電話に出たのは聞いたことのない声だった。
目的の人物の所在を聞くと、急ぎの用で出て行ったとのこと。
ならいいと電話を切ろうとすると、留守番を頼まれたというそいつが伝言は、と訊いてきた。
そいつの責任ではないのに申し訳なさそうで、笑ってる余裕なんてないのに思わず笑ってしまった。
『天井が回る』というのはあながち間違った表現ではないと思う。
まさか自分が風邪をひくなんてと思ったが、どうも身体の調子がおかしい。
たまたま仕事も用事もなかったから、いつもと同じ時間に目が覚めたのだけど、もう一度目を閉じた。
次に目を開いたのは、咽喉を金槌で叩かれたかのような痛みが襲ってきたからだ。
あまりに痛くて眠れなくて、重たい身体を何とか起こして台所に向かった。
どこかに風邪薬を置いていなかっただろうか。
そう思いながら霞がかったままの頭で台所を探る。
上の棚をと思い、いつもの調子で立ち上がって、そのままバランスを崩した。
どぉんと面白いほどの音を立てて、テーブルに背中から突っ込む。
たまたま手が触れていた、開いた戸棚の中身がバラバラと落下してきた。
そして俺は捜索を諦めた。
もしこのまま探していたら、いつか包丁がどこかに刺さるだろうと怖くなった。
俺はベッドに戻る前に電話をかけた。
今日の昼過ぎにシゲが来るはずだから、風邪をひいたことを言って断らなければと思ったからだ。
『はい、ジョウシマです』
「・・・・・・・・?」
数回のベルの後、耳に届いた声は、言っている内容に反して本人のものではなかった。
『もしもし?』
「あー・・・・・シゲル君、います?」
普通にしゃべったつもりが、未だかつて聞いたことのない掠れた声が口を継いで出る。
その掠れ声に自分でビックリしていると、電話の向こうから唸り声が聞こえてきた。
『あー、その。自分、今留守番しているんですよ。普段は勉強させてもらってるんですけど・・・・。
何か急に呼び出しくらったからて留守番頼まれたんで・・・・。正直どこ行ったか判らないんです』
困ったような、申し訳なさそうな声に俺は思わず笑ってしまった。
この電話の主が悪いわけでもないのに、きっと本当に心苦しく思っているんだろう。
申し訳ありません、と謝罪の言葉が聞こえた。
「いや、いいよ。しょうがねーや」
『すんません・・・・・。もし何でしたら伝言聞きますけど・・・・。リーダーが帰ってきたらすぐ伝えます』
「あぁ、じゃあ頼めるかな。今日の夕方の約束だけど、用ができたから延期してくれって伝えといて」
『はい!わっかりました!必ず伝えます!すんませんけど、お名前教えてもろてえぇですか?』
急に西訛りが強くなる。その変わりように再び笑いが戻ってきた。
最初から怪しくはあったが、今までは頑張って訛りを隠していたのだろう。
仕事を頼まれて張り切ったら出てしまったのかもしれない。
少し笑いながら名前を伝えると、必ず伝えますと切っていった。
「はぁ・・・・・・・・・」
しかし受話器を降ろすと意識せずため息が出た。
面白い奴だとは思ったが、少し、いや、かなりガックリきてしまった。
断るためだと言いつつ、もしかしたら予定を早めて来てくれるかもしれないと期待していたのも事実だったから。
体調を崩すと人恋しくなるとはよく言ったものだ。
最後の気力を振り絞ってもう一件電話をかける。
2コールで名乗った相手の名前を確認して、一方的にしゃべって切った。
「風邪ひいて死にそうだから今すぐ来い」
重たい身体を引きずって、台所でコップ一杯の水を調達してからベッドに潜り込む。
布団の感触に息をつくと同時に意識は飛んでいった。
激しく鳴るチャイムの音で目を覚ました。
寝る前よりは多少楽になってはいたがダルいのには変わりない。
無視しようと思ったが、戸を叩く音とともに聞こえてきた声に、何とか身体を起こして玄関に向かった。
「・・・・・・・・・(今開ける)」
言ったはずの言葉は声にならず、掠れた音が出ただけだった。
ガチャリと鍵の開く音がすると叩く音は止まる。
そして俺が開ける前に勝手に、勢いよく開いた。
「ちょっと兄ぃ!!鍵ぐらい開けといてよ!!」
「・・・・・・・・・(んな余裕あるか)」
掠れた声で文句を言うものの音にならなければしょうがない。
黙っていると、勝手に入ってきたマツオカは俺の手を引っ張ってベッドに引きずり戻した。
「兄ぃが風邪ひくなんてめっずらし!熱は測った?食欲は?どうせ薬も飲んでないんでしょ?」
マシンガンみたいに質問を投げ掛けるくせに、俺が答える前に行動を起こしていく。
どこからともなく体温計を探し出してきて俺に向けて放り投げ、持ってきていた袋とともに台所に消えた。
のそのそと体温計を脇に挟み、俺は布団に潜り込む。
