鬱蒼とした森を両手に、遙か上部に果てしなく石段が続く。
その先には真っ暗な闇が顔を覗かせていた。








r i s k a s p r a t t o c a t c h a w h a l e








暗い石段を一陣の風が走り抜ける。
それは生温く禍々しい気を帯びた不快な風。
それを追うように石段を駆け上がる影3つ。
「あいつ予想以上に速いし!!」
後方を走る2人の片方が声を上げた。
「普段鍛えてんのに追いつけねぇ!!茂君は別として」
「何で別やねん!!相手は狐なんやから、人間が追いつけるわけないがな!!」
太一の呟きに城島は過剰反応する。
「2人とも大丈夫?」
前方を走る松岡が振り返って2人に声をかけた。
「・・・・・・・・・・・っ何でお前息切らしてねぇんだよ!!」
太一がその様子に反ギレして叫ぶ。
「え?」
「あかんて、太一!松岡に言うても意味ないがな!」
首を傾げる松岡をよそに、城島は太一を諫めた。
「あ、そっか」
納得する太一。
「え・・・・・・・・?何で!?何で俺に言っても意味ないの!?」
松岡が少し動揺しながら2人に訊く。
そして城島と太一は声を揃えてそう言った。
「「お前犬だから」」


「犬じゃないから!!俺は断じて犬じゃないからぁ!!!!」
器用にも、振り返って絶叫しながら階段を駆け上がり続ける松岡。
「じゃあお前の曾々祖父さん何だよ」
「え?え〜と・・・・・・・・・・山犬」
「犬やん」
「・・・・・・・・・ぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・わぁああん!!太一君のバカぁ!!茂君なんて大っ嫌いだぁ!!」
城島の止めの一言に松岡は反論できず、捨て台詞を残して前方遙か彼方に走り去った。
「誰がバカだってぇ!?アイツ後からシメる!!」
「何で僕だけ嫌われんねん!!」
物騒な言葉を口にする太一に、嫌いと言われショックを受ける城島。
「最後の一言がマズかったんじゃない?」
「・・・・・・・・・・・・・・からかいすぎたか・・・・・・・・・・・」
あっさり言われた原因に、城島は肩を落とす。
「でもアイツからかうと面白いよね」
「反応が可愛らしいもんなぁ」
互いに顔を見合わせて、ね、と同意し合う2人。
「ま。松岡走ってったし、上には達也と長瀬がおるから大丈夫やろ」
「山口君大丈夫なの?」
「本人曰く狐は嫌いやから、喰わんと思うけどなぁ。一応釘指しといたし」
肩を竦めて呟く。
「それよりも僕は長瀬の方が心配やわ」
「?何で?」
長瀬との契約者は首を傾げた。
「あいつ鬼喰いじゃないよ?もちろん人も食べないし」
「でも鬼以外は喰うやん。特に長瀬は特殊なもん喰えるんやで?達也が食い意地張っとるから目立ってへんけど」
その言葉に太一ははっとした。
「今回は消滅やなくて浄化せなかんねん。しかも依頼主は稲荷神直々や。うっかり、なんて言い訳つかんで」
「・・・・・・・・そっか・・・・・・・・・アイツ神喰いの一族だ・・・・・・・・・・・・・・・・」
太一が足を止めて口元を覆う。
「指示出した?」
「何にも」
城島も足を止めた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
2人の間に沈黙が落ちる。
「ヤバいって!!マジヤバいって!!」
「僕どないして謝ればえぇねん!!祟られるぅ!!!!」
真っ青になって倍速で階段を駆け上がる。
「「喰うなよ長瀬ぇ!!!!」」
2人の絶叫に、鳥が数匹森から飛び立った。






