思ったよりも風が強くて、しかも風向きが悪いときた。
立てた線香の煙を一身に浴びながら手を合わせる。
そして、内心悪態を吐いた。
これは一体何の嫌がらせだ。
手を合わせ終わると、左手の方の空を見た。
レトロチックで飾り気のない、石造りの塔の姿が陽炎のように浮かび上がっている。
「・・・・・こんにゃろうめ」
そして今度は口に出して悪態を吐いてみた。
ほむらともるうてなのもとにて
それは正しくは『燈台』と言うらしい。
まぁ、そんな呼び方をするのは学者ぐらいなもんで、大抵の人は『うてな』と呼んでいる。
『うてな』はどこにいても見ることができた。
ただ、上の方は見えるのに、その立地を見ることができる人はいない。
塔の半ばから最上階までが姿を現していて、恐らくはここに建っているだろうと思われるところに行っても、その姿は変わらないサイズで彼方向こうにあった。
『うてな』は死者の魂の道標なんだそうだ。
亡くなった人は『うてな』の灯りを頼りに彼岸へ行き、輪廻の輪に戻る。
だから墓の中には魂はいない。
これは残った身体の供養と、その人が確かに存在したことを示す碑でしかないのだ。
一番短い蝋燭を買ってきたから、火はすぐ消えた。
線香も短く折って使ったから、片付けてる間に燃え尽きるだろう。
「・・・・・あ〜、もう信じらんねぇ」
人の誕生日に死ぬなんて、嫌がらせに間違いない。しかもケンカ中だったから、後味が悪くて仕方ない。
「ほんっとヤな奴」
「誰が?」
「!?」
独り言に返事が返ってきて、慌てて振り返る。
「・・・・・何でいるんだよ」
予想以上に嫌そうな声が出た自分に拍手を送りたい。
目の前に立っていた男は、とても愉快そうに笑いながら片手を上げた。
「いや〜、おるかなぁと思ったらおったなぁ」
「何それ。何かムカつくんですけど」
コーヒーを飲まないかと誘われて連れられてきた店で、男が二人、ケーキをつつく。
これほど滑稽な絵はないだろう。
目の前に座る旧友、リーダーは、何が嬉しいのか、にこにこと笑顔を絶やさなかった。
「まぁまぁ、ここは僕の奢りやから、それで許して」
「しょうがないなぁ。後でサンドイッチも食べていい?」
「ちゃっかりしとんなぁ、自分」
文句を言いながらも却下はされなかった。
昔はもっとピリピリした空気が流れてたのに、最近はお互い丸くなったと思う。
「最近どうなん?」
「ぼちぼちだよ。・・・・・・・・・・・・・・・一人の仕事もらえるようになった」
「良かったやないか!」
驚いたように声を上げる。
自分のことのように喜んでくれる様子に少しだけ照れ臭くなった。
「山口とはうまくいっとる?」
「もちろん。山口くんも好きなことができるようになって張り切ってる」
「そぉかそぉか」
話し始めたら止まらなくなる。
今までに起きた出来事、俺が感じたことが、マシンガンの弾のように口から飛び出していく。
リーダーは俺と一緒に怒ったり笑ったり、たくさん頷いてくれた。
気が付けば日は傾きかけていた。
「もう暗くなってきてんじゃん」
「早いなぁ」
じゃあ出ようかと、リーダーは伝票を持って立ち上がった。
「ごちそうさま」
「いえいえ」
きちんと手を合わせて頭を下げると、照れ臭そうにリーダーは笑う。
「まだ時間あるか?」
「大丈夫」
「少し付き合ってや」
俺の答えにリーダーはそう言って、墓地の方に歩き出した。
俺は黙ってそれについて行く。
「お墓参りは終わったよ」
「この先に景色のいいとこがあんねん」
リーダーは墓地を通り過ぎて坂道を上っていく。
果てが見えそうもない緩やかな坂道は、向こう側から溢れてくる夕日で少しずつ赤みを増す。
上りきった先は崖になっていて、道は山に沿うようなきつめの曲線を描いて続いている。
路肩は少し幅を取って芝生が敷いてあって、絶壁から下が見渡せるようになっていた。
「おぉ!」
俺はその光景に、思わず声を上げた。
「めっちゃキレイじゃん!」
「やろ。僕のお気に入りやねん」
ガードレール越しに身を乗り出す。
眼下には俺の住む街が広がり、近代化しつつあるまばらなビル群に夕日が当たり、オレンジの光を撒き散らしている。
街は鮮やかな橙に染まる。
青い空と金に彩られた雲との対比がすごくキレイだ。
「おめでとう、太一」
振り返ると、リーダーはベンチに腰掛けて俺を見ていた。
「ありがとう」
「ちゃんと言えて良かったわ。これ、ようやく渡せる」
そう言って、リーダーは上着のポケットから細長い箱を取り出した。
差し出されたそれを受け取って、開けて良いかを確認する。
どうぞとリーダーは言った。
リボンが十字にかけてあるだけの簡素なラッピングをほどいて、蓋を開ける。
中には腕時計が入っていた。
「これ・・・・・」
「ほしいって言うとったやろ?」
皮のバンドのシンプルな時計。
その割には値が張ってて、なかなか手が出せなかった品物だった。
「・・・・・ありがとう」
「どういたしまして」
そう笑うリーダーの横に、俺は腰かける。
そして早速腕に巻いてみた。
「どう?」
「似合っとるわ。色がえぇな。嫌味やないわ」
称賛をもらい、嬉しくなって夕日に翳してみる。
濃紺をベースにしたデザインに金の光が反射してキラキラ輝いた。
「ありがとう。嬉しい」
「よかった」
リーダーはそう言うと、少し遠くに視線を向けた。
その横顔を、俺はチラリと盗み見る。
夕日で少し透けて見えるその向こうに、『うてな』が妙にはっきりと見えた。
「リー・・・・・」
「なぁ、太一」
俺の言葉を遮って、リーダーが口を開く。
「なに?」
「お前は怒るかもしれんけど、お前に言っとかなあかんことがあるんよ」
