カ ミ ノ ク ニ
1
このところ晴れが続いていたのに、その日に限って雨だった。
朝方からどんよりとしていた空が、葬儀の始まりとともに泣き始める。
スーツの肩口がぽつりぽつりと濡れてしまい、僕はため息を漏らして空を見上げた。
『雨は良いよね』
いつだったか、先生がそう呟いていたことを思い出される。
そんな先生はもうこの世からいなくなってしまった。
先生は機械人形(オートマタ)制作の第一人者だった。
一介の機械技師だった僕と達也が先生に師事できたのは奇跡に近かったと思う。
出会いなんて、それこそ奇跡だ。
それは僕と達也がまだレアル(技師養成所)のニーダー(1年生)だった頃のこと。
授業で余らせた材料で、2人でふざけて小さな人形を作って遊んでいたとき。
たまたま忘れ物を取りに来た先生に出会したのだ。
先生はの教師ではなくて、将来技師になる僕らを激励するのに、時々特別に講演をしてくれていた。
確かにその教室は先の時間に先生が講演をしていた教室だった。
けれどまさか先生が戻ってくるなんて、
まさか僕らが材料をちょろまかしていたことがこんな風にバレるなんて、
思ってもみなかった。
『それ、君らが作ったの?』
突然の先生の登場に驚いて固まっていた僕らに、先生はそう訊いてきた。
それを肯定すると、先生は目を輝かせて僕らの傍に来た。
そしてそっと人形を取り上げて、『すごい』と言ったのだ。
僕らはまたしても驚いた。
まさかこの世界での第一人者が、
たかが学生の作ったガラクタにそんな言葉を投げかけてくれるなんて、誰が思うだろう。
『俺の所に来るつもりない?』
そして、先生はそんなことまで言い出したのだ。
僕らはあまりに驚いて、まだ卒業まで2年あるからと断った。
しかし先生が裏で何かをしたに違いない。
ミッテル(2年生)になった次の年、
レアル内の研究室に配属されるはずなのに僕ら2人は先生の研究室への出向を命じられた。
先生に尋ねてみてもニコニコ笑っているばかりで何も教えてくれやしない。
仕方なく、と言ったら語弊になるけれど、
こういうわけで僕らは先生に師事することになったのだ。
2
「シゲ」
名前を呼ばれて、慌てて視線を水平に戻す。
同時に視界が僅かに暗くなった。
傘が光を遮ったようだ。
「何してんの。濡れるでしょうが」
そう言って、傘の主が僕の腕を掴む。
「ほら、焼香始まるよ。弟子の俺らが行かなきゃ始まらないでしょ」
達也は小さくため息をつきながら僕の手を引っ張った。
「解っとるがな」
僕が苦笑いを浮かべて自分で歩き出すと、ようやく手を離してくれた。
「焼香終わったら先生の家に行こう」
「出棺は見送らんでええの?」
「どうせあの棺桶の中は空っぽさ」
小さく、不機嫌そうに呟いた声に、僕は達也の視線の先を見た。
白っぽい木製の棺の中は花で埋め尽くされて、そこにいるべき故人の姿はなかった。
先生の亡骸は国が持っていってしまった。
それもこれも、先生がオートマタの第一人者だったからだ。
国は、僕らの国が誇るこの技術の国外流用を避けたいらしい。
技術が発達した今では、死んだ人の脳から生前保持していた情報を取り出す事なんてたやすい。
例えば遺体が奪われて記憶が取り出されてしまったら、
先生は国の何かにも関わっていたから、国家機密が漏洩してしまう。
だから、遺体は遺族の元には戻ってこない。
荼毘に臥すのは空っぽの棺桶だけ。
将来的に、僕も達也も、こうなるだろう。
焼香を終えると共に周りの先生方に断りを入れて、葬儀の席を抜けだした。
そのまま達也の運転する車に乗って先生の自宅に走り出す。
先生からの遺言で、先生の自宅にいるオートマタを引き取りに行かなきゃならないのだ。
研究所も兼用だったと言っても、先生の家はコンクリートの箱ではなかった。
近所の子供にお化け屋敷と言われていた古い洋館。
先生曰く、新しく建てるより安かったそうだ。
そこを改造して研究室にしていた。
さすがに這っていた蔦はキレイに取り除いてあったけれど、
初めてここに来たときは怖かった覚えがある。
中ではまだ先生のオートマタが家の管理をしているはず。
呼び鈴を鳴らすと、間もなくインターホンがしゃべりだした。
『どちら様ですか?』
「城島と山口です」
『ちょっと待ってて』
僕らの名前を聞くと、声の主はそう言う。
少しして、扉が内側から開いた。
「おかえり」
背の高い、短髪を立たせた青年が顔を出す。
「ただいま」
嬉しそうなその様子に、僕らは笑って応えた。
3
「昌宏、先生が死んだよ」
お茶を出されて、応接間でソファに座って、僕らはさっきの青年──昌宏にそう伝えた。
「・・・・・・・・・・・嘘!?」
「ホンマやって。ほら、線香の匂いするやろ?それに、そんな嘘ついてどうすんねん」
僕の言葉に、昌宏は微妙な顔をした。
「・・・・・・・・そっか・・・・・・・・・・」
「で、先生の遺言で、お前を俺らんとこで引き取ることになったから」
達也がそう言った瞬間、昌宏の動きが止まった。
「?」