「・・・・・・・・・・ふぇっきしっ!」
山口の横に立っていた長瀬が不意にくしゃみをした。
「風邪か?」
しゃがんでいた山口は長瀬を見上げて片眉を上げる。
「・・・・・・・・・・・う゛〜・・・・・・・・誰か噂してるのかも」
鼻を擦りながらぼそぼそ言う長瀬に、山口は『お前の馬鹿さ加減を?』と思ったが、心の中に留めておいた。
「今日のって何ですか?」
まるで夕飯のメニューを尋ねるような気軽さで長瀬が訊いた。
「あー、何だっけ?狐じゃなかったか?ここ稲荷だし」
山口は傍にある石柱を眺めて、つまらなさそうに答える。
「・・・・・・・・・・・・いくら邪気にまみれてても狐じゃ喰えねぇなぁ」
「・・・・・・・・狐、ですか?」
幾分か目を輝かせて長瀬がさらに訊く。
「ここの稲荷の眷属だってよ。麓に出来てた邪気の吹き溜まりの浄化しに行ったら乗っ取られたとか何とか・・・・・・・・・」
曖昧な記憶を辿りながら説明すると、長瀬の目がきらきらと光を受けたビー玉のように、文字通り輝いた。
「稲荷の眷属ってことは神様ですよね!」
「おう」
「邪気持ってるんですよね!!」
「そうだな」
長瀬は嬉しそうに両手を上に挙げる。
「ぃよっっしゃあ!!久しぶ」
「あ。でも喰うなって言ってたな」
「・・・・・・・・・え?」
突然出た山口の台詞に、長瀬が拍子抜けした声を上げた。
「そうだ。今回は浄化してくれって依頼だから喰っちゃダメなんだ」
そうだ、そうだ、と言いながら山口は長瀬を見る。
整った端正な顔が失望に歪む。今にも泣きそうな顔で長瀬は山口に訊いた。
「・・・・・・・・・・食べちゃダメなんですか?」
「うん。ダメ」
「・・・・・・・・・・邪気持ってるのに?」
「ダメ」
質問が続くにつれ、だんだんと声が小さくなり、俯いていく長瀬。
「・・・・・・・・邪気持ってる神様は食べていいってじぃちゃん言ってたもん・・・・・・・・・・」
落ち込んでますと体現するように、しゃがみ込んで砂地にのの字を書き始める。
グスグス鼻を啜りながら目を潤ませていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
体格だけを考えると自分より大きな長瀬の、子供のような落ち込みっぷりに、山口は言葉をなくす。
これでも百年以上生きている上に、神への裁きを唯一任されている一族の鬼のはずなのに、
どうしてこんなにもガキっぽいんだろうか。


まぁ、面白いから構わないけど。


そう思いながらも小さくため息をついた時、2人は同時に顔を上げた。
「来たな」
「来ましたね」
しゃがんでいた長瀬が立ち上がる。
「とりあえず捕まえるぞ。食べるのは後にしとけ」
「ういっす!」
2人が構えると同時に黒い炎のようなものが石段の向こうから現れる。
それは牛ぐらいのサイズの四足の動物の姿を象り、大きな咆哮を上げた。
「いくぞ!!」
鬼2人がそれに向かって飛び掛る。
三又に分かれた尾を持つそれは、ゆらゆらと揺れる黒い身体から炎を伸ばしてそれを迎え撃った。
「大人しく捕まれ、このクソ狐!!」
飛んでくる炎をかわしながら、山口が手を伸ばす。
瞬間、三尾の黒狐は四散してその場から消える。
「!!?」
「ぐっさん伏せて!!」
その言葉に山口が反射的に伏せるのと同時に、山口の頭があった辺りを影が通り過ぎた。
そして、きゃいん、と犬のような悲鳴が響く。
少し離れたところに狐が姿を現した。
「あー、やっぱ狐は嫌いだ。下手に悪知恵だけは働くから手に余る」
体勢を整えながら山口が愚痴る。
「捕まえなきゃなんないと思うと加減しすぎちゃってめんどいですね」
長瀬が狐を殴った手をグッパしながら呟いた。
「兄ぃ!長瀬!大丈夫!?」
ちょうどその時、石段を登り終えた松岡が顔を出した。
「お!待ちくたびれたぜ!シゲは!?」
「太一君とまだ下で階段上ってる」
顔を輝かせる山口に、松岡がそう告げる。同時に山口の機嫌が下がったようだった。
「・・・・・・・・・・・・・連れてくる。お前ら2人でやっとけ」
ぶすっとした様子で戦線離脱する山口。
「え!?ちょっと待って!!」
「ぐっさん!!」
松岡、長瀬の制止は、もうすでに階段を下っていっていた山口には届かなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・どうしますか?マボ」
松岡がちらりと視線を向けた先には毛を逆立ててこちらを警戒している(と思われる)黒い狐。
「・・・・・・・仕方ない。今日は特別に許可もらってるから、完全変化して俺が追い詰める。
 捕まえられるくらい消耗させるから、お前捕まえろよ」
肩を回しながら松岡が言う。
「狐は結構爪が鋭いから、気をつけてな」
「うん。・・・・・・・ねぇ、マボ。1つ訊いていい?」
「あん?」
「足1本だけでも食べちゃダメ?」
首を少し傾けて、上目遣いで訊いてくる長瀬。
「太一君の新必殺技の練習台になって、茂君に笑顔で調伏用の呪具向けられても俺は知らない」
松岡の言葉に、長瀬が真っ青になる。
「・・・・・・・・・・・・・・・ガマンします」
「ガンバレ」
鼻をすすりながらそう言った長瀬に、松岡が棒読み気味に応援する。
そして、松岡の瞳が紫色に染まり、人ならぬ形に瞳孔が割れた時、周囲の木々がその空気の変化にざわつき始めた。









