ベタベタした関係は好きじゃない。
でも、一緒にいて何となく落ち着く、冗談言い合って笑える関係に、
そういえば憧れてた時もあったなぁと、ふと思い出した。
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中学校の恩師の協力を得てせっかく入学できた高校だから、大人しくするつもりだった。
幸いにも、入学したところは俺より目立つ奴がいたから絡まれることはなかったし、
多分中学の頃の渾名を知ってるからだろう、そういう奴らも近付いてはこない。
ただ、真面目に行くつもりは毛頭なく、いわゆる不良なのは相変わらずだった。
やる気が出ないときは行かない。朝起きれなかったら行かない。
そんなことをしている内に、ついには母親と親父と、おまけに兄貴からいまだかつてないほど怒られた。
ついでに兄貴とは殴り合いの喧嘩になった。
もちろん勝てるわけがなくて、ボロボロで久しぶりに学校に行った日のことだ。
朝一で学校に行ったら、クラスの全員が驚いて俺の方を見てきた。そしてザワザワと騒ぎ始める。
鬱陶しくて教室中を一睨みすると、一瞬で静かになる。視線も逸らされた。
めんどくさいと思いながら机の上に突っ伏す。結局一時間目は寝て過ごした。
二時間目は教室移動だった。
時間割さえ分からないから、筆箱だけ持って教室を出る。
ちょうど前に俺より少し前に教室を出た同じクラスの奴がいたから、距離を取りつつソイツについていった。
途中で同じ方に向かう女子に話しかけられ、楽しそうに話を始める。
どうやら移動先は上の階らしい。階段を上がっていくのを見て、慌てて階段に走り寄る。
見失ったら意味がない。
そう思って上を見た瞬間、ソイツが落ちてきた。
「はぁっ!!?」
女子の悲鳴と同時に思わず声を上げたが、咄嗟に数段駆け上がりながら受け止める。
しかしそのままバランスを崩して落下した。
登っていたのが三段ほどだったのと何とか受身を取れたのとで、
大して痛みはなかったが、ちょっと死ぬかと思った。
「城島君!・・・・や、まぐちくん!大丈夫!!?」
上の踊り場にいた女子が真っ青になって降りてくる。
あまりしゃべるとビビられるので黙って頷いた。そして落ちてきた“城島君”を見る。
「おい」
でも、呼びかけても揺すってみても反応がない。
「?」
頭をぶって気絶したかと鼻先に耳を近付けてみた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・寝てる?」
降りてきた女子が俺の呟きを聞いてホッとしたような表情を浮かべる。
「何だコイツ。何で階段登ってる途中で寝たのかよ」
「あ、あの・・・・・・城島君ね・・・・・・・・」
俺がボソリと文句を言うと、その女子は訊いてもないのに説明してくれた。
どうやらこの“城島君”は睡眠障害とやらを患っているそうで、いつでもどこでも突然寝てしまうらしい。
そして一度寝てしまうと、自分から起き出すまで、何をしても起きない、らしい。
それを教えられて放っておけるほど、俺は人でなしじゃない。
“城島君”の荷物だけは女子に持っていってもらい、
床に落ちていた眼鏡を胸ポケットに突っ込むと、本人を担ぎ上げて保健室に向かう。
途中、擦れ違うヤツラに好奇の目を向けられたが、睨みを利かせて黙らせた。
そうやって連れて行ったのに、保険医は出張でいなかった。
仕方ないので勝手に中に入って、一番手前のベッドに寝かせる。
そして布団を被せてから、その横に折り畳み椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
もう授業に行く気がなくなったから、このまま便乗して昼寝することに決めた。
大きく息をついて背もたれにもたれかかって、ふと“城島君”の顔を見る。
何とも、まぁ、幸せそうな顔をして眠っていた。
「・・・・・・・・・それにしても細ぇなぁ」
俺よりも背が高いくせに、さっき持ち上げた時、予想以上に軽かった。
「睡眠何とか以外に何か病気してんじゃねーのアンタ」
返事が来ないことは分かっていたけれど声をかける。
当然だけど返事はなく、小さく溜息をついて目を閉じた。
