お疲れさまでしたと大声を上げる。店の中にいた先輩達が作業から目を上げて手を振ってくれた。それに頭を下げてガレージを後にした。
給料のもらえる日の足取りはいつでも軽いし、給料明細しか入っていないと分かってはいるけど、もらった封筒が入っているカバンも軽い。我ながら分かりやすいと思うけれど、やっぱり給料をもらった日は嬉しいものだ。
手数料がかからない時間ぎりぎりに銀行に入り込んで、寂しくなっていた財布を温めてやる。
その足でいつもウロウロしている商店街に足を踏み入れ、不意に目についたある店のショーウィンドウの前で、俺は足を止めた。











俺には兄が二人いる。
その二人とは血が繋がってなかったことを知ったのは、何年も前のことだ。そういう兄二人も半分しか血は繋がっていない。
その話を聞いたのは、父親が死んでからだった。
母親は記憶のある頃にはもういなかった。父親と俺たち兄弟の四人暮らしで、そんな父親も病気で逝ってしまった。その遺言状に書かれていたのが血の繋がりのことだった。
二番目の兄は元々知っていたらしく、ふてくされた様子ではあったが俯き加減で、一番上の兄が読み上げるそれを黙って聞いていた。
当時の俺は、まぁ今もだけれど、馬鹿だったから、もう一緒に暮らせないのかとか、血の繋がりがない俺は捨てられるのかとか、そんなことを勝手に考えて、結果的に少しだけグレた。
ただ二番目の兄が厳しくて、ひたすら恐かった(当時の俺は兄より小さかった)から、高校だけはちゃんと卒業した。今となってはそのことに感謝してる。
何をきっかけにそう思ったのかは思い出せないけど、最近、不意に二番目の兄にそのことを伝えると、兄は予想外の言葉を口にした。
「それ、茂君には言ったのかよ」
急に一番上の兄の名前が出てきて、俺は驚きながら首を横に振った。すると兄は、怒鳴るでもなく笑うでもなく、複雑そうな表情を浮かべて俺を見た。
「俺が茂君の立場だったらお前を殴ってるわ」
そしてそんな物騒なことを呟くもんだから、俺はさらに驚いて理由を訊いた。すると兄は複雑な表情のまま、持っていた雑誌に視線を戻した。
「・・・・・・そもそも何で高校卒業できたのか考えてみろよ」
兄はそう言って、その後は黙ってしまった。その後に何度聞いても、兄は口を開いてはくれなかった。
何で卒業できたのか。
そりゃあ、頭悪くて補習ばかりだったけど、出席日数だけは足りないなんてことがないようにと、二番目の兄が尻を叩いてくれていたからじゃないのだろうか。一番上の兄は、三者懇談や保護者説明会のときに来てくれたくらいで、それ以外には何もなかったし。
夜遅くまで遊んで帰ってきたときに、お酒を飲みながらテレビを見てる。そんな一番上の兄の後ろ姿しか覚えがない。
二番目の兄のお陰で俺は高校を卒業できた。その考えが変わることはなかった。

けれど、つい数日前。職場の飲み会で日付が変わってから帰ってきた日のことだ。その日帰ったら、一番上の兄が一人で晩酌をしているところにはち合わせた。いつもはスルーしていたのだけど、その日は何となく、ただいまと声をかけてみた。
俺の存在に気付いていなかったらしい兄は、すごく驚いて振り返り、そして機嫌良さそうに、お帰りと返してくれた。
これも本当にたまたまだったのだけど、上のヒトがいてあまり飲めなかったから飲み足りなくて、兄の飲んでいたワインを少し貰い、兄の向かい側に腰を下ろした。
「仕事どうなん?」
沈黙を打ち破って兄が口を開いた。俺は兄をちらりと見て黙って頷いてしまってから、慌てて楽しいと付け加えた。
「分かんないこといっぱいあるけど教えてもらえるし、バイクたくさん触れるから」
「そっか」
「専門学校みたいなとこは行かんで良かったん?あるやんか、車の整備の・・・・・・」
残り少なくなった俺のグラスに追加を注ぎながら、兄はそう訊いてくる。
「俺、勉強ってなると全然だったから、学校はいいや。今の方が性に合ってる」
「そぉか」
「もし仕事よりやりたいことあるんなら言いや。兄ちゃん、協力するくらいしか出来へんから」
こんなことを言われたのは初めてで、どういう反応をしていいのか一瞬分からなくなった。
「うん。ありがとう」
「・・・・・・そっかぁ・・・・・・。なら、もうやめよかなぁ・・・・・・・」
「えっ!?辞めるの!?」
少し満足したような表情で、ほぅと息をつきながら、本当に小さく兄は呟いた。その内容に俺は思わず大声を上げてしまった。
「いやっ、ちゃうよ!ちゃうちゃう。こっちの話やねん。ゴメン、紛らわしくて」
兄は苦笑いを浮かべながら手を振り、そしてグラスに残っていたワインを一気に呷ると、それを持って台所に向かった。グラスをシンクに置く鈍い音が聞こえた。
「もう寝るな。テレビと電気頼むわ」
その言葉に俺は頷いた。俺の反応に兄は微笑んで、おやすみとリビングを後にした。階段を上がっていく音がして、すぐに完全に音が消える。小さな音量で流されていたテレビだけがぶつぶつと呟き続けていた。