「シーゲー!太一ー!」
上のほうから聞こえてきた声に、城島と太一は頭を上げた。
そこに軽い様子で山口が降りてくる。
「達也ぁ?何しとん、お前」
「おっせーからさぁ、迎えに来た」
「山口君!!長瀬は!!?」
ケラケラ笑う山口に、太一が声を荒らげて詰め寄る。
「長瀬?置いてきたけど」
「ぎゃー!!どうしよう、茂君!!俺祟られちゃう!!」
山口の言葉を受けて、城島に泣きつく太一。
普段は絶対にされない行動に、城島はどうしていいのか判らず目を泳がせて触りあぐねている。
「祟られる?何したんだ、お前」
「・・・・・・・・長瀬が狐食べちゃったら何かしたことになるんだよ・・・・・・・・・」
少し暗い様子で太一が呟く。あぁ、と合点がいったように山口は手を叩いた。
「大丈夫だって。松岡いるから」
「そうやん、松岡が先に行ってるやんか」
「あいつは常識人だから、何とかして長瀬を止めてるって」
落ち込む太一を2人で慰める。
「食べちゃってても僕が何とかしたるから、安心せぇ」
城島が笑顔でそう言って太一の頭を撫でると、太一はすっと顔を上げた。
「今の言葉、ホントだよね?じゃあ心配しなくていいや。ありがとー、茂君」
にっこり微笑んで、あっさり離れていく太一。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っやられた・・・・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・アレが小悪魔ってヤツか」
城島が悔しそうに、山口が感心したように呟いた。










城島と太一が山口に抱えられて石段の最上部に辿り着くと、大きな白い狼と黒い狐が睨み合っていた。
「松岡!!大丈夫か!!?」
【茂君!!?】
くぐもった声で紫眼の狼が振り返る。山口から飛び降りて、城島が二股の尾の狼に走り寄った。
「身体の調子はどうや?しんどかったら変化解かなあかんで」
【大丈夫だっての。しんどいどころか調子良いし】
心配そうな城島の口調に狼、もとい松岡は得意げに答える。
「今回の相手は狐やからな。山犬のお前が大事やねん」
わざと一部分を小さい声で、一部分を強めて言う。
その台詞に、松岡は一瞬硬直し、すぐに顔を横に向ける。
【そ・・・・・そんなこと言っても何も出てこないっつーの!】
突慳貪に言い返すものの、その二本の尻尾は左右に激しく揺れている。
「分かりやすいよね。あいつ」
下ろしてもらった太一が小さくため息をつきながら山口に同意を求める。
「・・・・・・・・・・・・ムカつくよなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・」
それに答えてなのか、独り言なのか、その2人の様子を見ながら山口がボソリ呟いた。
太一が横を見ると、薄っすらと黒いオーラを撒き散らしながら、据わった目でそれを睨めつけている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
これ以上傍にいるととばっちりを食らいそうなので、ジッとこっちを見ていた長瀬の方に近寄った。
「長瀬、お前、食べてないだろうな?」
開口一番、低い声で長瀬に訊く太一。
「食べてませんよ!!いくら俺が神喰いの一族だからって太一君の許可無しに食べるわけ無いじゃないですか!!」
「・・・・・・・・・・ふぅん。ま、当然だけどな」
慌てた様子の長瀬に訝しげな視線を投げかけ、そう言った太一に、長瀬は胸を撫で下ろした。


食べなくて良かった。


マボありがとう、と目の前の狼に視線を投げかけ心の中で感謝した。
「おい、長瀬」
「なに?」
手渡されたのは鉛筆サイズの太い針。
「?」
「これをあそことあそこの地面に刺してこい」
指さしたのは2頭が睨み合っている左手にある社の正面と、狐が構えている場所。
「あそこは無理っすよ。狐逃げちゃいます」
「あのまま2人が漫才やってるならアイツは2人に飛びかかる。その時に刺してこい」
そう言いながら自分の足下に針を深く刺し込む。
漫才の言葉に、長瀬はそちらを見た。確かに白狼と当主はなんだか揉めているように見える。
「それ結界の媒体だから、ちゃんと刺せよ」
途中で結界が壊れたらお前のせいだと言い、山口の方に向き直る。
「ごめん、山口君!これそこに刺してくんない?」
振り返った山口に、太一は針を放り投げた。
「ここか?」
やや不機嫌気味ではあるものの、素直に受け取る。
「うん!深めにお願い」
そう答えて、長瀬に早く行けと蹴りを入れる太一を眺めながら、ふと山口はあることを思いついた。
そして、笑みを浮かべながら針を地面に差し込んだ。

