天使と悪魔の区別なんて、天地開闢当時はなかったそうだ。
ならば、誰が高慢な天使を創り、怠惰な悪魔を創ったのだろう。
そんな区別さえなかったら、こんな憎しみなんて存在しなかった。
微妙な通い家政夫生活と同居が始まって1週間。
「ただい・・・ま・・・」
バイトを終えて、ようやく辿りついた近々引き払う我が家の戸を開けると、そこにはむせ返るような緑が広がっていました。
思わず扉を閉める俺。
今のは夢に違いない。
卒論のデータ整理で疲れてるんだよ、俺。
自分にそう言い聞かせて、再び戸を開く。
開いた瞬間、ジャングルで生きてきました的なカラフルな鳥が横をすり抜けて飛んでいった。
「な…何じゃこりゃああぁぁあ!!!!」
思わず某殉職刑事の最期の雄叫びのような声を上げてしまった。
「おかえりぃ」
木々の向こうから楽しげに太一君が現れる。
「太一君っ!!何これっ!!」
「リラックスには森林浴がいいってテレビでやっててさ。バイト帰りの松岡にリラックスを、と思って」
にこやかにこちらに走ってきた。コレは絶対間違いなく確信犯。
「俺は布団で眠るリラックスがほしいのよ!!」
「判ってるよ」
俺の反応に笑いながら、太一君は指を鳴らした。
瞬間緑が消え、俺の部屋に戻る。
「幻の一種だよ」
「どっと疲れたよ…。でもすごいね」
「俺は水の祝福を受けてるからね」
「へぇ」
机に鞄を置く。太一君はソファに腰掛けて言った。
ソファは太一君の場所になってる。
「ちなみにリーダーは火だよ」
「てか祝福って何よ」
「うーん、何て言えばいいだろ。得意なモノ?」
「ゲームで言う属性?」
「そんな感じ」
「で、水だとそんな事ができるの?」
俺はお茶を注ぎながら訊いた。
太一君はほうじ茶が気に入ったらしいから。
「らしいよ。詳しくは知らない。リーダーあたりが知ってると思うけど」
「ふぅん」
湯飲みを渡すとありがとうと受け取ってくれた。
「そういえば、ここどうなるの?オーヤさんに会ってきたんでしょ、今日」
「うん、行ってきたよ。何かね、好きな時にどうぞって」
「そんなもんなの?礼儀はいいのかよ」
笑いながら太一君はソファにもたれる。俺も苦笑いしながらその向かいに座った。
「いいってさ。今月分は貰ってるから、今月いっぱいは居ていいよって」
「すっげー適当」
あはは、と笑う。確かにあの大家さんは適当なじいさんだ。
「太一君は?慣れた?こっち」
「うん。結構ね。リーダーがいろいろ教えてくれるし、その辺散歩してるし」
「へぇ」
「おもしろいね。文化も常識もあっちと違うのに、何か似てるんだよ」
「そうなんだ」
「どっちかって言うと、こっちの方が自由かもしんない」
ポツリと、少し声のトーンを下げて、太一君は言った。
「・・・・・・・・大丈夫?」
「え、何が?」
声をかけると、頭を上げて驚いた顔をした。
「リーダーのとこ行っても大丈夫?もし明日大家さんのこと言ったら、多分今週中には移動になると思う。
俺はもう部屋は片付けたから、正直いつでもいいよ。でも太一君が嫌ならまだ言わない」
俺が一気にそう言いきると、太一君は少し面食らった顔をして、俯いた。
「・・・・・・・・・・正直微妙かも」
「・・・・・・兄ぃと長瀬?」
「そう。ていうか天使かな」
「好きじゃないって言ってたよね」
「うん」
体操座りのように膝を抱えて、ソファの上に小さく収まる。
「・・・・・・・・・・本当は天使だったんだ、俺」
「え?」
その声はホントに小さくて、聞き取れるか取れないかの声だった。
「天使だったんだよ、俺。今はもう違うけど、羽根だって白かった」
「・・・・・・・今、黒いよね?」
「うん。でもコレはリーダーが黒くしてくれてるからなんだ。それがなかったら羽先のほうは白いよ。
根元が黒で、先に行くほど白くなる。グラデーションになってるんだよ」
太一君はその場で立って羽根を出してくれた。
確かによく見ると羽先のほうの黒は違和感のある色かもしれない。
「・・・・・・・・・何で悪魔になったか、訊いてもいい?」
「・・・・・・・・・。リーダーからでも山口君からでも、天使と悪魔の仲が悪いって聞いた?」
「それとなく聞いたような・・・・・・・」
「天使と悪魔は仲が悪かったんだよ。今は微妙だけど、正しく言うと天使が一方的に悪魔を悪者扱いしてて。
俺もそうだった、天使やめる前は。悪魔は悪者で、悪魔を消滅させるのが役目だって思ってたよ。
だからさ、ずっと戦争状態だったわけ。天使が勝つこともあれば悪魔が勝つときもあって。一進一退で」
「うん」
