普段滅多にしない正装をしてコートを羽織り、汽車に乗り込んだ。

ガタガタと揺れる車内で、しばらく前にもらった封筒からチケットを取り出す。

記載されている席番を見て溜息をついた。

窓の外はこの時期には珍しく、青空が顔を覗かせていた。












  










チケットを貰ったのは昨日。
演奏会の練習があるからと、このところ顔を見せなかったヤマグチが昨日突然現れたのだ。

「・・・・・・・どないしてん」
ノックに呼ばれて扉を開けると、焦げ茶のコートを着たヤマグチが立っていた。
「いや、ちょっとね」
そう言いながら、勝手知ったる様子で家の中に入ってくる。
「え、お前、練習あるんやないんか。本番明日なんやろ?」
「前日はほどほどで終わらせるのがウチの主義なの」
「ホンマかいな」
ケラケラ笑うヤマグチに、僕は苦笑するしかない。
いつもの定位置に座るのを横目で見ながら、台所に行ってコーヒーの準備をした。
「ブラックでええやろ?」
「うん。任せる」
確認の言葉をかけつつ、本当はもうブラックで淹れてしまっていた。
湯気を上げるカップを差し出すと、ヤマグチは満面の笑みで受け取る。
「ホンマにこんなとこ来とってええのん?」
「いいんだって。もしかして迷惑だった?」
「や、仕事も一段落したし、別に迷惑やないけども」
「なら良いじゃない。気分転換だよ、気分転換」
そう言ってヤマグチはカップに口を付けた。



ヤマグチと出会ってもう5年近くになるだろうか。
まだベガ(上級)に昇格してすぐの頃だったと思う。
タイチの紹介で、呆れるくらいボロッボロのチェロを持ち込んできたのがアイツだった。
当時の僕に出来る限りの技術でそのチェロを直して、それ以来、ヤマグチは何だかんだ理由をつけてウチにやってくる。
そのお陰で、関係者の紹介が無ければ入れないこの町で顧客を増やすことができたのだけれど。

あまり外に出ない僕が言うのも何だけど、この町はある意味で閉鎖的である。
この町は音楽に関わる職業の人間が集まったギルドだ。
ギルドの規模が大きくなって町になったといっても間違っていないだろう。
それで何故閉鎖的か。
この町には、この町の関係者、つまり所属する職人又は顧客の同伴か紹介状が無ければ入ることができない。
どんなに高い地位や資産を持っている人物であっても、それが無ければ門前払いをされるのだ。
それが許されているところがこのギルドの七不思議の一つでもある。
だから、自分から広報活動をしない限りは顧客を増やすことができない。
でも僕はそういうことが得意ではなかったから、タイチがヤマグチを紹介してくれて助かったと思っている。
ヤマグチがいろいろと紹介してくれて、今僕はシリウスランクの技師として認められたのだから。