「ん?・・・・・・・あー!!お前怪我しとるやんか!!」
反対側の見えない位置にあった傷に城島が気付き、声を上げた。
【大した傷じゃないよ】
「んなわけあるかい!!抉れとるやないか!!」
【・・・・・・・・・・・・・ちょっと避けきれなくて・・・・・・・・・・・・・】
「アホっ!!」
毛皮で隠れてよく見えないが、純白の毛が赤く染まっている箇所がある。
そこに回り込んで小さく呪を唱えた。
淡い光に包まれて、傷口が塞がる。
「まぁ、その姿やったら回復はえぇから大丈夫やと思うけど、応急処置や」
一息つきながらそう言って、周囲に目を配る。
自分達を囲むように配置された3本の針と、狐の背後に近いところに隠れる長瀬の姿を確認して、城島は松岡に囁いた。
「もう少しアレを消耗させてや。腐っても神の眷属やからな。あんまり元気やと太一の結界でも破れてまう」
【おーけぃ】
同時に松岡が低く唸り声を上げた。
狐もそれに反応し、毛を逆立てる。
そして、咆哮を上げながら飛びかかってきた。一瞬遅れて松岡も飛び出す。
松岡に襲いかかる黒炎を城島が呪符を飛ばして弾き、その隙を狙ってそれに鋭い牙でもって咬みつき、喰いちぎる。
狐が悲鳴を上げた瞬間、長瀬が叫んだ。
「太一君!!」
「青龍・百虎・朱雀・玄武・空珍・南儒・北斗・三態・玉如!!」
真言に併せて九字を切り、地面に手をつく。
「急急如律令!!」
瞬間、甲高い金属音がして、飛び退いた狐が淡く輝く透明な八面体の中に封じられた。
「よっし!!」
「太一ようやった!!」
ガッツポーズを取った太一に城島が賞賛を送る。
「松岡もようやったなぁ」
次いで戻ってきた狼の頭を撫でる。
【別にっ!俺くらいになるとこんなの朝飯前だから!】
ぶっきらぼうに答えてはいるがやはり尾は揺れていた。
「元に戻り、松岡。あんまその姿でおると戻れんようなるから」
【うん】
白い身体が淡く輝き、人の姿に戻る。
その背中に城島が指で何か文字を描き、口の中で小さく呟く。
指がなぞった通りに赤く光が浮かび、消えた。
「封印おしまい」
「ありがと」
城島が背中をばしっと叩く。
普段必要のない、むしろ人としての身体には害が強すぎる山犬の力を、松岡は封印してもらっているのだ。
「さて、これから浄化するわけやけども」
腰に手を当てて封じられている狐に目をやる城島。
「これが一番めんどいねんなぁ」
嫌そうにため息をつく。
「何で稲荷神直々にやらないのさ。自分の部下の失態じゃんか」
「・・・・・・そんなこと言うて・・・・・・・・。今ここに神さんがおらんからえぇけど、もしおったら罰当たるで」
太一の言葉に城島が再度ため息。
「ここの主いねーのか」
「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)にお呼び立てされてどうしても行かなきゃいけないから僕らに頼んだんやて」
肩を竦めながらもしっかり準備を始める。
「報酬は結構もらえるからな。さすがに神様やからケチったりはせんやろ」
「稲荷って農耕の神様だっけ?」
「おん。まー、米俵とか持ってこられても困るけどなー」
「物よりお金がいいよねー」
「米だったらしばらく食い放題だよなー」
「コシヒカリとかですか?」
「あー、アレの新米は美味いよなー」
報酬の話で、別々に盛り上がる術士2人と鬼2人。
いい加減それに慣れてきた松岡は、それでも即物的な4人の様子にため息をついた。

「よし、やるか」
ふう、と息をついて城島が言う。
「俺達何してればいい?」
「下がっとってやー。ま、一緒に浄化されたかったらその陣の中に入ってもええけど」
「「「遠慮しときます」」」
城島の笑顔に、妖3人が声を揃えて拒否をした。
「・・・・・・・・・・う〜ん。何かヤな予感すんなぁ」
「ヤな予感?」
「あ、分かるかも、それ。変な感じする」
「変な感じ、ですか?」
空を見上げてぼやく2人に長瀬が周りを見回した。
「何にも無いですよ」
「・・・・・・・・・・はよ終わらせよか。長引かせてもおもろないしな」
それに太一が無言で同意して、狐を挟んだ城島の反対側に歩いていく。
「・・・・・・これより清めの儀を執り行う」
その声に太一は独鈷杵を取り出して定型に構える。城島も同様に印を組んだ。
「高天原に神留座す。神魯伎神魯美の詔以て。皇御祖神伊邪那岐大神。
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生座る祓戸の大神達。
 諸々の枉事罪穢れを拂ひ賜へ清め賜へと申す事の由を天津神国津神。八百萬の神達共に聞食せと恐み恐み申す」
低く響く祝詞を受けて、結界の中の狐が唸りを上げて暴れ始める。
「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄と祓給う。天清浄とは天の七曜九曜二十八宿を清め、
 地清浄とは地の神三十六神を清め、内外清浄とは家内三寳大荒神を清め・・・・・・」
それが進むにつれ狐は激しく暴れまわり、その身体を形成している黒い炎が靄のように掠れていく。


ピシッ


不意に小さく音がした。
「?」
祝詞に集中している城島は気付かなかったが、太一が眉間にシワを寄せて頭を上げる。
そして、次の瞬間。
ガラスが割れるような音がして、結界が破れた。
「!!?」
驚きに4人の動きが止まる。

ぐおおおおおおおおおおおおおお!!

