持ちかけられた話を聞いて、初めは心が飛び跳ねた。
けれど次に滲み出てきた気持ちにチクリと胸が痛んだ。
頭が真っ白で言葉が出てこなくて、口を開いたまま黙っていると、彼は笑った。
今すぐでなくて良いから。
そう言って去っていく姿を見送った後も動けなかった。
夢を見た。
小さい頃の夢だった。
何度も何度も繰り返し見た夢だったけれど、何度見ても慣れないもんには変わらない。
一番初めの思い出は差し出された手だと思う。
当時の新聞を見る機会があって初めて知ったことだけれど、
北東の国境線はその頃は一触即発だった隣国との衝突場所だったらしい。
そこで生まれて暮らしていた俺が、
イザコザに巻き込まれて家族も家もなくしてしまったことは想像に難くない。
俺を拾ってくれたのはリーダーだった。
見下ろしてきたお面のような表情の無い顔と、それに反して温かかった手を未だに覚えてる。
そして、『拾ってきた者が面倒を見ること』というルールを示されて、
当時無表情だったリーダーが『げっ』という顔をしたことも覚えてる。
けれど何だかんだ言いながらも面倒を見てくれていたのだから、
今思えば拒否されていたわけではなかったんだろう。
あの頃は俺もリーダーもガキすぎて、何もかもがヘタクソだったんだ。
一緒に暮らし始めた頃、リーダーは師匠の下で勉強中の身だった。
けれどランクももらっていて、専用の工房を与えられたばかりだったらしく、
俺に割り当てられた部屋も新しい匂いがしていた。
『作業場に入ってはいけない』
リーダーが定めたのはそれだけだった。
それ以外は何をしても何も言われなかった。
というよりも、リーダーは俺に対して無関心だった。
食事を作ってくれないわけでもその他諸々の世話をしてくれないわけでもなかったが、
とにかく必要以上の接触を取ろうとは決してしなかった。
その頃の俺は、この人に見捨てられたら生きていけないと思い込んでいたみたいで、
絶対に約束は破らなかったし常に良い子でいた。
でも本当はすごく寂しかったんだ。
その日は雪が降っていたような気がする。
その冬初めての雪だったかもしれない。あまりはっきりとは覚えていないけれど。
セントラルヒーティングもまだちゃんと働いていない時期だった。
自分の部屋が寒くて、俺はその時唯一暖房器具のあったリビングで宿題をしていた。
リーダーは買い物に出ていたと思う。家にはいなかった。
宿題は担任お手製のプリントだった。
でも勉強があまり得意ではなかった俺は書いたり消したりを繰り返して、
何かの拍子にそのプリントを吹っ飛ばしてしまった。
「あっ」
ヒラヒラと飛んでいく紙切れ1枚を追いかけて、俺は椅子から降りた。
その時は、今もそうだけれど、リビングの横に工房があった。
でも別に壁で仕切られているわけでもなく、今みたいに観葉植物で分けられているわけでもなかった。
ただ1mくらいの高さの本棚で仕切られているだけだった。
だからプリントは勢いに乗って、そのまま作業場の方まで飛んでいってしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
作業場とリビングの境目に立って、俺はしばらく悩んだ。
でも30分近く悩んで半分も埋めることができていなかったのに、
いつ帰ってくるか分からないリーダーを待っていたら終わらないかもしれない。
すぐ出れば大丈夫。
でも見つかったら怒られる。
「・・・・・・・・・・・・・」
俺は時計をちらりと見て、そしてそっと作業場に足を踏み入れた。
できるだけ急いで、でも足音は立てないように。
運が悪いことにプリントは奥の方まで飛んでいってしまっていた。
それを発見して、走り寄ってしゃがんだ。
そして手に取った瞬間、玄関の扉が開く音がした。
「!!」
早く隠れなきゃ。
近付いてくる足音を聞きながら、バクバクと音を立てる心臓の音を聞いていた。
頭の中が真っ白で、身体が動かなくて、そのまま固まっていると、すぐ傍で足音は止まった。
「・・・・・・・・・・・・・・何しとん」
「・・・・・・あ・・・・・・」
腹に響くような低い声に顔を上げる。
その先には見下ろしてくる視線があった。
恐ろしくて声が出なかった。
黙っていると、いきなり腕を掴まれて持ち上げられ、作業場の外に放り出された。
「出てけ」
そして一緒に言われた言葉に、俺は頭の中が真っ白になった。
コンコンと扉が小さく音を立てた。
聞こえていたけれど知らないフリをした。
「ナガセ?」
扉の向こうから呼ぶ声がした。
それにも答えずに、俺は布団を頭から被った。
「・・・・・・・・・・・・入るで」
言葉とともに、金属の軋む音が耳に届いた。
そしてコツコツと足音が近付いてくる。
それはベッドの傍まで来て、聞こえなくなった。
「ナガセ?起きとるん?今日は午後からや言うとったけど、さすがに起きなあかん時間やで」
穏やかな柔らかい言葉が降ってくる。
「ナガセー?」
ベッドが揺れた。
どうやら端の方に座ったらしかった。
俺は背中を向けていたけれど、布団を捲って振り返る。
「お、起きとったん。おはよお」
目が合って、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、リーダーは柔らかな笑顔を浮かべてそう言った。
夢の中の無表情なリーダーとは似ても似つかない笑顔だった。
「・・・・・・・・・・おはよ」
俺はいつものように挨拶を返した。
薄暗い部屋の中。いつもと変わらないはずなのに、それに違和感を感じた。
あれ?