「ナガセ泣かしちゃったんだって?」
ニヤニヤ笑いながらヤマグチが僕を見た。
「・・・・・・・・・・・・・なんや、それ」
「あの日俺は気付かなかったけど、マツオカがさ。ナガセ泣いたみたいって言っててさ」
何かあったんでしょ、とテーブルに肩肘をついて僕をじっと見てくる。
「・・・・・・・・・・・・・あれはナガセが、昔のこと思い出して・・・・・・」
「昔?ツンツンしてて、ナガセに出てけって言った事件?」
「!?・・・・・・・・・・・何で知っとん!?」
「タイチから聞いた。想像できないよねー、今のアナタ見てると」
「・・・・・・・・・・・・・」
楽しそうな視線が痛くて、僕は目を逸らす。
窓の向こうを見ると、少し曇り始めていた。また雪が降るのかもしれない。
「俺が初めてここに来たときも、あれはまだツンツンしてた頃?」
「・・・・・・・・・知らん」
少し前の僕のことを、タイチもナガセも『ツンツンしてた』と言うけれど、自分ではよく判らない。
確かに積極的に話しかけたりだとか、そういった苦手で、無愛想ではあったけども。
「でもその頃に比べると丸くなったよね」
「・・・・・・・・・僕?」
「うん。だってこんなふうに会話にならなかったじゃん。俺が一方的にしゃべってたもん」
「そぉかぁ?」
何が楽しいのか、ヤマグチは満面の笑みでそう言いながらコーヒーを一口飲んだ。
まぁ、自分のことは自分では分からないことだって多い。
ヤマグチがそう言うのだから、丸くなったのかどうかは別として、きっと僕は変わったんだろう。
そうかと一人納得して、僕もカップに口を付けた。
「そういえばナガセは?」
「タイチんとこ」
「演奏ツアーの?」
「そう。昨日やったかな、準備があるからってタイチんとこ行ったわ。
 このままツアーに行ってまうらしいから、しばらく戻って来ぃへんと思うで」
ナガセは昨日までに部屋を片付けて出て行った。
だから昨夜は久々にこの家で独りで過ごしたのだけれど。
「寂しいんじゃない?」
ヤマグチの言葉に、僕は思わずその顔をじっと見た。
からかっているように思えたが目は真剣で、本気で言っていることが判る。
そう思った瞬間、ヤマグチのその言葉がすっと入ってきて、今の気持ちに納得がいった。
「・・・・・・・・・・せやなぁ」
そうか、寂しかったのか。
何となく心の中にしこりがあるような気がしていたのは、これだったのか。
答えが出た途端、少しだけ恥ずかしい気持ちと自分に呆れてしまう気持ちとで、自然と苦笑が浮かんだ。
「寂しいのかもしれんな」
考えてみれば、この町に来てから独りでいたことがなかった。
すぐの頃は師匠の家で過ごしていたし、独り立ちしてからもナガセがいた。
1人で生きていかなきゃと思っていたはずなのに、いつの間にこんなふうになってたんだろう。
「・・・・・・・・・明日の予定は?」
「・・・・・・・・・・・・・へ?」
物思いに耽ってしまい、突然の問いかけに素っ頓狂な声を出してしまった。
「明日は暇?」
「・・・・・明日?あぁ・・・・特に予定はないけど・・・・・?」
「だったら、はい」
そしてヤマグチはどこに持っていたのか、1枚の封筒を差し出す。
「・・・・・・・・・・?・・・・・・・・・・・何なん、これ・・・・・・」
「明日のチケット。絶対来てよ。てかちゃんと正装してね」
「は?なん・・・・何やて!?」
「そういうこと。じゃあ明日駅前の時計台の前で17時ね。ちゃんと迎えに行くからさ」
「え?え?」
意味が解らないままなのに、ヤマグチはそのまま立ち上がって帰る準備を始めた。
「じゃあ俺帰るね。コーヒーご馳走さま」
「ちょ、待てや!ヤマグチ!?」
「また明日!」
言うが早いかヤマグチは外に出ると同時に走り去った。
元スポーツマンだというヤマグチに、当然ながら文科系の僕が追いつけるわけもなく。
追いかけようと思う前にその姿は見えなくなってしまった。
「・・・・・・・・・・・・・」
時計を見る。そういえば汽車の時間が迫っていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・何なん、アイツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
扉を開けっ放しにヤマグチが走り去った方を見つめ、僕はそう呟くしかできなかった。






