばいいかも判らなくて、僕はそれだけ言って黙る。
「・・・・・・・・・・いいヒト?」
姉はそれを推し量ったのか、それだけを訊いてきた。
「うん。おもしれーヤツだった」
「そう」
僕の言葉に、姉は笑った。
「ネコ、ですか」
ふふふ、と少しくすぐったそうに、ニノは笑った。
「うん。智君がそう言うならそうなのかも」
ベンチの上、ニノは膝を抱えて座る。
初めて会った場所で、やっぱり僕の隣で、2人、煙草を蒸かして。
「ニノは何してんの」
「入院してんですよ」
僕らの会話は突然始まる。
僕の問いに、大したことなさそうな様子で、ニノは答えた。
「病人が煙草吸ってていいのかよ」
「いいんですよ。身体を壊してるわけじゃないもん」
少し得意げに、ニノは僕を見て笑う。
言われてみれば、ニノの着ている服はパジャマのようだ。
特に気にしてみたこともなかったから、今まで気にならなかったけれど。
「怪我?」
「秘密です」
首を傾げた僕と同じ動きをして、立てた人差し指を唇に当てる。
「ならいいや」
別に、僕にとって、ニノがどんな理由で入院しているのかは大したことではなかった。
理由がどうあれ、ニノが僕の横に存在していることは明白なことだ。
だから僕は、ニノの手首に巻かれた包帯は見なかったことにした。
僕はその言葉に、何も言えなかった。
「ゴメンね」
突然、独り言のように、姉が言った。
日が沈みかける頃。
夕焼けが病室の中を照らして、朱に染まる。
口を開いたのに失ってしまった言葉を捜して、僕は黙り込んだ。
そして、赤い光が眩しくて、目を細める。
「・・・・・・・・・何言ってんの」
競り上がってきた悲しみを押し込んで、僕ははぐらかした。
姉も、そうね、と笑って、さっきの言葉はなかったことにした。
「野犬にでもやられたんじゃないですか」
立ち竦む僕の横にしゃがんで、ニノは静かにそう言った。
僕の足元には、無残な姿のネコの死骸。
それは姉が可愛がっていた野良ネコだった。
何も言えずにいる僕をニノは見上げて、そして何も言わずに立ち上がる。
傍の草むらから手頃な木の枝を探し出して、それを地面に突き立てた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何、してんの」
「埋めるんでしょ?」
訊いた僕に、ニノは背を向けたままそう答えた。
「そのままじゃ可哀想じゃない」
そして、ニノはあっという間に穴を掘って、ネコを荼毘に付した。
「・・・・・・・・・・・俺は死にたくねぇなぁ」
ぼんやりと紫煙を燻らせながら呟いた僕に、ニノが視線を向けた。
「何で?」
その問いに、僕はニノを見た。
「俺はあんなふうになりたくねーもん」
「あんなふうになるとは限らないじゃないですか」
「・・・・・・・・・・なるよ。あの冷たさは嫌いだ」
最期に触れた姉の手を思い出した。
あんなふうになってしまうなんて。
悲しいの前に、僕はぞっとした。
「・・・・・・・・俺はありますよ」
ポツリ、ニノがそう口にした。
「死にたいと思ったこと」
僕はゆっくりと、横に座るニノに視線を向けた。
体温を感じる距離。
初めて会った時から、僕らの距離はかなり近付いたと思う。
俯き加減の視線。
その視線の先が何を見ているのか、僕は知りたくなかった。
「怖いじゃねぇか」
僕はそう言った。
「俺は、嫌だ」
知りたくなかったのに、解ってしまった。
だって、姉と同じ目をしてる。
捨てられて、孤独を味わって、何も信じられなくなった、野良ネコの目。
「俺は、もう、嫌だよ」
知ってる人が目の前からいなくなるなんて。
「・・・・・・・・・・・・・・・怖いんですよ」
膝を抱えてニノが呟く。
「解らないんだ」
小さな小さな、言葉の粒。
姉のそんな言葉達も、拾ってあげられれば良かった。
「・・・・・・・そういう時は考えなきゃいいんだよ」
僕はそう言って、ニノの肩に腕を回した。
細い身体。
それが寂しい。
「・・・・・・・・・泣いていい?」
僕の言葉に、ニノが顔を上げる。
「まだ、泣いてないんだよね、俺」
ニノが口を開く前に、僕の目からは涙が溢れ出していた。
ポタリ、ポタリ。
雨の雫のように、Gパンを黒く斑に濡らしていく。
声も出ない。
ただひたすら涙だけを流して。
気が付くと、小さな肩が揺れていた。
膝を抱えて、顔を埋めて、小さく、静かに。
僕は何も言わないで泣き続けた。
そして風が冷たくなった頃、僕らは別れた。
ニノは退院して、僕の家にやってきた。
何をするでもなく、ぼんやりと日がな一日を過ごして。
時々その姿が見えなくなって、2日くらい後に帰ってくることもある。
それでも僕は何も言うつもりはない。
だってネコはそういうもんだろう。
*
何か意味が解らない・・・・・・・・・・・。
初めは違った内容だったんですけど、走って跳んでる管理人さまの言葉を聞いたらこうなりました。
ということでこの大宮は走って跳んでる管理人さまに押し付けます。(迷惑!)
あ、お姉さんの死因は病気じゃないです。事故でもなく、まぁ、ご想像にお任せます。
ホントは『荼毘に付す』って火葬の意なんですけど、語感が良かったので使いました。
ここでは土葬の意味で取ってください。
私の中の大宮ってこんな感じなのかなぁ。
2007/5/5
close