放たれた狐は雄叫びを上げ、一目散に祝詞を唱えていた城島に向かって飛び掛った。
「!!ッお前何でシゲにっ!!」
山口が声を上げる。
咄嗟の事に動けず、目の前には大きく開かれた真っ赤な口と鋭い爪。
「茂君!!」
松岡の絶叫が聞こえる。
思わず目を瞑った城島は、勢いよく吹っ飛ばされて尻餅をついた。





顔に何か液体がかかったのが判った。
尻を打った痛み以外は何の痛みもない。
「?」
それを拭いながら目を開ける。
目の前には影。
自分を庇っているような、そんな体勢で、右の横っ腹の辺りから尖った何かが4本突き出ている。
顔を拭った手を見た。
「!!」
真っ赤に染まったそれに、思わず顔を上げる。
「・・・・・・・・・・たつ・・・・・・・・・や・・・・・・・・・・・・?」
目の前の影は見知った背中で、飛び掛ってきた狐の爪を右脇腹で受け止め、その鋭い牙を左腕で受け止めていた。
その山口の脇腹と狐の口の中に半分飲み込まれている左腕からは真っ赤な鮮血が滴り落ちている。
城島は呆然とそれを眺めていた。
「・・・・・・・こんの・・・・・・・・・・クソ狐・・・・・・・・・何狙ってんだこの野郎ぉぉおお!!!
山口の咆哮とともにボキンと鈍い音がした。
ぎゃいん、と狐が悲鳴を上げる。
「神の眷属だぁ?ンなもん知るかぁ!!シゲに手ぇ出しやがって!!!ぜってぇぶっ殺す!!」
完全に目を怒らせて飛び退った狐を追いかけていく山口。
傷口から血をだらだら流しながら走り出すその姿はある意味圧巻である。
「・・・・・・・・・達也!!・・・・・・・・・・っ“禁令”!!」
我に返った城島が山口に制止をかけるものの届かないと気付き、瞬時に封身をかける。
同時にその姿が人に近くなり、瞬間襲ってきた痛みで山口は蹴躓いた。
「・・・・・!!?・・・・いっ・・・・・・・・・てぇ!!!」
地面に転がる山口を尻目に、狐は森の中に消えた。
「達也!!!」
悲鳴に近い声を上げて城島が山口に走り寄る。
「大丈夫か!?っつーか大丈夫なわけないやんか!!抉れとるがな!!」
自分の言葉に自分で突っ込みつつも、動揺して何が何だか判らなくなっているようだ。
次に我に返った松岡が走り寄って、慌てながらも自分の服を破って腕の止血をし始めた。
「茂君!!早く封身解放しなきゃ!!鬼の姿の方が回復力高いんでしょ!!」
太一があわあわしている城島を叱咤する。
言われて初めて気付いたのか、城島がようやく山口を元の姿に戻した。
「・・・・・・・・くっそ・・・・・・・・・・・・マジ痛ぇし・・・・・・・・」
動揺して使い物にならない城島を横手にずらし、太一が代わりに回復用の呪を唱えている。
「俺の力じゃこれが限界だよ。茂君は使えないし、とりあえず戻らないと何ともできない」
何とか止血だけはし、一応持ち歩いていた包帯を巻きつけて、ため息をつく。
「茂君、大丈夫?」
とりあえず山口を長瀬・松岡に任せ、太一は少し離れたところで背を向ける城島に声をかけた。
「・・・・・・・・・・・大丈夫や。スマン、あんなんで動揺してもうて・・・・・・・」
そういう城島の声は力がない。
太一はその手が小さく震えていることに気付いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
普段は素直には言わないものの、実は術士としても人としても尊敬しているその人の、
このような力ない姿に、太一は少しだけ、ショックを受けた。
そして、どうしてこれほどまでに動揺するのか、少しだけ引っかかった。
「・・・・・・・・・今日はもう帰ろう?狐は行っちゃったよ」
そう言って、太一は城島の手を掴んで引っ張る。
5人は満身創痍でその場を後にした。


























「御当主の小さい頃、ですか?」
「そう。知りませんか?」
廊下で擦れ違った古株の女中数人に声をかける。
「そうですねぇ、茂さんはここでお生まれになったのではありませんから、私共にはちょっと・・・・」
少し考えた後、彼女らは困ったようにそう答えた。
「え?本家の人じゃないんですか?」
「え、えぇ。5歳か6歳ぐらいの時にこちらにいらしたんじゃなかったかしら」
「そうなんですか・・・・」
「あぁ、先代ならご存知かもしれませんよ。茂さんを連れてらっしゃたのはあの方ですから」
ガッカリした様子の太一に、女中の1人がふと思い出したように言った。
「では失礼します」
奥の方で呼ばれたのか、彼女らは頭を下げて行ってしまった。
「あ、ありがとうございました」
太一も頭を下げ返して、笑顔でそれを見送る。
「・・・・・・・収穫無し、か」
その姿が見えなくなくなって、太一はため息をつく。
「先代かぁ・・・・・・・・。嫌いじゃないんだけど、あそこまで行くのはめんどくさいなぁ・・・・・・・・」
若くして引退した先代は、人柄もよく、いろんな人から慕われていた。
しかし引退した今では本家からは少し離れた、交通の便の悪いところに引っ込んでしまったため、
いまいち音信不通であるのが現状である。
「・・・・・・本人に訊くかぁ?でもあの人意地っ張りだから絶対教えてくれないし」
ふう、と息をつき、当主の部屋のある奥のほうに歩き出した。
「・・・・・・・・・・そもそも気にすることじゃないか」
昨夜の城島の動揺の原因は小さい頃に何かがあったからだと踏んで調べていた太一だが、
八方手詰まりの現状(めんどくさがらなければ手はある)に飽きて、あっさり諦めてしまった。