それが昨日のこと。






汽車はゆっくりと、市の総合駅に到着した。
放送が流れる中ホームに降りる。
北方で最も大きい市の総合駅だけあって、何本もの線路が集まり、物凄い数の人々が立ち回っていた。
ヤマグチと関わるようになってから、何度もこの駅に来たことはあるが、いつも迷いそうになる。
確か改札はこっちだったと記憶を辿り、やっとこさ駅を出た。
駅前は大きな建物が立ち並び、町ではあまり見ることのない自動車が行き来していた。
腕時計を見ると、短針は5を、長針は12少し前を指している。
開場は17時だったと記憶していた。ヤマグチが迎えを寄越すと言っていたような気もする。
誰が来るんだろう。
そう思いながら言われた場所、駅前の時計台の方に歩いていった。
視界に映る時計台。
そして目に入ってきたのは見たことのある背格好の人物。
「・・・・・・・・・・ヤマグチ!!?」
「お、流石シゲさん。時間ピッタリだね」
「おまっ・・・・これから本番なんちゃうんか!!?」
思わず走り寄る僕に、ヤマグチはただただ楽しそうに笑うだけ。
「いいからいいから」
「よくないやろ!このチケット、お前のオケのチケットやろ!?いっぱいお客さん来はるんちゃうんか!」
「まぁまぁまぁ」
何を訊いても何も答えが返ってこない。
意味が解らなくて混乱して段々と腹が立ってきたとき、急に手を掴まれた。
「良いから、行こう。ほら、こっち」
「え!?あ、ちょっ・・・・・・」
僕の問いかけに答えようともせず、ヤマグチはぐんぐん僕を引っ張っていく。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「どうしたの?汽車に酔った?」
腹が立って黙っていると、突然ヤマグチが振り返る。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「怒ってるの?」
「・・・・・・・・・・・説明せぇや」
「ダメ。まだ」
「なら行かん。帰る」
僕は渾身の力を込めて、その場で足を止めた。そのせいでヤマグチはつんのめり、驚いて僕を見た。
「何で?」
「意味解らん。僕をからかっとるんやろ。嫌や。帰る」
「何でヘソ曲げるの。そこまでヒドイ事、俺はしてないよ」
「説明せんとヒトのこと笑うんは馬鹿にしとんのと一緒やろ」
僕の言葉にヤマグチは困ったような表情を浮かべる。
そして掴んでいた僕の手を離し、言葉を選ぶようにしてゆっくりと口を開いた。
「馬鹿にしてるように感じたなら、ゴメン。でもそんなつもりは全然なかった。
 今日は確かに演奏会で、出演する俺がここにいるのは変だと思うのは良く判る。
 でも、今日は本当は、そんなちゃんとした演奏会じゃないんだ。だから迎えに来れた。
 それだけ・・・・・・・・・・・・・・・なんだけど、これで納得してくれる?」
最後の方は何故か早口になっていたような気はしたが、それでも理由としては納得いけるものだと思う。
「それなら納得できる。・・・・そうやって説明できるんやったら最初からすればええやんか」
「本当は全部内緒でやりたかったの!それがシゲがごねるから・・・」
「僕のせい言うんか」
「そうは言わないけど!ほら、行こうよ」
少し不貞腐れた口調で、今度は勝手に歩き出してしまった。
どうやら僕の機嫌が治った代わりに、アイツの機嫌を損ねてしまったようだ。
「待ってぇな」
ふと自分も子どもだったけどアイツも大概子どもだと気付いて、何となく笑えてきた。
でもこれで笑ってしまうと立場が逆転して、また揉めてしまうだろう。
僕は素直にその背中についていった。

辿り着いたのはヤマグチのオケが普段公演しているホールだった。
「ちゃんとした演奏会やないのにここなん?」
「うん。交渉したら使っていいって言ってもらえた」
ここまで来る間にヤマグチの機嫌は治ってくれたらしい。
僕の問いかけに素直に笑顔で返してくれた。
「チケット、別にチェックする場所ないからさ。その席に座ってて」
「ん。分かった」
「あ、シゲルくん」
ヤマグチに言われた通りホールに向かおうとすると、改まって呼び止められた。
「・・・・・・・何なん。そんな呼び方滅多にせんくせに」
いつもと違う呼ばれ方に驚いて振り返る。ヤマグチも何だか照れくさそうな顔をしていた。
「誕生日オメデト」
「・・・・・・・・・おお!ありがとう」
「俺が一番でしょ?これは迎えに行った奴の特権だもんね」
素直にありがとうと答えると、ヤマグチは自慢げにそう言った。
「おん。一番や。ありがとな、タツヤ。公演楽しみにしとるから」
お返しとばかりに僕もヤマグチを下の名前で呼んでみた。
するとヤマグチは度肝を抜かれたような表情を浮かべ、瞬時に耳が赤く染まる。
「・・・・・・・・うっわぁ、こんなこっ恥ずかしいこと、俺したんだ・・・・・・・・・・・・」
そうボヤキながら、ヤマグチは手を振って舞台裏に向かって歩いていった。
少し愉快な気分になって、僕も足取り軽くホールに歩き出す。
腕時計を見ると18時まであと15分ほど。開演時間ギリギリだ。
ホールの重い扉をゆっくりと開く。
金属の軋む音が少ししてホール内が顕わになって、僕は一瞬固まった。
千人近く収容できるはずの客席には誰もいなかった。
「・・・・・・・・・えー・・・・・・・・・・」
なんでやねん。
人間、驚くとそんな言葉しか出てこないらしい。
誰にともなく突っ込みの言葉を呟いて、僕は呆然としながらもホールの中に入る。
「誰も居らんがな・・・・・・・・・・・」
理由を訊きに楽屋へ行くのも手だが、ふと、行きのヤマグチの様子とこの状況とが頭の中で合致する。
訊きに行くのは無粋だと判断し、僕はそのまま指定の席に向かった。
想像通り、指定の席は前の方の、一番見やすいど真ん中の席。
そこに深く腰掛けると、緞帳が上がるのを待った。


