タンと軽やかな足音がした。
そちらを振り返れば、最年少になってしまった部下がちょうど防弾壁の上から降りてきたところのようだ。
副隊長、と私の役職を呼ぶから笑顔を返せば、彼に笑顔が浮かんだ。久方ぶりに見るそれは幾分かやつれたように見える。仕方ないだろう。いつ敵が現れるか分からない中で、いつ終わるとも知れない戦争の真っ直中に身を置いているのだから。
「副隊長は」
彼は言いながら私の横にまでやってきて座る。その手には銃も何も持っていなかった。こんな危険なところで丸腰なんて、何と緊張感がないのだろうか。指摘しようと口を開きかけて、それは遮られてしまった。
「誕生日いつですか」
その唐突な質問の意味が分からず、ちらりと顔を見れば真面目な表情で私を見ているので、ちょっと面食らってしまう。
「いきなり何で?」
「え?何となく」
「・・・・・あ、そう・・・・・。まぁ、今日だね」
一瞬曖昧に濁そうかと思ったが、隠す意味も無いかと素直に告げた。すると彼は驚いたように目を見開き、口も開けっ放しに私を見る。あまりの阿呆面に吹き出すと彼は恥ずかしそうに咳き込んだ。
「え?マジで?これって隊長も知らないんじゃないすか?」
こういうのに細かい隊長は何にも言ってなかったと、とても上官のことを話すに相応しくない口調で彼は声を上げた。まぁ間違いないから否定はしないでおこう。
「そうだなー。言った覚えねぇなぁ」
だってアイツ祝うってうるさくなるだろ?そう笑えば、彼も確かにと笑う。
「じゃあ、この隊の中で副隊長の誕生日知ってるの、俺一人ですか?」
「そうかもな」
よく考えてみれば、隠したつもりはないが、誰にも話した覚えはない。経歴書なんて隊長は名前ぐらいしか見てないだろうし、他の隊員は見る機会なんて全くないわけだし。
素直にそう答えれば、彼はニッコリ笑った。
* * * * *
始業時間の一時間も前となると庁舎の中は静かだ。
元々市民の方が滅多に来ない部署にいるせいか、課室がそこまでざわつくことはないのだけど、やっぱり静かだと何となく寂しい気もする。人もいないしね。
朝一の仕事である新聞記事の切り抜きを終えて一息つきがてら部屋を出た。目的地の食堂には職員向けの紙コップの自販機があるのだけど、そこでコーヒーを飲むのが毎日の日課だ。と、言っても、コーヒーは苦手だからミルクと砂糖たっぷりにするんだけど。
仕事モードの頭を一度オフにして食堂に向かう。人がいない庁舎内にカツカツと足音が響いた。始業ギリギリに来る人も多いから仕方ないだろう。俺が早すぎるのだ。
朝は市長より早く来て、その日の新聞から大事そうな記事を抜き出して、一日の予定を確認しつつ自分の予定を立てる。他課に依頼しなければいけないことの準備や、挨拶文の校正、イベントが近くなればそれの準備も加わってくる。配属一年目で先輩から叩き込まれた一連は、もう考えなくても身体が動くレベルにまでなっていた。
人事秘書課に配属されて五年目。当選時から秘書を担当してきた今の市長が今年、四年の任期を満了する。
「よぉ。早いじゃん」
食堂に足を踏み入れると、電気もつけてない薄暗い部屋で先輩がコーヒーを飲んでいた。
「あに・・・・・山口君、おはよ。早いね」
同じ職場の先輩であり従兄でもあるこの人を、思わずいつも通りに呼びかけて、仕事の時用の呼び方に言い直す。公私は分けるのがルールだ。
「あー、帰ってねぇもん」
眠たそうに欠伸をしながら先輩は答える。
昨日の夜はこの人の誕生日祝いの飲み会で、一軒目を出た後、俺はそのまま帰ったのだけれども。
「もしかしてあの後帰らなかったの?」
「シゲといつもの店行って、気付いたら朝?シゲは今日休み取ってやがるし・・・・・」
あの野郎と呟きつつ、コーヒーを啜る。もうため息しか出ない。
「朝まで飲んでたの?」
「いや、日付変わったくらいは覚えてる。多分その後寝たんだよ。酒抜けてたもん」
「そのまま?」
「いや、シゲんちでシャワー借りた。だから今日は一日作業着」
そう言ってニヤリと笑う。スーツだけではなく作業着も制服と認められる建設部だからこそ出来る技だ。
「山口君も休めば良かったのに」
「いやいや、今日は出てこねぇとな」
小銭を探しつつため息をつけば、先輩は笑いながら立ち上がる。そして俺より先に自販機に小銭を投入した。
「好きなの選べよ」
「え?そんな、悪いよ」
「良いから」
そう言って親指で自販機を指す。これで辞退するのも顔を潰すことになってしまうので、ありがとうと声をかけてからいつもと違うカフェオレを押した。
「あと、これ。はい」
出来上がるのを待つ間、先輩は小さな包みを俺に差し出した。
「?」