「何をしてるんだい」
縁側に腰掛けて、ぼんやりと庭を眺めていた城島に、屋根の上から声がかかった。
「・・・・・・・切法師か」
「何だ、その気の抜けた声は」
驚きを含む言葉とともに音もなく目の前に降り立ったのは、黒髪を不揃いに肩まで伸ばした、着流しの青年。
「昨日は確か稲荷の依頼を受けていたんだったか?」
「せやね」
「山口が怪我したそうじゃないか」
城島の正面にある松の幹にもたれかかって切法師は薄っすらと笑みを浮かべた。
「もしかして落ち込んでる?」
「・・・・・・・・・」
クスクスと笑いながら言われた言葉に、城島は顔を背ける。
「君が期待しすぎなんだよ。鬼伏神といえども敵無しなんてありえない。
 “神”と名前がついてようが不死身じゃないんだ。怪我だってするさ」
「・・・・・・・・・・でもショックやってん。あんな風になるなんて」
それだけ呟いて黙ってしまう城島に、切法師は苦笑を浮かべた。
「まぁ、君がどれだけ鬼伏神に期待していたかは知ってるから、その気持ちは解らなくもないけどね」
もたれていた木から離れて切法師は城島の傍に近寄る。
しかし、縁側まで1mのところで足を止め、城島の後ろに視線を向けた。
「言っとくけど、いじめてるわけじゃないよ」
「まだ何にも言ってねぇだろ」
苦笑交じりの切法師の言葉に、山口の声が答える。
「達也」
「視線が物を言ってたよ、山口。何ともはや・・・・・・・手酷くやられたね」
彼は山口の腕に巻かれた包帯を眺め、仰々しく言った。
「うるせぇよ。放っとけ」
「まだ治っとらんのやろ?何しとんねん、お前は」
「大丈夫だよ。そんなに重傷ってわけじゃないから」
心配そうに近寄る城島に、気持ち上機嫌に答える。
その様子に切法師は片眉を上げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ははぁ。そういうことか、山口」
面白そうに口角を上げ、山口に声をかける。
「相変わらず欲張りなことだな」
「うるせぇ。こちとら、神と名が付こうが鬼に括られてんだよ。鬼が強欲でなくてどうすんだよ」
「くっく。大概にしとかないと捨てられるぞ」
咽喉を鳴らして笑う切法師に、山口はバカにするような表情を浮かべた。
「はっ!誰が捨てられるか」
「判らないぜ?せいぜい見限られないようになぁ」
「・・・・・・・・・・何の話や?」
鬼2人の間で交わされる会話に首を傾げる城島。
「何でもないよ」
「そうそう。ま、君が損しないことを祈ってるよ」
城島にそう笑いかける切法師。
「さて、そろそろ戻るとするかな。茨木に怒られたらたまったもんじゃない」
肩を竦めながら笑う。
「・・・・・・・・・・じゃあ、君の補佐君の質問に答えてから帰るとしよう」
縁側の横手の方を見て、切法師が面白そうに目を細めた。
「補佐・・・・・・・・・・・太一?」
そこにおるん?と切法師が向けた視線の向こうを覗き込む。
「自分の部屋で悶々としてるみたいだからね。お邪魔してもいいかい?」
「ええよ」
城島が許可を出すと、切法師の前の空間が少しだけ揺らいだ。
「食べるなよ。太一も俺のもんなんだからな」
「食べるか。人食いじゃあるまいし」
ふふ、と笑いながら切法師が縁側に足を上げる。
「補佐君との話が終わったらさっさと帰らせてもらうよ。
 稲荷の依頼が終わったら酒を持って来よう。久々に飲もうじゃないか」
「肴はこっちで用意しといたるわ。美味い酒持って来ぃや」
城島は彼に皮肉った言葉とともに笑顔を送る。
切法師は満足げに笑みを浮かべ、2つ隣の部屋に入っていった。



