その時の笑顔がずっと忘れられなかった。
輝くという表現がピッタリなくらいの笑顔で、ついさっき会ったばっかりだというのに、幸せにならなきゃいけないのだとその人は言った。
「俺の部下になるのなら、幸せにならなきゃいけない。俺は誰かの幸せを守るために軍人になった。だから君にも幸せになってもらいたい」
「・・・・・・それは違うのでは?」
私は思わずそう呟いていた。上官に反論するつもりは少しも無かった。家族のいない私にとって、軍は唯一の居場所であった。それを無くすような真似はしたくなかったから。
けれど、その人の台詞を何度反芻しても、理解することも納得することもできなくて、思わず疑問が口を衝いて出た。
自分の呟いた言葉の意味を理解して慌てて口を手で覆い、顔を上げた先にあったのは、予想外にも面白そう目を細めた笑顔だった。
「何でそう思う?」
「・・・・・・・・・・」
「いい。別に怒らない。上官への反論が悪しきものだと思っているなら今すぐその考えを撤回しなさい。俺は君の意見が聞きたい」
私の考えを読んだかのようにその人は笑う。黙っていることができなくなって、言葉を選びながら私は口を開いた。
「・・・・・・・・・隊長の考えは素晴らしいと思います。それを手伝えるのはとても光栄です。ただ、隊長の考え、自分が幸せにならなければならない理由とどうしても繋がりません。自分が幸せになる必要は無いのではないかと、自分は考えます」






* * * * *






火の点いた先端が赤く光る。
独特の味のする煙を肺いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。視界が白く霞む。煙を吐きだすのに紛れさせてため息をつくと、一緒に別の何かも出て行ってしまったような気がした。
同時に忘れていた仕事を思い出した。調査物の回答があったはず。あの締め切りはいつだっただろうか。
それに条例改正の決裁がいくつも回ってきていた。
一つ一つ、長ったらしい条文案を読んでチェックして、ときには元課に戻しながら修正をし、決裁を上に進める。それから議会へ上程されて、可決されて、ようやく改正されるのだ。その長い長い工程のうちの、ほんの少しだけを担当する。
毎度毎度同じ作業なのに、毎度毎度磨り減っていく気がして、この作業はあまり好きではないのだけど。
「やらなあかんわなぁ」
誰にともなく呟く。もちろん、この喫煙ルームの中には自分以外誰もいないわけで、思ったよりも大きな音で響いた自分の声にははっきりとした疲れが混ぜ込まれていて、思わず苦笑がこぼれた。
最近は喫煙者に優しくない。それどころか、だんだんと喫煙人口も減っている。少し前はこの喫煙ルームも賑わっていたし、それより前は課室で吸うことができたのに。
「・・・・・喫煙者は肩身が狭いなぁ」
自嘲気味に呟く。その内に煙草は短くなっていた。大して吸ってないのに勿体ない。そんなことを思いながら灰皿に押し付ける。
不意に視線を感じて顔を上げた。簡易パーティションのアクリル窓から男前が覗き込んでいる。その大きな瞳とバチっと目が合ったから、最上級の笑顔を送ってみる。すると、彼は何故か嬉しそうに喫煙ルームの扉を開けた。
「お疲れ様です!」
「おつかれさん〜。休憩?」
「はい!ちょっと仕事がキリついたんで、気分転換です」
長瀬はそう言いながら中に入ってきて、僕の横に座った。珍しい。普段仕事場では、どちらかといえば避けられてるかと思うようなそっけない態度だったりするのだけれども。よく見れば目の下にうっすらと隈ができている。どうやらお疲れのようだ。
「最近大変そうやなぁ」
「もうすぐ防災関連のイベントありますし、防火週間もありますし、やることいっぱいです・・・・・」
少しだけしおれてしまったように、小さくため息をつく。時期的に仕方ないとはいえ、元気の塊のような長瀬がこうやってしょんぼりしていると落ち着かない。何かなかっただろうかとポケットを探ると、飴が一つだけ出てくる。それを差し出してみると暗かった顔がパッと綻んだ。
うん。この笑顔だ。この笑顔を見ると癒される気がする。この笑顔が見たかった。
「疲れたときには甘いものっちゅーからなぁ。ま、あんま根詰めたらあかんで?」
「ありがとうございます」
長瀬はそう笑うと、早速飴を口の中に放り込む。歯に当たったのか、カラコロと音がした。
ダメだなぁと苦笑が浮かぶ。例えば二人きりになったとき、どうしても無意識に長瀬を甘やかしてしまっている。甘やかさないようにという理性の仕事をしなさ具合に怒りを通り越して呆れて笑いしか出てこない。それは長瀬が新人で入ってきた時に面倒を見たからなのか、僕が生まれる前の僕の記憶がそうさせるのか。はっきりと理由は分からないが、どうも僕は長瀬が楽しそうにしているのを見るのが好きなようだ。
「飴のお礼ってわけじゃないですけど、リーダーにこれあげます」
飴をガリガリと噛み砕きながら長瀬が小さな紙袋を差し出してきた。ああ、勿体ないと思いつつそれを受け取る。煙草のケースが入る程度の小さい、ピンクの花柄の紙袋だった。
「なんなん?」
「誕生日プレゼントです」
「・・・・・」
「何ですか?」
長瀬の口から出てきた言葉に驚いて、思わず長瀬をじっと見つめてしまった。黙り込んだ僕を不審に思ったのか長瀬が首を傾げる。
「プレゼント?」
「今日でしょ?リーダーの誕生日」
「・・・・・知っとったん?」
「・・・・・実は去年、初めて知ったんですけど・・・・・マボが言ってて・・・・・」
「ああ、松岡ね」
「あとぐっさんも」
「ああ・・・」
自分から誕生日を教えたことはなかったはずなのに何故だろうと頭がフル回転していたが、上がった名前に即納得がいった。仕方ないなと苦笑しか出ない。
「おめでとうございます。リーダー」
「ありがとぉ。嬉しいわ」
開けても良いかと確認すれば、ニコニコと笑顔が返ってくる。期待に輝く視線を受けながらその袋を開けると、いつも吸っている煙草が一箱と封を開けていないミントガムが二本。
「リーダー煙草好きでしょ?でもできれば吸ってほしくないなあと思うんでガムです」
意味が分からなくて沈黙すれば、長瀬は至極真面目な顔をして説明をしてくれた。
「何でガム?」
「一本吸って、もう一本と思った時に煙草の代わりにガム噛んだらちょっとは紛れるかなぁって」
「・・・・・なるほど」