「天使だったときも、俺は軍にいたの。結構上の方にいてさ、7部隊あるうち1隊の副長やってたんだよ」
「副長!?すごいね!!あれでしょ?副社長みたいな」
「そうそう。で現場指揮官だったんだけど。・・・・・・・その時も最前線に出てた。
地界・・・・悪魔の住んでるとこなんだけどね。そこに攻めていったんだよ」
太一君の表情が曇る。
「そこには1人の悪魔しか居なくて。そいつと戦ってたらさ、気付いたらその場にそいつと俺とあと数人しかいないの。
で、撤退しようとしたら、そのまま攻撃されたんだ。味方から」
「・・・・・・・・・・・・・」
「周囲どんだけか判んないけど、あたり一面焼け野原になってて、戦ってた悪魔と俺以外は消滅しちゃった。
俺も半分死にかけで、命からがらそこから逃げて、天界に戻ったけど、・・・・・・・もう俺の居場所はなかったよ。
結局俺は捨て駒。隊長は、もともとそうやってその悪魔、七大魔王の1人だったんだけど、そいつ消すつもりだったんだ」
「・・・・・・・・・だから、天使やめたの?」
「そう、堕ちちゃった。で、拾ってくれたのがリーダーね」
そう言って太一君は笑った。何だかそれは力のない笑顔だった。
俺はちょっと想像してみた。
自分が信頼していたものに裏切られて、利用されて捨てられて、
そんな事されたら俺だって天使やめる。
そんな事されたら、その天使の人となりがどうだったとしても、天使を好きになることなんてできない。
でも、それは、とても悲しい。
「・・・・・・・・松岡?・・・・・・・何・・・・・・・何泣いてんだよ」
気付いたら、涙が出てきてた。
「や、だって・・・・そんなすっごい悲しいじゃん。仲間に裏切られて、捨てられて、仲間だったヒトたち憎んで。
そうじゃないヒトたちまで信じられなくなるなんて、すっごい悲しいよ」
考えれば考えるほど胸が締め付けられる。とても、悲しい。
「・・・・・・・・こういうところに憧れたのかな、リーダーは・・・・・・・・」
なかなか涙の止まらない俺の様子を見て、太一君が呟いた。
「・・・・・・・泣くなよ。もう昔のことだから」
「泣いてないよっ」
「ハイハイ。そーゆーことにしといてやろう」
意地張る俺に、太一君は苦笑するのが判った。
「・・・・・・・そっか。意外と泣くとすっきりするのかも」
「何それ」
「俺の代わりにお前が泣いてくれたって事」
「何かそれ、俺の立場ないじゃんよ」
「そんなことないって。・・・・・・・ありがと」
すごく嬉しそうな顔をして、太一君が手を差し出した。
その笑顔は、どっかの誰かさんを連想させるとても穏やかな、でもどこかさっぱりしたような笑顔だった。
「いいよ。松岡が泣いてくれたから、天使の事許せそうな気がする。少なくともあの2人はできると思う」
「大丈夫?」
「大丈夫」
太一君が笑ったから、俺も少し腫れた目で、笑った。
何もできない俺が、少しでも助けになれたのなら嬉しい。
これから、“家族”になるヒトたちが笑ってくれると嬉しい。
そんな風に思えたから、いまだ憎しみは消えないけど、許せるような気がした。
『幸せそう』の意味が、ようやく解ったよ。
「俺の部屋ここな。だから出てけ長瀬」
「えー!!ここは俺の部屋です!!出てきません!!」
「お、やるか!!?」
「やりますよ!!!」
ドタンバタンと騒ぐ2人をよそに、リーダーと兄ぃと俺は荷物の運搬をしていた。
まぁ正しく言えば、運ぶのは兄ぃでダンボール開封がリーダーで、片づけが俺だったんだけど。
「元気やねぇ」
「楽しそうだからいいんじゃねぇの」
のほほんと熟年夫婦並みの空気を醸し出す2人にはさまれて、俺は片づけをしていた。
「何て言うかさ、2人の精神年齢近いよね」
俺がそういうと、夫婦はうんうんと頷く。
「ええんやない?仲ええことはよきかな、って言うやん」
「そんなの言ったっけ?」
「言ったことにしとけ、松岡。歳だからボケたんだって」
兄ぃが耳打ちした台詞に、俺はうっかり爆笑してしまった。
「とりあえず、これからよろしゅうなぁ、松岡も太一も。改めて、長瀬も」
「よろしくな」
「よろしくね、俺の部屋はそこで決定な」
「えー!!!ヒドイっすよ!!!!」
「騒がしいけど、改めて、よろしく」
まだまだ問題はありそうだけど、こんな感じで、俺の不思議な同居生活は本格的に始まったのです。
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2006/04/05
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