「何で許可出すかな、ったく・・・・」
鬼王が消えていった方を眺めて、山口はため息をついた。
「ええやん。ここは城島の本家やから、鬼王やろうと不利なんは変わらん。
 それに、僕に連なる者には手を出さないっちゅー契約を結んどるからな」
鬼王の名前において破らんやろ、と軽く答える城島。
「あ〜ぁ。立ってるとしんどいや」
「ほれ見ぃ。やから言うたやないか」
ため息をついて呆れる城島を見つつ、山口は自分の横の畳をバシバシ叩いた。
「何やの」
その意味が解らず眉間にシワを寄せる。
「座ってよ」
立ち話はなんでしょ、と言う山口に、さらに眉を寄せ、怪訝な表情を浮かべた。
「立ち話以前にここは僕の部屋なんやから座るけど、何で自分の横に座らなあかんねん」
「いいから座れって」
「?」
首を捻りながらも言われた場所に胡座をかく。
「よっこいしょ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・何しとん。自分」
城島が座るとともに、そこに頭を乗せて転がる山口。
「え?見れば判るでしょ。膝枕」
「今すぐあの世へ送ったろか?」
言いつつ笑顔で呪符を取り出す。それでも慌てず、山口は動かない。
「いーじゃん、たまには。今俺怪我人だし」
そう開き直り、くつろぎ始めた。
「・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・仕方ないなぁ」
苦笑を浮かべる城島に、山口は満足そうに笑う。
「何やねん、ホンマに・・・・・・・」
「・・・・・・・・怪我すると人肌恋しくなるもんなんだよ」
「・・・・・・・・・・スマンなぁ」
膝の上にある山口の少し伸びてきた金髪を弄りながら、ポツリと言った。
「何でシゲが謝るの」
「・・・・・・・・・何でって、僕を庇ったから怪我してもうたんやろ?」
「そうだけど、それは俺が勝手にやったことでシゲが悪いわけじゃないでしょ」
「っそれが嫌やねん!!」
山口の言葉に城島は声を荒らげ、視線を逸らす。
「・・・・・・・・・・・・・・・僕はあんな達也の姿は見とうなかった」
「俺が血流してるところ?」
「・・・・・・・・・・・それもやけど」
「それもってことは他にもあるの?」
膝に頭を乗せたまま、山口が城島の顔に手を伸ばす。それを手で払って顔を背けた。
「こっち向いてよ」
「嫌や。こんな顔見せられへんわ」
城島はムキになって顔を腕で隠す。
それを山口が起き上がって、頬をがっちり掴んで自分の方に向けた。
「いひゃいがな!」
「な〜んでそんな泣きそうな顔してるわけ?」
「・・・・・・・・・・・・」
顔が動かせないことが判った途端に視線を逸らす城島。
「しげ」
手を離し、山口は城島のじっと顔を見つめる。
「・・・・・・・・・・・言わん」
バっと立ち上がって縁側に出る。完全に背を向けてしまっていて、山口からは顔が見えなくなってしまった。
沈黙が落ちる。
胸を掠めていく得も言われぬ気持ちに、城島は眉間にシワを寄せる。
「・・・・・・・・言えるか、こんな事」
呟いた声は小さくて、山口には届かなかった。








「今晩も行くで。今度こそ仕留める」
山口、太一、松岡、長瀬を前にして、城島が言った。
「達也は」
「俺も行くよ」
山口が城島の言葉を遮って、参加を表明する。
「怪我しとんやから来んでええよ」
「式神がついていかなくて何するんだよ」
「怪我人が何言っとんねん。少し立っとっただけでしんどい言うとんのに」
「こんな怪我何ともねぇよ。俺は鬼だぜ?」
「けど!」
さらに反対しようとする城島に、太一が言った。
「いいじゃん。本人が大丈夫って言ってるんだから」
「・・・・・・・・・・・・」
それに不服そうにしたが、無言で了承を出した。
「・・・・・・・・・・話を戻すわ。可能性の話やけど、もしかしたら鬼になっとるかもしれん。
 そうなった場合、浄化が不可能であれば調伏してもいいと許可はもらっとる。
 その場合は手加減無しでいくで。長瀬も食えるんならええよ」
「鬼になったらぐっさんの領域ですから、食べれるかはわかんないっすけど、食べれそうなら食べますよ!」
城島の言葉に、長瀬は目を輝かせる。
「後は昨日と同じでいいの?」
「おん。ただし、完全変化はもうあかんで。部分だけにしとき」
「はいよ」
松岡が髪を縛り直しながら気合を入れた。
「おし。じゃあ、行くで」
その声に、5人は立ち上がって夜の闇に繰り出した。




















石段の前。
最上部にある社の付近に禍々しい邪気が現れる。
2人並んで立っている山口と太一の間に生ぬるい風が走り抜けた。
城島と松岡、長瀬は別ルートから頂上を目指すため、ここにはいない。
「ねぇ。山口君」
「何だ?」
「今日切法師と初めて喋ったんだけどさ、変なこと聞いたよ」
太一が山口の方を見る。片眉を上げて山口も見返した。
「それ。治ってるんだって?」
指差したのは包帯が見える左腕。
「確かに、怪我してる時のオーラじゃないんだよね。もう」
見鬼としては、城島とは多少質の異なる力を持っている太一は、物の状態をオーラの形で見ることができる。
「・・・・・・・シゲには言うなよ」
隠し通せないと判ったのか、あっさり山口は肯定した。
「言ってないし言わないよ。その代わり答えてほしいんだけど」
「何だよ」
「あの時頼んだ結界の媒体、ちゃんと埋めてくれなかったでしょ」
ジト目で睨む太一に、山口は薄っすら笑みを浮かべつつも視線を逸らす。
「・・・・・・・・・・自業自得ってことじゃん。その怪我」
何企んでんの?と太一は訊くが、山口は答えない。
「解んないなぁ」
「鬼は強欲だってことだよ」
「切法師もそんなこと言ってたよ」
「ったくあの野郎、余計な事を・・・・・」
「バレても俺のせいじゃないからね」
何となくかみ合ってない会話をしながら、2人は石段を上り始めた。