「お前、今日誕生日じゃん。」
「あー」
返事のようなそうでないような、曖昧な声が出る。
確かに自分の誕生日ではあったけれど、この人から祝ってもらうなんてちょっと新鮮な気分だ。
「ありがとう」
「忘れてた?いや、そんなわけねーよな」
「正直、兄ぃから祝ってもらえるなんて思わなくて」
「何だそれ」
先輩の表情が少し不服そうに変わるから、慌てて違うと取り繕う。
「いや、だって個別ってあんまりないじゃん?だからビックリして」
「あー、まぁあんまりやんねーけどな。とりあえず、俺一番?」
そしてそんなことを聞くから朝起きた時のことから思い出して、メールも何もまだ受け取ってなかったから、確かに先輩が一番であるのは間違いない。だから、そうだと言って頷けば、何故か満足そうに拳を握りしめている。
「もしかしてそのために年休取らなかったの?」
「あ?そんなんじゃねーけど、でもどうせ祝うなら一番が良いだろ」
一番は俺の特権だからと、先輩は笑った。その言葉に俺も思わず笑ってしまう。
「なに、兄ぃまだそんなこと言ってんの?ちっちゃい頃の口約束じゃん」
笑いながらそう言うと、先輩はまた不服そうに眉間にシワを寄せた。
「・・・・・そ、うだけど、でも口約束でも特権は特権だろ?誰にも譲らねぇよ」
「心配しなくても兄ぃが一番だよ」
「何かその言い方ムカつくな」
「べっ、別にバカにしてるわけじゃないよ!」
「ははっ、分かってるよ」
不穏な空気が流れたから急いで謝ると、それが面白かったのか先輩は笑い出した。変わらないなぁと無意識に思って、そういえば昔からこんなやりとりを繰り返してきたよなぁと懐かしい気持ちになる。
まさか同じ職場で働くことになるとは思わなかったけれど、こうやってずっと下らないやりとりをして、誕生日祝って、誕生日を祝ってもらえて、それって何て幸せなんだろうって、不意に思った。
「お。そろそろ戻らねーと、市長出勤の時間じゃね?」
「あ、ホントだ」
先輩の言葉に時計を見れば、確かにそろそろ登庁してくる時間になっていた。
「じゃあ行くね。ありがとう、兄ぃ」
そう言って手を振れば、先輩も欠伸を噛み殺しながら手を振り返してくれた。
思わず浮かんでしまう笑顔に、朝から何だかいい気分になってくる。
歩くに合わせて腕を振れば、もらった箱が小さく音を立てた。中身は何だろうか。デスクに戻ったら開けてみようと思いながら、階段を二段抜かしで駆け上がった。
* * * * *
「じゃあこれから毎年副隊長の誕生日を一番に祝ってあげます」
満面の笑みで、彼はそう言った。
「は?」
「だって俺しか知らないんだから、隊長や他の奴らよりは早く祝えるじゃん」
楽しくて仕方ないというように表情が輝いている。
「ということなんで、おめでとうございます。副隊長」
そして、今更な言葉。
「他の人が知ったらどーすんの」
「でも一番に祝いますよ!絶対一番は俺ですからね」
可能性の話をすれば、むきになって言ってくる。まだまだ若いなぁと苦笑すれば、それも気に入らなかったのか、絶対ですからね!と咬みつくように言ってきた。
「じゃあ楽しみにしてるよ」
よろしくと肩を叩けばその表情が誇らしげに輝く。
飽きっぽいお前がそう言うなら、一番はとっておいてあげよう。
それでお前が笑っていられるなら、それでいいよ。
fin
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松さん誕生日おめでとうございます!
やっぱTOKIOにはあなたのツッコミがないとね!
年々茂さん好きをこじらせてるように思いますが、これからもへこたれずに頑張ってください(笑)
滑り込みセーフ!よかった!
松さんは完全に覚えてて混同してるタイプと迷いましたが、覚えてない派で。
というか、無意識に一部の記憶は戻ってて、でも混同しちゃってる感じ。
これでシリーズは完結です。
このシリーズの役所の組織については地元の市役所を参考にしました。
仕事に関してもそこのHPにあった紹介を元に書いてます。
あとの細かい諸々は役所で働いてる友人に話を聞きつつ、残りは自分の職場を再現。
なので、間違いなく役所はこの話に出てくるようなところではないことをここで釈明します(苦笑)
残業は確かに多いけど、そんなに飲み会に行ってるわけではないそうですよ。
改めまして、おめでとうございました!
そして、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
2013/01/30
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