そう言って俺を見たリーダーの表情は何だかよく分からなかった。
「何だよ」
「僕な、『火群番』になってもうた」
「え」
聞き慣れない単語に、一瞬だけ脳が拒否反応を示す。
聞き間違いでなければ、今リーダーは『ほむらばん』と言わなかっただろうか。
「うそ・・・・・」
「嘘やないよ。『火群番』になったから、今僕は『彼岸』に行かずにここにおる」
「・・・・・・・・・・なん・・・・・・・・・・なんでだよ!?何でリーダーが『火群番』にならなきゃいけないんだよ・・・・・!!」
一瞬で頭の中が真っ白になった気がした。
リーダーが死んでしまって、やっと乗り越えて、やっと来世でって思えるようになったのに、輪廻の輪から外れてしまうなんて。
視界が滲んだ。
まさかこの歳になって泣くなんて、思ってもみなかった。
「・・・・・っ」
リーダーを見ていられなくて俯く。
溢れた水滴がひとつ、地面に落ちた。
『うてな』の光は、未来永劫燃え続ける青い炎なんだそうだ。
詳しくは知られてはいないけれど、二つの魂がその炎を管理していて、それは『うてな』を目指す魂の中から選ばれる。
火群番となった魂は輪廻の輪から外れ、次の魂が現れるまで『うてな』の中で炎の管理をしなければならない。
生まれ変わることもなく、期限も分からないまま此岸に留まり続けるのだ。
「・・・・・泣かんでぇな」
「泣いてねぇよっ・・・・・心の汗だよ!」
「そぉか」
リーダーの声に苦笑いが混ざっているのが判った。
「ゴメンな」
「・・・・・謝ることじゃねぇだろっ!」
八つ当たりに近い言い草で声を上げる。
リーダーは、そうやね、と言って、さらに言葉を続けた。
「でもな、太一、これは一般常識やないって解っとるけど、でも僕は、来世で会うよりは今会いたかってん」
頭に何かが触れた感じがした。
ポンポンと軽く叩かれて、何となく気恥ずかしくなって頭を上げられなくなる。
「確かに来世でも会いたいなぁとは思うよ。でも、生まれ変わったら、僕は僕やないし、太一は太一やないやん。
太一の魂を持った誰かと、僕の魂を持った誰かでしかないから、それなら僕は僕である内に、太一に会いたかった」
「・・・・・・・・・・・『うてな』の中に、俺は行けない」
いくら此岸に留まっていてくれても、俺はアイツみたいに『うてな』に上ることは出来ない。
「僕は自由に出入りできるから、お前に会いに行くよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
驚いて顔を上げる。
予想外の言葉で、涙は突然に引っ込んでしまった。
「出入り、自由・・・・・・・・・・なの・・・・?」
「おん。生きとった時よりは頻繁やないんやけど、物食べんとおれんらしいねん」
意味が分からなかった。
死んでるのに、物を食べる?
というか、『うてな』から出られるって、何、それ。
「・・・・・・・・・・・・・ちょっと良い?」
「?」
不思議そうに首を傾げるリーダーの頭を、俺は何のモーションもなく叩いた。
「いだっ!!?」
リーダーの悲鳴とともに、とても良い音が響く。
「痛いんだ!?てか触れるのかよ!!」
「コーヒー飲んだの見とったやろ!!何で叩くねん!!」
「何だよそれ!!俺の一年分の涙を利子付けて返せ!今すぐ!!」
「何やその理不尽な要求!!」
俺の手から逃げるように向けた背中をバチバチ叩くと、泣き真似をしながら椅子から立ち上がる。
それを追いかけて俺は立ち上がり、そして降り上げていた手を降ろした。
「・・・・・・・・・・・・・太一?」
追いかけてくる様子がないと気付いたのか、リーダーは心配そうな表情を浮かべて近寄ってくる。
その姿はやはり少しだけ透けて見えた。
足元にも影はない。
分かっていたのに、分かっているのに、ようやく納得した事実と、今理解した事実は、どうしても一致しない。
「・・・・・・・・・・・もう少し」
「ん?」
「もう少し時間がほしいよ」
喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。
もう一度会えて、また話すことができるのは嬉しい。
でも、次の生で会えないと思うと辛い。
二つの気持ちがごちゃ混ぜになって、どういう表情をすればいいのか分からない。
「・・・・・・・・・・・・・太一には見えてなかったけど、僕はずっと傍におったよ。
僕だけやない。太一を大事に思っていたたくさんの人の想いが、お前の傍にずっとおった。
僕も、ずっとここにおる。お前が生きとる間はずっと此岸におるから、また、お茶でも飲みに行こうや」
リーダーはそう言って、笑った。
日が完全に落ちると同時に、またな、と、リーダーの姿は見えなくなった。
夕陽の残り火を補うように街灯が光を燈し始める。
人工的な光に彩られていく街を背に空を見上げると、青白くぼんやりと『うてな』が輝いていた。
*
おめでとう太一さん!
いつまでもお若いですよね。これからが一番楽しい時期じゃないでしょうか。
この一年が貴方にとって最高の一年でありますように。
と言ってもかなりの遅刻です。すみません・・・・・。
そして祝ってない・・・・・。これもいつも通りですが、すみません。
『生まれ変わり』が常識の世界ってどんなんだろうなぁとふと思いまして。
そしたらこんなんなりました。
心情の微細な変化をもっと精密に書けるようになりたいなぁ。
2010/9/19
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