『健康であることが大事だ。だからまずその煙草をやめなさい』

懐かしく、しかし知らない声が頭をよぎる。長瀬の言葉はそれを呼び起こして、ぽつりと胸に落ちた。
「・・・・・ありがとぉな」
沸き起こってくる衝動を抑え込み、改めてそう笑い返すと、長瀬はうんと首を振って立ち上がる。
「じゃあ、俺戻りますね」
そして喫煙室の出入口の方に歩いて行くその背中に小さく呼び掛けた。
「・・・・・・・隊長」
「え?」
聞こえるか聞こえないかの声で呟いた言葉に長瀬は振り返る。不思議そうに僕を見た長瀬に、僕は問い掛けた。
「今幸せ?」
「?・・・・・・・・よく分かんないけど、マボ飯美味しいし、太一くんも優しいし、ぐっさんも面白いし、リーダーがくれた飴も美味しかったし、今すごく幸せですよ!」
仕事忙しいけど。そう付け足して、長瀬は笑う。その笑顔はとても輝いて見えて、セピア色に残るとても大切な映像と寸分足りとも違わなかった。
「それなら良かった」
僕がそう笑い返すと、長瀬は手を振って喫煙室から出て行く。その後ろ姿を見送って、僕は小さくため息をついた。
嬉しい。
そんな言葉がいくつもいくつも湧いてくる。
良かった。幸せでいてくれるなら何よりも嬉しい。どうかこの先も、ずっと幸せでいてほしい。この気持ちは僕のものではなかった。
彼が、僕ではない僕が嬉しく思う気持ちは痛いほど分かる。彼は『隊長』に憧れ以上のものを抱いていた。彼が『隊長』に幸せになってほしいと願う理由は、確かに途中から変わってきていたけれど、その理由のどちらも良く分かるのだ。だから余計に性質が悪い。
物心ついたときから彼の記憶とともに育ってきた僕にとって、彼は特別な存在だった。たった独りで生きてきた彼はけして恵まれた一生を送ってはいなくて、けれどその短い人生を終える直前、『隊長』に看取られた彼はきっと幸せだったのだろう。その、たった一度の彼の笑顔を僕はどうしても忘れられなかった。
僕はずっと、彼に幸せになってほしかった。
気を抜けば泣きそうになってくるのは僕の方だ。
大切な人が幸せを感じていて、大切な人から自分の誕生日を祝ってもらえて、何て幸せだろう。
抑えきれなくて目の前が少しだけ滲む。まだ課室に戻れそうにないから、僕はさっきもらったガムの封を開けた。






* * * * *






「そうかもしれない」
その人は私の考えを叱責することはなかった。笑って、否定するでもなく、私を見た。
「俺はこう考える。誰かを幸せにするためには、その誰かのことを考えなければならない。けれど、考えてみてほしい。もし自分が今必要なものが手に入らなくて、切羽詰まっていて、辛いと思っているときに、君は誰かのことを考え、その人のために働こうと思えるか?」
「・・・・・・・・」
「誰かの為に手を差し出せるのは、自分にそれだけの余裕がなければできない。誰だってそうだ。聖人君子でなければ。俺だってできない。だからまず自分が幸せにならなきゃいけない。自分が幸せになって、自分が満たされて、初めて誰かの為に動けるんだ。だから俺は君にも幸せになってほしい」
「・・・・・・・・・・・・・・・自分は、正直、今幸せなのか分かりません。軍に入るまで、記憶がある範囲ではずっとその日暮らしでしたし、幸せがどういうものか分かりません」
「じゃあ知るところから始めよう」
「・・・・・・・・」
「大丈夫。絶対に幸せにしてやる」
黙ってしまった私に、その人は優しく背中を叩いて扉の外を指差した。肩に手を置き、行こうと歩き出したその人の背中を見る。頭一つ分高く、貧弱な自分のものとは比べ物にならない逞しく広い背中だった。
「・・・・・隊長」
私はその後ろ姿に声をかける。その人は笑顔で振り返った。
「隊長は今、幸せですか?」
「ああ、もちろん!」
その笑顔は自信に満ち溢れていて、とても眩しく見えた。


それならば、私はあなたの幸せを守るために戦おう。そうすれば私は幸せになれるんでしょう?




戦う理由は、たった一つなんだ。








fin
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リーダー誕生日おめでとうございます・・・!!
時にふざけて、時にカッコ良くて、時にエロギタリストで、いろんな貴方の姿が見れることがとても幸せです。
これからも貴方らしく駆け抜けて行って下さい!見失わないように必死で付いて行きます!!


そこそこ思ったような話が書けて嬉しい!茂さんは覚えていて、ベイベは全く覚えていないのです。
前世ものって、そういう擦れ違いとか自分じゃない記憶との折り合いの付け方とか、表現が難しいけど好きです。


改めまして、おめでとうございました!


2012/11/17





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