こんなふうに兄と話したのは初めてだった。
一番上の兄とは、親父が死んでしまってからほとんど話をしていなかった気がする。
二番目の兄が仲介役みたいなことをしてくれていたのは知っているけど、一番上の兄は俺の事には興味がないんだと思っていた。だから、正直なことを言うと一番上の兄の事が嫌いだった時期もあるし、今も何となくわだかまりみたいなものは残っているんだと思う。
あの日、兄に声をかけたのは本当に滅多にないことだった。何で声をかけようと思ったのかは分からない。もしかしたら、二番目の兄の言葉が引っ掛かっていたからかもしれなかったけど。
そういえば、一番上の兄はどんな仕事をしているのだろう。
あの後一人残された俺は、初めて兄の事をプラスに考えてみた。
よく考えてみれば兄の事をちゃんと知ろうと思ったことはなかったし、今までは粗探しをしていたような感じだった。俺が今知っている兄とさっきまで話していた兄が一致しなかったのが、そして二番目の兄が言っていた言葉がとても気持ち悪かった。





「学費どうしてたん?」
昼休みによく行く喫茶店のバイトの岡田に、何の気なしに今の気持ち悪さをに愚痴ったら、そんな言葉が返ってきた。
「・・・・・・・・・・・・がくひ?」
「今ひらがなやったね。高校行くにはやる気よりもまず、授業料がいるんやで?」
「そうなの?」
俺が首を傾げると、岡田は苦笑いを浮かべる。俺の食べ終わった皿をカウンターの向こうに下げ、代わりにジンジャーエールを出してくれた。
「小学校と中学校は義務教育だけど、高校は義務やないからね。タダじゃないねん」
「それってどれくらいかかんの?」
「どれっくらいなんやろ?私立は高いって聞くで?」
「・・・・・・・・・・・・そうなんだ」
どれくらいなんやろな〜と首を捻りながら洗い物をする岡田をよそに、俺は少し考えを巡らせた。
俺が高校に入った頃、二番目の兄は大学に行っていた。二番目の兄もその前は高校に行っていた。父親が死んだのは、二番目の兄が高校二年の頃だった気がする。それでも兄は高校に行き続けていたし、大学にも行っていた。
一番上の兄はその時に何をしていたんだろう。兄と手を繋いでどこかに出かけた覚えがあるのは、小学校の頃までだろうか。そういえばその頃から一番上の兄の姿を滅多に見ることがなくなったような気がする。
と、そこまで考えて、ようやく気が付いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・働いてた?」
一番上の兄の口から、大学という言葉を数回聞いたことがある。けれど父親が死んでから、一切その言葉を聞かなかった。二番目の兄の大学の頃の生活を思い出してみても、それと似たような生活を一番上の兄が送っていたような覚えは一切なかった。それでいて、朝から晩まで帰ってこなかったのだから、理由は一つしかない。
「・・・・・・・・・・そっか・・・・・・・・・・・・・・」
「ん?何かあったん?」
俺の小さな呟きに、岡田が首を傾げる。ふと思い出した出来事対して胸の中に広がった気持ちを誤魔化すように、笑顔で首を振った。