人の気配を感じて目を開いた。
ベッドを見ると、“城島君”が起き上がっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やまぐち、くん、や」
焦点の合わない目が俺を見る。虹彩の明るい茶色に一瞬目を奪われた。
そして眼鏡のことを思い出して、ポケットから取り出して差し出すと、ありがとぉと呟いて受け取った。
「ここ・・・・・・・・」
「保健室」
「山口君が連れてきてくれたん?」
「まぁ」
「ありがとぉ。ゴメンな、迷惑かけて」
ごそごそと起き上がり、ベッドから出て行く。
「・・・・・・・・・・・戻らへんの?それとも体調悪い?」
「や、アンタに便乗して昼寝したからすこぶる元気」
「そう。やったら授業サボるん?」
「今戻るの?授業中だぜ?」
どうせ後三十分で授業が終わるんだから、と言うと、“城島君”はベッドに座り直した。
「それもそうやね」
そう言って彼は上着のポケットから薄っぺらい本を取り出して読み始めた。
「・・・・・・・・・・・・あのさぁ」
「なに?」
「アンタ、俺、怖くねーの?」
気になったことを訊いてみる。
中学の頃に暴れまわったお陰で、いわゆる不良と呼ばれる奴も寄って来ない。
たまに学校に来てもつるむような奴もいないし、
距離を取られて、好奇と恐怖の入り混じった視線が飛んでくる。
クラスの奴がそうなら、コイツだって俺の噂を知っていてもおかしくない。
「・・・・・・・・・・わざわざ僕を保健室に連れてきてくれるような奴が恐い奴やないやん」
「分かんねーぜ?」
「噂は噂やから、別に気にせんよ。僕も変な噂が付いて回っとるし」
思いがけない言葉に、何故か二の句が告げなかった。
「ああ、そう」
どう返したらいいのか分からなくて、黙り込んで目を閉じる。
そのままもう一度夢の中に落ちていった。
チャイムとともに起こされた。
中途半端に寝たせいか、身体がだるくてめんどくさかったが、仕方ないので起きる。
何も言わない“城島君”の後ろについて教室に戻る途中、突然“城島君”が視界から消えた。
「!!?」
驚いて足を止め、我に返って足元を見ると廊下に四つん這いで膝をついていた。
「・・・・・・・・おいおい、大丈夫かよ」
「・・・・・・・・・・恥ずかしいわー・・・・・・・・・」
どうやら躓いたらしかった。
手を差し伸べると、顔を真っ赤にしながら手を握り締めてくる。
ぐっと力を入れて起き上がらせると、よろめきながら立ち上がる。
そして服の埃を払うと、いそいそと流しに向かい、石鹸を付けて手を洗い出した。
「何してんの」
「手ぇ洗ってん」
「何で?」
「廊下って汚いやんか」
「え、そうなの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・僕、潔癖やねん」
小さな呟きが聞こえた。
「ふぅん」
「別に山口君が汚いと思っとるわけとちゃうで。それだけは絶対にちゃうから」
ハンカチで手を拭きながら、心配そうにこっちを見る。
「別にそんなこと、思わねぇよ」
「・・・・・・・・・・・・・そっか。ならえぇねんけど」
ホッとしたような表情を浮かべて笑った。
何でそんなことを気にするんだと思いながら、教室に向かって歩き出す。
後ろからついてくる足音が聞こえた。
次の日の朝、目が覚めたのは学校に余裕で間に合う時間だった。
けれど布団から出るのがめんどくさくて、二度寝しようと寝返りをうつ。
その瞬間、昨日のことを思い出した。
また階段から落ちてたら、今度は誰が助けるんだろう。
「・・・・・・・・・・・・・・・俺が気にすることじゃねーし」
ふと考えてしまったことが、馬鹿らしくて小さく呟いて向きを変える。
けれど、確かに俺が気にすることではないけれど。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あ゜ー!!くそ!!!」
考え始めたら気になって寝れなくなった。
下駄箱で靴を突っ込んでいると、背後に気配がした。
振り返ると、“城島君”が、あ、という顔をしていた。
「おはよぉ」
「・・・・・・・・・・はよ」
にっこり笑った“城島君”にボソッと返すと、嬉しそうに靴を脱いだ。