これで安心だと思った瞬間、再び睡魔に襲われたのだった。
次に目を覚ましたときにはいい匂いが部屋中に漂っていた。
「あ、兄ぃ、調子は?」
松岡が心配そうに覗き込んでくる。
「・・・・・・・・・身体痛ぇ・・・・・・・・・」
どうせ出ないだろうと思っていると、予想外にも声は出た。
「声出るようになったね。もっかい熱測って。あと食欲は?」
「・・・・・・・・・ある」
「スープとミルク粥とどっちがいい?」
「・・・・・・・・・ミルク粥がいい・・・・・・・・・」
「言うと思った」
マツオカは体温計を俺の脇に差すと、台所に向かっていく。
少しして皿を持って戻ってきた。
「食べれる?」
「・・・・・・・・・それっくらいはできる」
意地で身体を起こすと、苦笑しながら皿を差し出した。
ミルクに混じってコンソメの香りが鼻に届いた。
現金なもので、食い物を目にした途端腹が鳴る。
ナガセじゃあるまいしと思いながら、ゆっくりとそれを口に運ぶ。
残念ながら風邪にやられたらしく全く味が判らない。
美味いに違いないんだろうなと思った。
「食べたらこれ飲んでね」
ベッドサイドの机に薬を置く。
「・・・・・・・・・悪いな」
「まぁビックリしたけど、黙って倒れられる方が困るから良いよ。
だって兄ぃってこういう時ほど頼ってこないじゃない?」
苦笑しながらマツオカはコップに水を注ぐ。
「・・・・・・・・・兄ぃも風邪ひくんだねぇ」
「・・・・・・・・・お前、俺を何だと・・・・・・・・・」
「ちゃんと人間だと思ってるよ。珍しいってこと」
「・・・・・・・・・昨日雪かきやってさ。ついでに近所のガキどもと遊んだんだよ。外でずっと」
「そりゃあ風邪ひくね、兄ぃでも」
あははと笑うマツオカに、何となく違和感を覚える。
あぁ、そうか。今日は・・・・・・・・・
「せっかくの誕生日にツイてないねぇ」
「全くだ」
皿の中身を食べきって、白い錠剤を口の中に放り込んだ。
どうせ味なんて分からないのだけど、急いで水で流し込む。
俺が薬を飲んだことを確認すると、マツオカは座っていた椅子から立ち上がった。
「じゃあ俺これからレッスンがあるから帰るね」
「おう。ありがとう」
「どういたしまして。あぁ、さっきリーダーから電話があったよ」
コートを羽織りながら、思い出したようにそう言った。
「約束延期ってどういうことやねんって言ってたから事情話しといたよ」
「・・・・・・・・・何か言ってた?」
「仕事終わったら飛んでくから〜ってさ。愛されてるねぇ、兄ぃ」
ニヤリ笑うマツオカに俺もニヤリと笑い返す。
「まぁな。でもお前だってちゃんと愛されてるんだから、明後日の誕生会、絶対来いよ。
俺もお前も主賓なんだから」
そう言ってビシッと指を差すと、面食らったような表情を浮かべた。
そしてすぐに苦笑いに変わる。
「分かってるよ。兄ぃこそ風邪治しといてよね!」
少し顔を赤く染めながらマツオカはそう言って部屋を出ていく。
そして去り際、一度振り返って笑った。
「今年は兄ぃに一番に言えるね。誕生日おめでとう」
「ありがとう」
俺が笑うとマツオカは満足そうに片手を上げ、今度こそ帰っていった。
時計を見ると短針は6と7の間を指している。
もう少しすれば、飛んでくるという宣言通り、馴染みの技師がやってくるだろう。
そして細々と世話を焼いてくれるに違いない。
風邪はひいてしまったが、一人で過ごすことを考えればまだマシだ。
しかも普段よりも甘やかしてもらえるとくれば、風邪をひいて良かったかもしれない。
そんな考えバレたら大目玉だけど、思うくらいは構わないだろう?
次のお客が来るまでもう一眠りでもすることにして、俺は再び目を閉じた。
Happy birthday, Yamaguchi !!
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37歳おめでとうございます!!
って、アレ?37歳です、よね?
あやふやになっているんですが、きっとぐさまが若いせいだと思います。絶対に。
これからも東京の大黒柱として、がんばってくださいv
いつまでもついていきます!
間に合わなかったのがちょっとショックです。
しかも前回までの話に比べると短いし、祝ってない気がします・・・・・。すみません・・・・・。
でも誕生日に風邪っぴきって悲しいですよね。経験ありますけども。
一応この後、ちゃんと週末に祝ってもらう予定ですから、良しとしましょう。
では改めまして、おめでとうございました!!
もしお気に召しましたら、どうぞお持ち帰りくださいませ。
2009/01/16
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