その夜、自分の部屋で買ってきた雑誌を眺めていると、下の階で物音がした。時計を見ると、日付が変わる少し前。二番目の兄は明日の朝が早いからと、早々に寝てしまっている。一番上の兄だと分かる。俺は部屋の中に置いていたある物を持って部屋を出た。
そっと音を立てないように階段を下りて、リビングを覗き込む。カウンターキッチンの向こうで顔を洗っている一番上の兄の背中が見えた。
「おかえり」
リビングの入口に持って来たものを隠して中に入り、兄に声をかける。兄は驚いた様子で、顔を濡らしたまま振り返った。
「おぉ、智也か。ただいま。ビックリしたわ」
「ごめんごめん」
カウンターに置いてあったタオルを兄に手渡すと、兄はありがとうと微笑む。
小さい頃の思い出の中にいる兄と比較して、老けたなぁと思った。職場にいる兄と同年代の人とも、何だか違う気がする。疲れてるというか、やつれてるというか、何となく寂しい気持ちになる。
「智也も飲むか?」
兄は冷蔵庫から缶を取り出しながら、そう訊いてきた。飲みたいと答えると、二本手に取ってリビングに戻ってくる。その一本を受け取ると、兄は椅子に座りながらプルタブを開けた。
「遅かったね。仕事?」
「せやね。まぁ、明日からは早く帰ってこれるけどな」
「え?」
兄の言葉にどのように返答しようか迷って、それでもどういうことか聞きたくて、たった一言で訊き返す。俺の気持ちに気付いたのか、兄は苦笑を浮かべながら缶に口をつけてから、あのな、と言った。
「バイトしててん、今まで。定時終わってから。それを今日辞めてきた」
「・・・・・・・・・・・・それって、俺を高校に行かせるために行ってたの?」
その俺の問いには、兄は曖昧に言葉を濁してビールに口を付ける。何となく気不味い空気が流れ始めて、俺も勢いをつけるためにビールに口を煽る。
目を開いた先に時計が見えた。短い針と長い針が重なる。日付が変わった。
兄に面と向かって何かを言うのは、よく考えれば今までに無かったことで、こんなに緊張するなんて思わなかった。
でも今、言いたい。言わなきゃいけないんだ。
「あのさ」
意を決して口を開く。兄は不思議そうな顔で俺を見た。
俺は口を開いて少し固まる。上手く言葉が出て来なくて、兄の顔を見るのが少し辛くなってくる。
「・・・・・今までずっと知らなかった。茂君、俺の為に大学辞めて働いて、俺を高校に通わせてくれたんだって。それなのに、俺、茂君を無視したり、酷いこと言ったりして、ごめん」
「・・・・・・・・・智也の為やないよ。僕がやりたかっただけや」
「でも好きだったギターだってやめちゃったじゃん!父さん死んでから俺にくれたの、大事にしてたギターでしょ!?」
ちょっとテンションが上がってしまって声を上げる。兄は少しだけ肩を強張らせて、曖昧な笑顔を浮かべた。
「忘れてたけど、茂君の弾くギター好きだったんだからね、俺。だからギターやり始めたのに」
ここ最近兄の事を考えすぎて、懐かしすぎる事まで思い出したのだ。
「・・・・・・そうなん?」
「・・・・・・もうバイト辞めたってことは、早く帰ってこれるんでしょ?」
「まぁ・・・・・・」
俺に圧倒された感じの兄は無視して、リビングの入口に置いておいた物を取りに行って、持って戻る。そして、大きなそれを勢いよく持ち上げて、テーブルの上に置いた。
「じゃあもう一回弾いてよ」
「・・・・・・は・・・・・?」
兄の頭の上にたくさんのクエスチョンマークが浮かぶ。だから俺はそのケースの留め具を外して、テーブルの上で広げた。
「誕生日プレセント。ずっと前、このギター、ほしいって言ってたじゃん、茂君」
本当はもらった給料で、ずっと欲しかったバイクのパーツを買うつもりだった。でも楽器屋のショーウィンドウに飾られてあったギターを見て、思い出の中に残っている兄と出掛けた時に兄が呟いた言葉を思い出したのだ。

『このギターが欲しいねん』

兄は確かにそう言っていたのだ。間違いなく、絶対に。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よく、分からん・・・・・・・・・・・・・・・・」
「何でっすか!」
兄のよく分からん発言に、思わず職場での口調が出る。そのまま声を上げると、やって、と口を開いた。
「これ、僕に?」
「そう」
「誕生日?」
「今日でしょ」
「今日十六日・・・・・・」
「日付もう変わってるよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「受け取ってよ」
呆然とする兄に、俺はケースを押し遣る。兄は呆然とギターを見てから、おずおずとそれに手を伸ばした。そして小さく、本物やと呟くと、口元を手で覆い隠す。そのまま動かなくなった兄に、俺は居た堪れなくなって、椅子から勢いよく立ちあがった。
「じゃあ俺寝るね!」
そう言い放ってリビングを出ようとした瞬間、兄に呼び止められた。思わず足を止め、振り返る。満面の笑みを浮かべた兄がいた。
「ありがとな、智也」
「ううん。おめでとう、茂君」
兄のその笑顔に、何となく気持ちが落ち着いて、俺は冷静にその言葉を伝えることができた。そして俺はそのまま階段を駆け上がる。自分の部屋に駆け込んで、勢いよくベッドにダイブした。

これで今までの事がチャラになるわけではないけど、何となく気分が軽くなった気がする。
でも、おめでとうと、素直に言えてよかった。
そして、兄はあのギターを弾いてくれるだろうか。
寝て起きた後、朝ご飯の席で顔を合わせた時を楽しみに思いながら、俺は夢の中に旅立った。








fin
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誕生日おめでとうございます、リーダー!
とても41歳だなんて思えません、そのタフさ。
どんくさいおじさんだったり、司会者だったり、オチ担当だったり、
それでも舞台の上ではエロテロリストなアナタが大好きですv
これからもアナタの思うように、カッコよくいてください!
いつまでもアナタに付いて行きます!



何か取り留めのない感じになってしまいました・・・。
思えばベイベ視点ってあんまり書いたこと無い、かも・・・?
兄弟にしちゃったんで、口調が分からなくなり、ベイベじゃない感じがします・・・・。
リーダーがあんまり出てないので、祝ってる感じしないしなぁ・・・(苦笑)
でも、個人的には満足、かな。


改めまして、おめでとうございました!


2011/11/17





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