「今日はサボりやないんやね」
「何それ。嫌味?」
「ちゃうよぉ」
そう言いながら歩き出した“城島君”の後ろをついていく。
階段を登る時、何となく嫌な予感がして上を見た瞬間、階段を登り損ねて躓いていた。
「あっぶねーなぁ!」
前につんのめった“城島君”の襟首をぐっと掴むと、下の方でぐえっと言う声がした。
「足元よく見て歩けよ」
「・・・・・・ごめん・・・・・・・・」
この日を境に“城島君”の世話係になってしまったのは言うまでもない。
だって気になってどうしようもないんだから、仕方ないじゃないか。
気が付けば毎日登校していた。
初めの内は“城島君”と常に一緒にいたわけではないけれど、
多分、階段の一件(それ以外思いつかない)が原因で、
突然寝てしまった時のフォローが全部俺に回されるようになり、必然的に行動を共にするようになった。
その内に、いつの間にか“番犬”というあだ名がつけられていた。
「番犬なぁ〜。・・・・・・・・・・もしかして僕は飼い主、とか?」
「当たらずとも遠からず。アナタはお姫様だってよ」
そう言ってゲラゲラ笑うと、シゲも苦笑を浮かべてシャーペンをカチカチ鳴らした。
試験期間に入り、親に、赤点取ったら退学して働け、と言われた俺は、
シゲ(”城島君”呼びは気持ち悪いからやめた)に勉強を教えてほしいと頼み込んだ。
出席はしていたものの、入学して二ヶ月ほど授業をまともに受けていなかったから、
途中からちゃんと受けるようになっても意味が分かるはずがない。
教師に頼るのも嫌だったので、シゲに頼んだのだけど、意外や意外。
ラッキーにも、シゲはクラス一の成績の持ち主だった。
そういうことで、一日授業の終わった教室で教えてもらっていたのだけれど。
ふと耳にした噂をシゲに話した返事がそれだった。
「お姫様、なぁ。そんな可愛らしいもんとちゃうで、僕」
「俺よりマシじゃん。俺なんて犬だぜ」
「そうやね。でも何で番犬なん?」
「あれ、知らねぇ?俺、中学で“北中の狂犬”って呼ばれててさぁ。
今とは比べ物にならないくらい荒れててね、大暴れしてたんだけど・・・・・・・・・・ってどしたの」
驚いた顔をしてこっちを見ていたシゲに問いかけると、いやいやと首を振った。
「ホンマやってんなー、それ。僕、関西からきたから、知らんかったんよ。
冗談教えられたんかと思っとってん」
そう言って、ホンマなんやと呟く。
「アンタってさぁ、ホント噂信じないよね」
「んー。まぁ、噂なんて占いみたいなもんやんか。当たるも八卦当たらぬも八卦で」
「そりゃそうだ」
「いい思い出もないしな」
ボソリと呟かれた言葉にシゲを見ると、面白くなさそうに顔をしかめた。
「・・・・・・・・・・僕こんなんやからな、病気感染るとかよぉ言われてん」
その口調で何となく分かってしまった。
クラスの奴との間にある、何かよく分からない距離感の正体が。
それと、何で俺に全部回ってきたのかってことも。
「感染るの?」
「生まれつきの病気が感染してたまるか。風邪じゃあるまいし」
「じゃあ気にする奴は放っときゃいいじゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かっとるわい」
微妙な表情を浮かべてシゲは俯いた。
そしてやりかけの数学の問題を解き始める。
「ちなみに俺は気にしねーから」
「聞いとらんがな」
「ひでっ」
わざとムッとしてみせると、シゲは苦笑した。
それを見て、笑ってる方がいいやと思った。
後日の試験で、赤点はもちろん回避できたことを報告しておく。
その日、シゲは休みだった。
定期検診の日だからと前日言われ、ならば休もうと思ったら、
代わりにノートを取っておいてと言われてしまった。
気が向いたらとは答えておいたけれど、サボってもすることがないので全部出席した。
眠たい現国の授業中、ふと窓の外を見ると、男子生徒が一人、たるそうに校庭を横切ってくるのが見えた。
教師もそれに気付いたらしく、窓の外を見て苦笑する。
「坂本も重役出勤か」
授業の内容と被る状況故の教師の呟きに、クラスに笑いが起きた。
俺は全く知らなかったが、“坂本”とやらは有名人のようだ。