『音声パスワード認識しました。マスター登録の変更を行います』
そしていきなりそんなことを言い出した。
「はぁ!?何だそりゃ」
「先生が何か細工したんとちゃうか!?」
予想外の展開に僕らは少し取り乱す。
基本的に、オートマタのマスター登録は出来ないことになっている。
万が一する場合は元の持ち主か製作者が立ち会いの元、行われなきゃならない。
それも酷く面倒くさい手順で。
『音声確認。声紋照合中・・・・・・・・・終了。声紋一致。
登録データと確認中・・・・・・・終了。登録データ一致。
山口達也と確認しました。マスター登録変更します』
低く唸るような音を立てて、停止させる間もなくデータの書き換えが始まってしまった。
ここまで来てしまったら、途中で止めると人工知能がイカレてしまう。
呆気にとられたまま、僕らは仕方なくそれが終わるのを待った。
5分もしない内に書き換えは終わったらしい。
『メッセージを再生します』
突然頭を上げたと思ったら、そんな事を言い出した。
『・・・・・・・・・・・・・・城島と山口だな?』
流れてきたのは聞き慣れた音声。
「・・・・・・・・・・・先生・・・・・・・・・・?」
『これを聞いてるという事は、俺は死んだというわけか。
念のためこうやって細工しておいてよかった』
いきなりな内容に僕らは絶句する。
『今から言うことはどうしても文書としては残せなかった。だから再生も1度しかしない。
再生が終わったら完全に昌宏のメモリから削除されるようになっている。
どんな技術を使っても取り出せないような細工もしておいた。
・・・・・・・・・・お前達にこんな事を頼むのは心苦しいが、最後の頼みだ。よく聞いてくれ』
こっちの動揺なんて無視して、先生は話し続けた。
『屋敷の地下に行け。俺の部屋に隠し扉があること、お前らなら知ってるだろ?
そこに入るためのパスワードは最後に言う。これ以外の全てのパスワードも同じだ。
聞き逃すなよ。後は入ったら解るはずだ』
そしてレコーダーは少し黙る。
『・・・・・・・・・最後の最後にこんな訳の解らないことを頼んでしまってすまない。
できるならお前達が巻き込まれないことを祈ってる。・・・・・・・・・山口、昌宏を頼んだよ。
城島、できれば“あの子”に誰かを大切に思う気持ちを教えてやってくれ』
『じゃあな』
『パスワードはT、O、K、I、Oだ』
『再生終了しました。メッセージをメモリーから削除しています。しばらくお待ちください』
呆気にとられている間にメッセージの再生は終了して、削除されてしまった。
久しぶりに聞いた先生の声に懐かしさを覚えている暇も、しんみりと悲しむ暇もなかった。
形見とか遺言とか、そう言えたはずのモノはあっさりと消えてしまったのだ。
4
「どうかした?」
自動再生モードが終わって、元に戻った昌宏が首を傾げた。
「・・・・・・・・・あれ?マスターが兄ぃになってる・・・・・・・・・・・・」
そしてさらに首を傾げる。
「・・・・・・・・・・・もしかして先生が細工してた?」
そう言った昌宏に、僕らは黙って頷いた。
僕らの返答を受けて、やっぱりねと昌宏が苦笑を浮かべる。
この時、僕は場違いにも、あぁ、まるで人間じゃないか、と、そんな事を思っていた。
機械人形 ―― オートマタは、その名の通り、人に似せて作られた人形だ。
多分これは世界に誇るべきだろう、この国が一番初めに作り上げた、人工的な存在だった。
初めは、ただ人に似せた姿を持った、本当に人形だった。
けれど、それはここ何年かで一気に人間に近付いたのだ。
先生は、初めてオートマタに高性能な人工知能を組み込んだ。
人の感情の揺らぎを再現出来るような人格プログラムを組み立て、
それを完全に再現する、滑らかな動きを可能とした最高レベルのボディを造り上げて。
人間よりも人間らしい、人間の心を理解することの出来る、最高のパートナー。
その初めのオートマタが昌宏だった。
先生は、自分で造り上げたオートマタには、必ず名前を付けていた。
例えそれが失敗作で、目を覚ます事無く処分されてしまったとしても、必ず。
1度造られてしまえばそれは珍しいものではない。
オートマタは家政婦として、あらゆる意味でのパートナーとして急速に普及し始め、
この国はオートマタ国家とも揶揄されるくらい、発展した。
けれど、量産され始めたオートマタは、やはり先生が造ったオートマタとは違った。
先生が一つ一つ造り上げるオートマタは、量産物とは違って、温もりがあるように、僕には思えた。
温もりなんて、オートマタを構成する駆動部分と電脳部分から発せられる熱だろう。
そんな言葉を僕はたくさん聞いてきた。
でも、人に近付けられた皮膚の感触も筋肉の動きも、それが人工的な物だと判るのに、
先生のオートマタは“ぬくもり”があるように感じられるのだ。
拍手連載にするつもりで挫折。
2008/01/18
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