長瀬の退院は17日に決まっていた。
茂の誕生日。
プレゼントに、と買っておいたあの人の好きな高い酒はもう役に立たない。
瓶入りのそれを開けてコップに注いだ。
キツいアルコール臭が鼻に届く。
それを何かで割ることもなく、一気に呷った。
咽喉が灼ける感覚。
旦那を亡くしてアル中になる主婦の感覚はこんなもんだろうか。
何杯目かを飲み干して、突然眠気が身体を襲う。
けして心地よいとはいえない眠気に身を任せて、無理矢理意識を手放す。
完全に落ちる前、遠くの方から声が聞こえた気がした。



こんなことをしても何にもならない。
現実逃避に過ぎないことは解っているのに、毎晩繰り返していた。



酒を呷って眠る。



だから、もしかしたら、それも悪酔いの末の幻覚だったのかもしれない。



茂の誕生日の前日、俺は、夢を見た。



気付いたら真っ白な世界にいた。
いや、真っ白ではなくて、白と黒のモノトーンの世界。
小さな駅のような処。
多分俺がいるのは改札を出た所にある、待合室の長椅子に座っていた。
室内だからかもしれないが、灰色が多い。
人の気配のない空間と外の白い世界とを隔てているのは、灰色の壁と、唯一開けている改札。
改札を通ることは出来なかった。
ガラスがはまっているみたいで、どうしても通り抜けることも出来なかったし、
白い世界は穏やかに見えて、恐ろしくも見えた。
その改札の向こう、ホームの、ちょうど改札正面に、長椅子があって、人が座っていた。

―――― シゲ

見慣れたその少し猫背の後姿に、何故か緊張した。
改札の向こう、くぐればすぐのところに、手の届くところにいる。
今すぐ傍に寄って、連れ戻したい。
そんな気分に襲われた。

けれど、向こう側には行けない。

その時、静かな音を立てて、列車がやってきた。
少し灰色がかった、それでも白い車体が止まる。
茂が立ち上がった。
ゆっくりと列車の扉が開いて、人が1人、降りてきた。
白のワンピースを着た女性。
彼女は茂の進路を塞ぐように立ち止まって、彼に笑いかけた。

『久しぶり』

その声に、俺は固まった。

茂が彼女の名前を口にした。


長瀬の、姉の名前。


『まだ時間はあるから、少し、話をしましょう?』

ふわりと微笑む。
最後に、彼女と話した時と変わらない、穏やかな笑顔。

「・・・・・・・・・・・ごめん」

茂は突然謝った。

「此処に来たら君が怒るのは解っててん。でもな、僕は君に一目会いたかった。
 最期は会えへんかったから、会いたかった。
 ・・・・・・・・・・・・・ホンマ、ごめん。何で、君を一番にできなかったんやろう・・・・・・・・・。
 本当に大切にすべきだったのは仕事やなくて、君やったのに・・・・・・・・・・・・・」

一息にそう言いきって、茂は言葉を詰まらせる。
声が潤んでいくのが判った。


それは会話でもない、一方的な懺悔。

多分、泣いてる。


『・・・・・・・・バカね』

苦笑を伴った声。

『貴方も変わらないね。そんなことのためにこんなところまで来たの?』

彼女は、茂から少し視線をずらして、俺を見て、笑った。

『私はね、幸せだったよ。貴方がいて、智也がいて、達也君がいて。もちろん太一君や昌宏君も。
 貴方達が笑っていて、それだけで幸せだったの。とても嬉しかった。大好きだった』

彼女はゆっくりと茂に近付いて、彼の手から切符を取る。

『私のお願いはたった1つよ』

真っ黒の小さな切符が粉になって空気に溶けていく。

『ほら。貴方を迎えに来てる。待たせたらいけないわ』

彼女がさした指に従って、茂はこちらを振り返った。

「・・・・・・・・・・・・・山口・・・・・・・・・・・」

『幸せになって』

とん、と、彼女が茂の背中を押した。
彼はよろめいて、改札を通り、こちら側に出てくる。

『愛してるわ』

瞬間身を翻して、茂は見えない壁に向かう。通り抜けることは出来なかった。

「・・・・・・・・・・・・・・僕も、君を愛してる」

その言葉に彼女は笑った。


『ありがとう』


彼女はそして、列車に乗り込んだ。
それを待っていたかのように扉が閉まる。

ゆっくりと、列車は発車した。




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シゲさんとお姉さんが喋ってるだけで、兄ぃは喋ってません。
話が繋がらなくなったので強制終了です。

2006/11/17




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