授業が終わってから、横に座っている奴に聞いてみたところ、知らないことを逆に驚かれた。
「二、三年の不良に喧嘩ふっかけられて、一人で全滅させたらしいぜ」
「そっちの道の人と仲が良いとかって話を聞いたよ」
「目が合っただけでボコボコにされた奴がいるんだって」
聞けば聞くほどいろんな噂が飛び出てきた。
そんな奴が本当に高校生なんだろうかと思えるようなものまで、次から次にやってくる。
途中から聞くことさえめんどくさくなってきて、親切にも教えてくれる声を止めた。
普通に考えたらおかしいと分かるようなことなのに、どうして噂として生きてるんだろう。
それが不思議で仕方なかった。
と、次の日に、聞いた噂と諸々をシゲに言ったところ、大爆笑された。
「で、その噂の坂本君は、本当はどんな人なん?」
「知らね。でも隣のクラスだってのは聞いた。あと、隣のクラスの室長と昼飯食べてるって」
「へぇ。対極っぽいのになぁ。どんな奴なんやろ」
「隣のクラスだったらいつか絡むときもあるんじゃない?」
そう言って笑っていたら、そんな時はすぐに来た。
夏休み前のある日、シゲはいつも通り四限目が始まって、十分もしない内に眠ってしまったようだった。
机に完全に突っ伏してしまったシゲの後頭部を見つつ黒板を眺める。
授業を受けつつシゲに教えてもらい、試験もクリアして、いつの間にか数学だけは得意になっていた。
最近は物理も面白い。数学と似たようなところがあるからかもしれない。
興味を持つようになってからは、教師の説明も分かりやすく聞こえる。
中学のときも真面目に話を聞いとけばよかったなぁと思った。
集中力が切れ始めた頃、ちょうどよくチャイムが鳴る。
それでも目の前の席でシゲは眠ったままなのだった。
ふと、シゲはどんな風にノートを書いているのか気になって覗き込んで、妙な書き込みを発見した。
「・・・・・・・・・・・・・『今日は屋上で寝たい』? 何だそれ」
チラッとその寝顔を見ると、やはり何とも幸せそうな顔で寝ていた。
そして窓の外を見る。
雲一つない青空が広がり、確かに屋上で寝たら気持ちいいかもしれない。
「・・・・・・・・・ワガママなお姫様だなぁ・・・・・・・・・・・・」
苦笑しながらシゲの机の上を片付けて、全部適当に中に突っ込んだ。
そして急いで昼飯をかき込むと、シゲを背負って教室を出た。
相変わらず細くて軽い。
持ち運びには便利だけど折れそうだなぁと思いながら、階段を登る。
珍しくウチの学校は屋上を開放していて、誰でも入れるようにはなっている。
が、最近は噂の坂本が占拠していて入れないという話だ。
追い出されたらそれ相応の対応をすればいい話だし、シゲが行きたいって言ってるから気にはしなかった。
初めて登った屋上に続く階段の先にある扉を足で蹴飛ばして開けると、思ったより大きな音がしてしまった。
そこから顔を覗かせると、噂の坂本と隣のクラスの室長が並んでこっちを見ていた。
「お」
思わず声が出る。
「噂の坂本じゃねーか」
「噂って何だよ、元北中の狂犬」
俺の呟きに、噛み付くように坂本が返してくる。
短気な奴なんだなぁと思ったら、何となく面白くなった。
「知ってんだ。ちなみに本名は山口だから」
笑いつつ名乗りながら、シゲを庇で日陰になっている部分に下ろした。
そういえば潔癖とか言ってたなぁと思い出したが、めんどくさいのでそのままにした。
「別に邪魔しないから、そっちはそっちで楽しくやってくれよ。こっちの日陰借りるから」
短く声をかけて、少し前にシゲが薦めてくれた本を取り出す。
それは文字だらけの、いわゆる小説だったが、結構読みやすい内容だった。
常に読んでいるわけではなかったが、シゲが寝てしまっている間に読むという習慣になっていた。
「城島君寝てんの?」
坂本の向こう側に座っていた隣のクラスの室長が声をかけてくる。
「そうそう、噂通りだよ。四限目が始まってすぐ寝ちまってさ。
でもご丁寧に『今日は屋上で寝たい』っつーメモを準備してやがんの。
しょうがないから昼飯食ってから連れてきたってワケ。この人、昼飯食べねーから」
俺は笑いながら、シゲの足をバチバチ叩いてみた。