ほどなくして緞帳が上がった。
広い舞台にも関わらず、真ん中に全てが集合していた。グランドピアノと椅子が3台、後ろにドラムセット。
「・・・・・・・・・・・クラシック・・・・・・・・・・・・?」
首を傾げると同時に演者が現れる。
出てきた人物に、僕は口を開いたまま言葉を失った。
グランドピアノに腰掛けたのはタイチ。チェロは言わずもがなヤマグチで、ドラムにはマツオカが座った。
コンバス、セカンドバイオリンには顔見知りが座り、ファーストにはナガセが現れる。
ナガセは驚いている僕を見ると、ニッと笑いピースサインをした。
その瞬間タイチに頭をものすごい勢いで殴られていた。いつものことながら大丈夫だろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、演奏が始まった。
恐らくは演奏に関しては素人に近いナガセに合わせたのだろう。
難易度としては低いアンサンブル曲ではあったが、完成度は高かった。
そのまま2曲ほど、楽曲にはあまり詳しくはないけれど、それでも聞いた事があるような曲が演奏される。
最後の曲が終わって、僕は立ち上がって手を鳴らした。
すると突然、ナガセがバイオリンを置いて舞台袖に引っ込んだ。
「?」
思わず手を止めると、マイクを持って戻ってくる。
そして、ピアノの伴奏と同時に歌い始めた。
「Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag.
 Bevor die Morgensonne diese wunderbare Zeit hochgeht」
誕生日を祝う言葉が並ぶが、聞いたことがない歌だった。
ジャズのような旋律にドラムと弦が入り込む。
演奏している6人は楽しそうに、僕のほうを見てくる。

ああ、何て恥ずかしい。

こんなふうに祝ってもらえるのは嬉しいけど、こんな、照れくさいじゃないか。

だんだんと顔が赤くなっていくのが判った。
「Dear Shigeru! Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag!!」
歌が終わっても、気恥ずかしくて顔を上げられない。
舞台の上から笑いが起きて、ほら見ろー、と言う声も聞こえる。
「シゲ!」
ドンと音がして、走ってくる足音。
ヤマグチが舞台から降りてきたんだろう。
「どうだった!?」
チラリと顔を上げると、満面の笑み。
ああ、どうか顔が赤いのがバレませんように。
「・・・・・・・・・・・・良かった」
「ホント!?マジで練習したんだぜ、これ!わざわざナガセにも早めに出てきてもらってさ」
「・・・・・・な・・・・何、ナガセがウチにおらんかったこと知っとったんやないか!」
「だって驚かせたかったんだもん」
そう言ってヤマグチはにっこり笑った。そんな、30歳に近い男が『だもん』はないと思うんだけども。
「改めて、おめでと」

まぁ、それでもいいか。今日くらいは。

「・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう」
そう思って笑って返すと、ヤマグチは照れくさそうに、どういたしまして、と呟いた。



「ぐっさんヒドイ!!『改めて』ってことはフライングで言っちゃったんでしょ!」
「うるせー!迎えに行った俺の特権なんだよ!文句あっか!!」
「おーぼーだー!」
舞台の上からごねるナガセに何かするためだろう、ヤマグチが全力疾走で舞台に駆け上がる。
ゲラゲラ笑いながらタイチとマツオカが舞台から降りてきて、改めて祝いの言葉をくれた。


そして思った。
自分は思ったよりも大事にされてるんだ、と。

僕がいるからこうやって飛び回ることができるなら、
やはりアイツらが帰ってくる場所を守り続けていかなければ、と。


調子に乗った考えだとは我ながら思うけど、それはそれで間違っていないような気がした。

誕生日の今日くらい、そんなふうに考えてもいいでしょう?






Happy birthday, Shigeru !!


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38歳おめでとうございます!!

最近はオトナの魅力といいますか、エロカッコよさがアップしてきて息も絶え絶えです(笑)
バラエティでのほんわか空気の貴方も、ライブでの鋭い貴方も、どっちも大好きです。
再来年には40歳ですが、どれだけ歳をとっても、ずっと貴方についていきます!
これからも、エロカッコよく、そして皆から愛されるリーダーでいてくださいv


何か気合入れすぎてプロットからかなりズレたような気がするぜ!!(汗)
ぬおお、毎年失敗してるよ!好きすぎて上手く書けない!!
そしてリーダー視点が苦手ということに気付きました。ガックリ・・・・。
とりあえず、前回、前々回と同じ設定でございます。
クラシックは聞かない人間なので、曲の描写についてはご容赦ください。
ちなみに途中のドイツ語もエセです。教養で習った時の記憶なんてありゃしません(汗)
一応紫氏作のバースデーソングの独訳です。(言わなきゃ判らないですよね・・・・)

改めまして、おめでとうございました!!


もしお気に召しましたら、どうぞお持ち帰りくださいませ。


2008/11/17


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