もしかしてこれは夢なのかな。
今が夢で、リーダーが怒っていた方が現実?
「・・・・・・・・・・っ」
突然不安になった。
「えっ?な、何?」
リーダーの驚いた声が聞こえた。
「・・・・・・・・どうしたん、ナガセ」
リーダーの服を掴んでいた俺の手に手をかけてリーダーは首を傾げる。
「ナガセ?」
「俺、出てかなきゃいけないですか?」
今が夢で、さっきが現実なら、俺は出てかなきゃならない。
だって約束を破ってしまったから、出てけって言われてしまったから。
「・・・・・・・・・出てくって・・・・・・・・何で・・・・・・・・・?」
「・・・・・・だっ・・・・だって・・・・・俺、約束破って・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・約束?」
リーダーの不思議そうな声が聞こえた。
どう言って良いのか分からずに黙って俯いていると、突然頭を撫でられた。
「昔の夢見たん?大丈夫やでー、別に追い出さへんよ。お前がここから出て行ってもな」
「・・・・・・・・・え・・・・・・・」
言っている意味が分からなくて顔を上げると、リーダーは苦笑しながら俺の頭を撫でていた。
「あれやろ?僕が『出てけ』言うた時のことやろ?アレはホンマゴメンな。言葉が足りへんかったわ」
「・・・・・・・・や・・・・・じゃなくて・・・・・・・・・」
「ん?」
「俺が出てくって・・・・・」
まだ誰にも話していなかったはずなのに、どうしてリーダーは知っているんだろうか。
俺が、タイチくんに、演奏ツアーに専属調律師としてついてきてほしいって言われてること。
「・・・・・・・・・・・タイチがな、言わなきゃ良かったかなって相談してきてん。
修行になるから良いかなと思って声かけたんだけど、悩ませちゃったみたいだって」
「・・・・・・・・・」
「タイチもな、不安なんやって。ほら、演奏ツアーだなんて、あの子初めてやろ?
やから知り合いと一緒にいたいて思ったんやないかなぁ。どう思う?」
苦笑しながら、リーダーは俺の頭から手を離した。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・ナガセはどうしたい?」
『どうしたい?』
リーダーの言葉に、昔のことが思い出された。
『出て行け』と言われた後、ショックが強すぎて家を飛び出した俺は、待ちの外れまでやってきた。
飛び出したはいいものの、行く場所なんてなくて、降っていた雪をやり過ごすために橋の袂に潜り込んだ。
その頃の俺の中でリーダーは絶対の存在だったから、出て行けといわれて、世界が終わったように思っていた。
頭の中は真っ白で、どうしていいのか分からなかった。
雪が降っていたのは覚えているけれど、寒かった覚えはなかった。
しばらくして、リーダーの先生が俺を見つけてくれて、帰りたくないと泣きじゃくる俺を連れて帰った。
そうして家に帰って、怒られると思ったら、そうじゃなかった。
青い顔をしたリーダーが、泣きそうな顔をして部屋にいて、俺を見るといきなり抱きしめてくれた。
そしてそう言ったのだ。
『・・・・・・・・・・ゴメン。僕はどうしたらいい?・・・・・・・・お前は、どうしたい?』
ああ、そうだ。
俺は自分で望んでここにいて、それをリーダーも受け入れてくれたんだ。
「・・・・・・・・・・・俺は、ここにいたいです」
「うん」
「でもタイチくんと一緒にも行きたいです」
「うん」
「でも俺はここに所属してるわけじゃないです。まだ勉強中の身だから、職人じゃないから」
ここで生まれたわけでもなくて、拾われただけで、居させてもらっているだけで。
この町で居場所はここしかないのに。
それなのに、自分から出て行ったら。
「だから・・・・・・・・出て行ったら・・・・・・・・・・・戻ってこれないんじゃないかって・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・怖かった?」
ちらちらと降ってくる雪みたいに、小さな声が俺の言葉を繋いだ。
「・・・・・・・・・・うん」