いつだったかに本人が言っていたように、何をしても起きる気配はない。
でも、寝始めて大体一時間だ。もうすぐ起きるだろう。
「もうそろそろ起きると思うよ。大体一時間でお目覚めだから」
そう言うと向こうの二人が、ふぅんと唸るのが聞こえたので、再び本に意識を戻した。
しばらく静かな時間が流れる。
ふと視線をやると、坂本がシゲを覗き込んでいるのが見えた。
興味深そうに観察しているようだ。
が、次の瞬間、突然シゲが目を開いた。
「あ、起きた」
「うお!!」
俺の言葉と同時に坂本が悲鳴を上げる。
結構近くまで顔を寄せていたから仕方ないだろう。
シゲは勢いよく身体を起こすと、頭を掻きながらキョロキョロと辺りを見回した。
「シゲー、おはよー」
寝起きのぼんやりした目の前で手をひらひらと振ると、シゲの眉間にシワが寄った。
それで眼鏡のことを思い出して、胸ポケットから出して手渡した。
「・・・・・・・・ありがとぉ」
シゲが眼鏡をかけながらそう言うと、坂本が驚いたように呟いた。
「・・・・・・・関西弁」
「あー、僕、中学まであっちにおったから・・・・・・・・・・あ。噂の坂本君や」
「だから、噂って・・・・・・・」
シゲも俺と同じように言うもんだから、坂本が困ったような微妙な表情を浮かべる。
「隣のクラスの城島ですー。通称『お姫様』です。よろしくー」
それをニコニコと見ながら、シゲは手を差し出した。
おっかなビックリといった様子で坂本もその手を握る。
坂本は完全に呑まれていた。
「俺は隣のクラスの室長やってる長野ですー。よろしくー」
すると、坂本の向こうにいた室長が、坂本を押し潰して身を乗り出してきた。
「長野、重たい」
「うるさいよ」
「・・・・・・・・・・・」
「尻に敷かれてんな、お前」
「うるせぇ番犬」
長野の言葉に黙り込んだから、率直な感想を述べると、即嫌味が返ってくる。
でも、そんなこと言われても痛くも痒くもない。
最近、シゲの番犬でも構わない、と言うか、大いに結構だと思えてきたからだ。
「ああ、番犬さ。だから何だよ」
だから、自信満々でそう言い返すと、坂本はぐっと黙り込んだ。
「あははー。負けちゃったねぇ、坂本君」
「お前のせいだろ!!」
言い返せなくなった坂本は、核心を吐いた長野に噛みつきに行く。
それが面白くて大爆笑すると、坂本は更に逆ギレしていた。
この日から、ときどき昼飯を四人で食うようになった。
夏休みが始まった。
めんどくさい終業式とホームルームを終えて、帰り支度をしているシゲに声をかけた。
「シゲー、このまま帰る?」
「おん。でも、ちょっとだけ図書館寄って帰るで」
「じゃあ一緒に昼飯食おーぜ。外で食って来いって言われてっからさ」
その誘いにシゲは嬉しそうに頷いた。
俺はシゲの鞄を持って、教室の外に向かう。後ろをシゲが慌てて追いかけてきた。
「自分で持つって」
「遠慮しなくてもいいのに」
笑いながら鞄を返すと、そんなわけにはいかないとシゲは首を振った。
「どこで食べるん?」
「どうしようか。マック行く?」
「マック?」
上履きを片付けながら不思議そうな顔をする。
「マクドナルドだけど・・・・・・・・・・」
「マック言うんか!?マクドとちゃうん!!?」
「何それ!そんな略し方知らねーよ!」
俺が声を上げると、シゲも驚いていた。
駅前はウチの学校の生徒でいっぱいだった。
自転車を駅前に止め、たむろしている集団を通り過ぎて改札に向かう。
電車通学のシゲにはちょっと待っていてもらい、切符を買って走って戻った。
久しぶりに改札を通り抜けてホームに出る。
通過電車の起こした風が涼しかった。
「なー。海行こーぜー」
「何なん。突然」
日陰で電車待ちをしていて、ふと思ったことを口にすると、シゲは苦笑を浮かべた。
「せっかくの夏休みなんだから遊びに行こうよ」
「でも僕泳がれへん」
「あ。俺も泳げない」
「何でやねん」
「いいじゃん。夏って言ったら海でしょ。海行って、水着着て、浜辺でナンパするんだよ」
俺の言葉にシゲは咽喉を鳴らして笑う。
「ええねぇ」
「でしょ。だから電話番号教えてよ」
俺の言葉にシゲが首を傾げる。
「遊びに行こうぜ。マジで。海じゃなくても、どこでもいいからさ」
