異なる時間の流れの中で
「シゲ」
名前を呼んで、振り返ったはずの親友は、俺と同い年のはずなのに、幼く笑った。
“幼く”というのは決して比喩なんかじゃない。
実際に幼くなっているのだ。
それは年齢退行症といわれている。
遺伝子の異常なのか、新種のウィルスが原因なのか、未だに原因は判っていない。
10万人に1人の確立で発症する、訳の判らない病気。
治療法も全く確立されていない。
20歳から30歳の間に発症して、時間の流れと同じスケールで若返っていく。
そして、0歳にまで戻ってしまった時点で、身体は生きることをやめてしまう。
いわゆる、不治の病。
シゲは今年で36歳のはずなのに、見た目は14歳だ。
11年前、25歳で発症した。
もうすぐ13歳になるだろう。
「どないしたん、達也」
本を読んでいたシゲはそれを閉じて、俺の傍にやってきた。
記憶の中にある彼は、確かに俺より背が高かったのに、今では視線を下げなければ目を合わせられない。
小さい頃は小柄だったんだと笑ったのは、2年ほど前のことだったかもしれない。
「今日は検診の日だっての覚えてるかなと思って」
「あれ?そうやったっけ?」
「そうだよ。ほら、準備してね」
「おん」
首を傾げていたシゲの肩を叩いて行動を促すと、シゲは自分の部屋に走っていった。
この病気の厄介なところは、退行するのが身体だけではないというところだ。
身体年齢の退行と共に、記憶も退行していく。
その人が辿ってきた全てが、完全に逆行するのだ。
病気の進行は時間の進行に等しい。
1日過ぎれば1日若返る。
そして思い出も一緒に消えていく。
今、この時、刻一刻と過ぎていく時間の間にも、少しずつ消えていく。
もう、シゲの頭の中には高校の頃の思い出は残っていない。
俺のことはまだ覚えていてくれているけれど、それがいつ消えてしまうか解らない。
だって、俺達が出会ったのは高校時代で、本来なら俺の記憶はもう消えてしまっているはずなんだから。
いつか俺は「世話をしてくれるお兄さん」になってしまうのかもしれない。
そう考えると少し寂しく思う。
「準備できたで」
出かける準備を万端にして、シゲが戻ってきた。
「じゃあ行こうか」
そう言って、俺は立ち上がった。
「なぁ」
不意にシゲがそう呼びかけてくる。
「何?」
俺が振り返ると、シゲは少し恥ずかしそうな様子で、それでも手を伸ばしてきた。
「・・・・・・・・・・・えと・・・・・・・・・・・・」
どうしたいのか言い澱んで、そのまま口を噤む。
何となく、シゲが何を言いたいのか解った気がして、俺はその手を握った。
「これでいい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そう聞くと、シゲは恥ずかしそうに顔を赤くして、視線を下げる。
病気が進行するにつれて、シゲは甘えを見せるようになってきた。
まだ、精神的には実年齢を維持しているから、常にそうであるわけではないけれど、時々、ふとした瞬間に、それが顔を覗かせる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あ り が と う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
小さく、やっと耳に届くぐらいの声で、シゲが小さく呟いた。
俯き加減のその様子に、俺は思わず小さく笑った。
そしていつもこう思うのだ。
この人が俺を必要としてくれている限り、俺はこの人の傍に居ようって。
少し力を強めて握ってきた小さな手を、俺はそっと握り返した。
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幼児教育の授業中に思いつきました。
でも実際に、自分の大切な人が、こうなったら嫌だなぁ。
その人と過ごしてきた日々が消えていくのは寂しいです。
忘れるのはいいけど、消えてしまうのは切ない。
あぁ、配役逆でも良かったかな。
2007/4/23
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