だんだんと視界が歪んでくる。
滲んでくる涙を抑えることが出来なくて、そのうちに一滴がシーツの上に落ちた。
「ちょお待っとり」
リーダーは突然そう言うと、ベッドから立ち上がり部屋を出て行った。
残された俺が呆然としていると、階段を降りる音に続いてすぐに登る音がした。
そして入ってきたリーダーは、1通の封筒を持っていた。
「本当は、今日の夜全員揃うからなぁ。そん時に渡そう思っとってんけどな」
カサカサと音を立てながら封筒の中からカードのようなものを取り出して、俺に差し出した。
「見てみ」
「?」
それを受け取って書いてある文章を読んで、一瞬書いてある内容が理解できなかった。
「・・・・・・・・・・・・・これ・・・・・・・・・・・・・?」
「こないだ試験受けたんやろ?進級おめでとう。
まだスピカ(初級)やけど、これでちゃんと顧客持てるやん」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「お前の居場所はここにあるよ。まだ工房は認めてもらえへんけど、ちゃんとこのギルドの一員や。
もしこれからもお前がここに居ることを望むなら、僕はこの部屋をずっと残しとく。
お前がここでシリウス(最上級)になるつもりなら、工房をもらえるまで、ずっと残しとく」
リーダーはベッドの端に腰掛けた。
「やから、好きなところに行っといで。いろんな所に行って、いろんな経験や勉強をしといで。
そんで失敗して行くところが無くなったらここに戻ってこればええねん。
僕はずっとここに居るから。そんでお前の場所をちゃんと守っとくから」
そしてもう一度俺の頭を撫でた。
「安心して行っといで」
リーダーがそんなことを言うから、我慢していた涙が止まらなくなった。
「・・・・・ぅ・・・・・・・わあああああん!」
久しぶりに、俺は大声を上げて泣いた。
リーダーは俺が泣きやむまでずっと傍に居てくれた。
そうだ。
リーダーは、本当はこうなんだ。
ツンツンしてた昔も、今でも、分かりにくくはあるけれど、いつも優しくて、温かい。
リーダーだけじゃなくて、ヤマグチくんもタイチくんもマボも、みんなみんな優しい。
だから俺は、ここにいたいと思ったんだ。
ここに居ることができて、ここに居場所があって、本当に嬉しい。
「ほらほら、泣くの満足したんやったら顔洗って目冷やしとかな。
今日はせっかくお前の誕生日祝うために3人来るんやから。主賓が泣いとったらあかんやん」
ポンポンと俺の背中を叩きながらリーダーが苦笑する。
「・・・・・・うん」
「ちゃんとケーキも用意しとんねんでー。お前が好きなもんぎょーさん作ったんやからちゃんと食べてもらわな」
もったいないやんか、と言いながらリーダーは立ち上がった。
最後のセリフを言わなきゃ感動したのに。
そんなことを思いながら、それがリーダーらしさかなと考えを改める。
今日、タイチくんにちゃんと伝えよう。
それで、みんなの前で宣言するんだ。
俺は最高の調律師になるんだって。
この、最高な誕生日に。
Happy birthday, Nagase !!
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30歳おめでとうございます!!
30歳なんですねー。そういう実感はこちらには湧いとりませんが・・・・。
年々ワイルドになってきていますが、子どもっぽさも残っていて、素敵になっていきますね。
いつまでも子どもの心を忘れない貴方が大好きですv
これからもワイルドにがんばってくださいvいつまでも応援していますv
今回は間に合いました!
前回のベイベ誕と同じ設定ですが、何か違う気がする・・・・・・(汗)
ツンツンリーダーをチラッと出しましたが、書きにくいわ(苦笑)
リーダー誕も頑張ります!次も同じ設定で行きます!
では改めまして、おめでとうございました!!
もしお気に召しましたら、どうぞお持ち帰りくださいませ。
2008/11/07
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