そう言ってシゲを見る。
驚いたような顔をしていた。
「僕、と?」
「は?何言ってんの。シゲに話しかけてんだから、シゲとに決まってんじゃん」
「・・・・・・そっか。せやな」
そう呟いて、シゲは窓の外を見た。
俺もつられて外に目をやる。
鉄橋に入ったらしく、鉄の柱の向こうに河川敷が見えた。
「とりあえず、宿題終わってからな」
「え!!?そんなこと言ってたらどこも行かない内に夏休み終わっちゃうよ!」
「やらんつもりかい」
「もちろん」
「綺麗な笑顔でそんなこと言わんとってくれる?」
笑顔で答えると、胡散臭そうな表情を浮かべてシゲが睨む。
そんなこと言われたって、今までまともに提出した覚えがないのだから仕方ないじゃないか。
「まず遊びに行く前に一緒に宿題やろや」
「マジで?見せてくれるんならやる」
「見せるか。自分でやりや。教えはするけど」
意地悪そうに笑いながらシゲが言った。
その言葉にムッとすると、シゲが更に楽しそうな顔をする。
「数学と理科ぐらい自分でやりよ。僕より得意やんか」
ちょっと悔しそうなその言葉と態度に、ちょっと驚いた。
今まで大人びた感じの言動しか見たことなかったから、何となく嬉しくなる。
「教えてあげるよ」
「していらんわ」
ちょっとだけ感じた優越感で言った言葉は、あっさりと一蹴されてしまった。
夏休み中に、数回会って宿題を二人でやった。
ただ、何だかんだ予定が合わず、海には行くことが出来ないまま夏休みが終わってしまった。
けれど、収穫は一つ。
「シーゲー、今度これ弾いてみよーぜー」
二学期が始まってしばらく経った日の朝、俺は登校一番で、シゲの机に冊子を置いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「楽譜」
シゲの前の俺の机に鞄を放り投げて、シゲの方を向いて後ろ向きに椅子に座る。
この夏休みの間に、シゲがギターを弾いてるってことを、俺は知ることが出来たのだ。
「見てえぇ?」
「もちろん」
シゲは冊子を手に取ると、パラパラと中身を見る。
そして最後のページまで辿り着いて、眉間にシワを寄せた。
「・・・・・・・これ、難しない?」
「でも弾けたら、ていうか合わせたらきっと気持ちいと思う」
「確かに・・・・・・・・・・・・・」
ここからは俺の説得の手腕の見せ所だったが、説明もめんどくさいので省略する。
と、いうことで、最終的には、うんと首を縦に振らせることには成功したのだった。
最初は共通点なんて全然なくて、例えばシゲが階段から落ちてくることがなかったら、
あの時俺がシゲについて行かなかったら、あの日学校に行ってなかったら、前の日に親と喧嘩しなかったら、
きっと、こうやって共通の趣味を楽しむどころか、話しをすることもなく終わっていただろう。
出会いとかキッカケとかって、考えてみるとものすごい確率の出来事なのかもしれない。
「アイツ、毎日楽しそう」
そんなことを考えるようになった時、坂本がボソリとそう呟いた。
シゲと長野は図書館に行き、不良二人が屋上でダラダラしていたときのことだった。
「・・・・・・・・・・・それはお前もだと思うけど」
坂本の呟きに対して、俺が思ったことを素直に述べると、坂本は怪訝そうな表情を浮かべる。
「はあ?」
「お前も十分楽しそうに見えるぜ?」
「そうか?」
「まずちゃんと登校してるのが証拠だろ。長野といる時楽しそうじゃん」
「そんなことねぇよ」
「ま、自分のことは分かんねーだろーな。俺も言われて初めて分かったし」
「茂君?」
俺の言葉に坂本は人名で返してくる。それ以外の誰がいようか。
「そう」
俺は仰向けに横になりながら、頷く。
坂本が空を見上げているのが見えた。
そして、少し間を置いて、坂本は俺を見る。
「そういえば、山口は何で茂君の世話してるわけ?」
こっちを見て何を言うかと思えば、そんなことか。
不意を突かれたことが面白くて大笑いすると、坂本の眉間にシワが寄った。
「確かに世話だけど!それシゲの前で言うなよ。あのヒト拗ねるから」
俺はそう言いながら勢い良く起き上がる。
「最初は全然、しゃべったりもしなくてさ。お前みたいにサボってたから面識もほとんどないし?
自己紹介は聞いてたから、突然寝ちまうってのも知ってたけど、興味もなかったんだよ。
それが、たまたま出てきた日に教室移動があってさ、階段登ってる時に上から落ちてきたんだよ」
「危な!」
「そうそう!慌てて受け止めたって。そしたら寝てんの。仕方ないから保健室連れてったんだよ。
次の時間には復活してきてたんだけど、昼休みになったらさ、今度は何もないところで転ぶんだぜ?」
「・・・・・・・・・・・」
「もう、気になって気になって仕方なくってさ!気が付いたら『番犬』ってあだ名がついてた」
そうやって面白おかしく話してやった。
「そんな理由かよ」
話しきると、坂本は呆れ混じりの声でそう相槌を打つ。
まぁ、呆れる気持ちも分からんでもない。けれど。
「そんなもこんなも、それがキッカケなんだからどうしようもねーじゃん。お前だってそうだろ」
俺がそう言うと、坂本は一瞬考え込んで、そして完全に黙り込んだ。
「楽しけりゃ何でもいいんだって」
「・・・・・・・・まぁ・・・・・・・・」
ケラケラ笑うと、少し納得いかない様子ではあったが、最終的には頷いていた。
十月に入って少ししたある日、坂本が先輩に絡まれてるらしい、という話が朝の教室を占領していた。
「山口、お前ここにいて良いの?」
隣の席の奴が、珍しく声をかけてくる。
何が、と返すと、そいつはシゲの机を指差した。
「城島も巻き込まれてるらしいぜ。通りすがりの奴が言ってたけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。だから?」
俺の返答に、そいつは驚くほどの動揺を見せる。
「いや・・・・・・助けに行かないのかな、と・・・・・」
「何で?俺行ったって、坂本暴れてるんだったらどうしようもできねーじゃん。
どうせ教師も行ってんだろ?迎えに行かなきゃ来れないような人じゃないでしょ、シゲも」
「ああ、そうだな・・・・・・・・・」
わざと冷めたような言い方で返したのが、そいつらには効いたらしい。
すごすごと引っ込んでいったのを、横目で睨みつけながら、机に突っ伏した。
俺が飛んで行くだろうと期待して声かけてきたというのは丸分かりだ。
期待通り楽しませてやるほど俺は優しくない。
本当は、大丈夫だろうかと心配が頭の中をぐるぐる回っていたが、素知らぬ顔をして教室にいた。
シゲは二時間目が終わった頃に教室に現れた。
俺が声をかけると同時ぐらいに隣のクラスの長野が現れて、シゲを攫って行った。
クラス中が呆気に取られて静まり返る中、俺はその後を追いかける。
長野は屋上にシゲを連れて行くと、何があったのかとちょっとヒくぐらいの勢いで詰め寄っていた。
「おい、長野・・・・。シゲがビビッてるから・・・・」
引き攣った表情を浮かべていたシゲから長野を引き離し、長野もシゲも座らせた。
「で、何があったの」
「いや、あんまよく分からんねんけど、朝一緒になってん、坂本と。
で、喋りながら歩いてたら、先輩たちが現れて、いきなり坂本が殴られたんよ」
その話を纏めると、初め坂本は抵抗しなかったが、
途中から反撃を開始して、全員を叩きのめしてしまったらしい。
「僕は何もされんかってんけど、放って学校に行くわけにもいかんやん。
で、どうしようかと隅っこにおったら、先生たち来てん。でも先生たちも手ぇ出せんくらいでな」
怖かったわー、と、シゲはあまり緊張感の無い口調で呟いた。
「坂本君、怪我は・・・・・・・・・」
「最初の内殴られたり蹴られたりしとったから、怪我はしとると思う。
・・・・・・・・・けど、先輩たちの方が重傷なんちゃうかなぁ・・・・・・」
「シゲは?」
「僕?僕は最初に突き飛ばされたけど、何ともないよ。強いていえば腰打った」
「・・・・・・・・ふぅん」
俺が頷くと、シゲと長野が顔を引き攣らせる。
「・・・・・・・達、也・・・・・・・?」
「何?」
「何か、顔恐いで・・・・?」
「え?そんなことないでしょ」
とりあえず、シゲから更なる話を聞いている内に三時間目が始まって終わってしまった。
「・・・・・・・・・初めて寝てないのに授業サボってもうた・・・・・・・・・・・」
そんな呟きが聞こえたのは、聞かなかったことにした。
放課後、図書室に行ってしまったシゲと長野を待っている間、
ついでに坂本から話を聞いていると、どんな流れだったか誕生日の話になった。
「せっかくケーキ作ったのによぉ」
「お前がケーキ作ったの?似合わねー」
ゲラゲラ笑うと、うるさいと怒声が飛んでくる。
「お前はやんねーの?来月の十七日だってさ」
「何が」
「茂君の誕生日」
「女子じゃあるまいし、やるかよ」
そう言って、俺は肩を竦めた。
「結構嬉しいみたいだけどな」
「そうか?」
「長野は、だけど」
そして坂本は寝ると言って、それっきり黙ってしまう。
チラッと見て確認すると、腕を組んで目を閉じて、寝る準備万端で椅子に深く座っていた。
仕方ないので、最近止まっていた読みかけの本を取り出す。
整列する文字の列を目で追いかけながら、誕生日のことを考えた。
誕生日に物をもらって嬉しいだろうかと考え、
もらって嬉しいものをあげる、ということかという結論に至る。
「・・・・・・・・・・・プレゼント、ねぇ」
小さく呟いてみても、坂本は寝てしまったらしく何の言葉も返ってこない。
その内に二人が帰ってきて、すっかり忘れてしまっていた。
気がつけば十一月になっていた。
十七日当日の昼、長野がシゲに何かを渡しているのを見てシゲの誕生日のことを思い出した。
しまった、と思っていると、坂本が意味深な視線を向けてくる。
それに気付いたら、声に出さず“忘れてただろ”と言ってきたので、思わず睨み返した。
俺も坂本も、長野の行動には気付かなかったフリをして昼をやり過ごす。
けれど、午後の授業中は全く教師の話は耳に入らなかった。
知らなかったフリを通すことも出来るが、それはそれで何となく(俺が)気不味い。
悩んでいる内に午後の授業もSTも終わってしまった。
クラスの奴が次々に教室から出て行く。
「達也、帰らんの?」
「え、いや、帰るよ!」
シゲに声をかけられて、慌てて鞄を持って立ち上がる。
そして二人並んで教室を出た。
「あのさ」
「ん?」
「今日、誕生日なんだって?」
ついさっき知りました、という状況を装って声をかける。
「あー、長野から聞いたん?せやでー。実は誕生日やねん」
「おめでと。俺、何にも用意してないんだけど・・・・・・・・・」
そう言うと、シゲは一瞬不思議そうな顔をしてから、突然顔を背けて吹き出した。
「え・・・・・・・・・」
「もしかして、午後から暗い顔しとったの、これが原因やったん?
そんな、全然そんなこと気にせんでもえぇのに!」
いまだかつて見たことがないくらい、声を出して笑うシゲに、俺は呆気に取られてしまった。
「あんな、前、長野と料理の話しててな。そん時に、誕生日に交換しようかって話になってん。
それで僕は長野の誕生日にお菓子作って渡して、今日は長野からもらったんよー。
そんだけやねんで?いまだかつて男友達から誕生日に何かもらったことないよぉ」
「や、だって坂本・・・・・・・・」
「あれは長野が催促したらしいで?」
「・・・・・・・そうなの・・・・・・?」
ケラケラ笑うシゲの言葉に、何だかすごく脱力してしまった。
昼からの俺の苦悩を返してほしいと思う。
「何だ、それ・・・・・・・」
「でも、ありがとな」
「?」
「そこまで悩んでくれるとは思わんかった。ちょっと嬉しい」
照れながらシゲが言うので、何となく俺は恥ずかしくなってきた。
「・・・・・そりゃ良かった」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。何か恥ずかしいな」
それを改めてシゲが言うもんだから、顔が一気に熱くなった。
「それはこっちの台詞だよ!」
漂い始めた何とも言えない空気を薙ぎ払うように声を上げて、下駄箱に靴を突っ込んだ。
幸いにも、周りには誰もいなくて、今更ながらホッとする。
「来年は長野との交換も辞めるわー・・・・・・・」
「そうしてください」
誕生日をちゃんと祝ってやれなかったのは少し残念な気がしたが、
こんな生温い感じ、二度とゴメンだ。
「そういえばシュークリーム食べたない?」
「じゃあ、駅前のケーキ屋でそれ買ってあげるから、プレゼントってことで」
俺がそう言うと、シゲはものすごく嬉しそうに笑った。
さっきみたいな雰囲気よりは、こういう気楽な感じの方が性に合ってる。
ただ、安上がりで良かったと思ったのはここだけの話。
シゲさん、誕生日おめでとうございます!
これからもエロカッコいいあなたについて行きますv
ようやく完成しました・・・・・・。何か後半難産だった・・・・・・。
一応ツートップ祭りに投稿させていただいた話とリンクしてます。
そして、とある話の過去話になってる・・・・・・・・予定でした・・・・・・・・。
実は、元ネタの方を読みますと、矛盾する点が出てくるんですね・・・・。
お気づきにならなかった場合はそのまま過去話として、
お気づきになられましたら平行世界のお話として読んでいただければ幸いです。
改めて、39歳、おめでとうございます!
今年一年も充実した一年になりますよう、祈っております。
2009/11/17 (2009/11/23 完結)
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