社の目の前。黒い靄が人の形を形成している。
2、3mはあろうかという巨大な人形は、その形に似合わない俊敏な動きで手の部分の鋭い爪を振り回す。
「茂君、茂君!」
それをかわしつつ呪符を飛ばしたり、真言を唱えたりしている城島に、
同じくかわしつつ蹴りやパンチを加える長瀬が呼びかける。
「何や!」
「鬼になってます!」
「なっとるな!」
「食べれないです!」
「そうか!」
見た目は激しい戦いなのに、交わされる会話は何とも気の抜けた内容である。
城島に教えられた通りに反閇(へんばい)を踏む松岡は呆れた様子でそれを聞いていた。
「兄ぃと太一君遅いなー」
いい加減飽きてきちゃった、と一人言ちながら境内をぐるぐる回る。
「オン・マユキラ・テイ・ソワカ!!」
城島の掛け声とともに赤い光が炸裂する。
それに、反射的に松岡は目を閉じた。

(孔雀明王の真言かぁ。すごいの使ってるな、珍しく)

普段は使わない威力の強い真言を使う城島に、松岡は首を傾げた。

(その割りに決定打になってない気がするけど・・・・)

そんなことを思っていると、石段の方から山口と太一が現れた。
「もう始まってる!」
「あらら、鬼になっちゃってんじゃん」
2人は緊張感のカケラもない口調で、そのまま参戦していく。
「遅かったやんか!」
「石段長すぎなんだよ」
「判っとるって、そんな睨まんといてや」
鬼から距離をとって、城島が太一に言う。
「烏枢瑟摩明王(うすさまみょうおう)呼ぼうと思うんやけど」
「え?呼ぶの?強すぎない?」
「う〜ん。できれば浄化したいねん。来てくれるかは判らんけど」
「呼ぶなら荼吉尼天(だきにてん)呼んだ方が早くない?稲荷と同一でしょ?」
術士2人が揉めだしたのを見て、松岡は再度首を捻る。
「烏枢瑟摩明王の方が浄化できると思うねん。鬼になってすぐやし」
「だからさ、強いって言ってんの。またトランス状態になったらどうすんの。
 さすがの山口君も烏枢瑟摩明王にやられたら調伏されちゃうでしょ」
「借りる力を加減すれば大丈夫やて。とにかく呼ぶから、補佐頼むで」
太一の言葉も聞かず、呼び出しの儀を始める城島。
烏枢瑟摩明王を呼び出し、その身に下ろすことで、それが持つ浄化の力にあやかろうというのである。
しかし、この術。
呼び出すものが強ければ強いほど、トランス状態が強くなり、制御できずに暴走してしまう諸刃の剣である。
以前、まだ城島が当主になる前、同様に摩利支天を下ろし、暴走させ、
もう少しのところで山口が調伏されてしまうところまでいったことがある。
その時は先代が止めたわけだが・・・・。
「もう!どうなっても知らないからね!」
聞く耳を持たない城島に、太一がキレて、術の補佐を始めた。
「・・・・・・・・・・!!この術!!マジかよシゲ!!」
周囲に響き渡った呪文に、山口が反応して振り返る。
「あ!!ぐっさん!!」
その隙に鬼の手が山口の頭めがけて飛んでくる。
「あー!もう!うぜぇ!!」
その腕を蹴っ飛ばして叩き折る。そのまま鬼にとび蹴りを食らわせ、地に伏せさせた。
「シゲ!!お前それ止めろって!!」
「オン・シュリマリママリ・マリシュシュリ・ソワカ!!」
山口の制止は間に合わず、最後の真言を唱え終わった城島の身体が薄っすらと光を発する。
「げ」
「大丈夫やて。この前は加減できんかったけど、今日は下ろす力は最小限にしとるから」
表情をゆがめた山口に、にかっと笑って城島が鬼に向かって走り出した。
「覚悟!!」
烏枢瑟摩明王の持つ三股又の器仗を呼び出して、走っていった勢いでそれを鬼に投げつける。
鬼はそれを手で払いのけようとしたが、強い浄化の炎を纏ったそれは、腕を突き抜けて、鬼に直撃した。
そして。

激しい爆音と閃光を上げて、鬼が破裂した。




後に残ったのは、気絶している柴犬サイズの小さな二又尾の狐と、腰を抜かした長瀬と松岡。
こうなることを予測して耳を塞ぎしゃがんでいたため無傷の太一。
そして、勢いで吹っ飛んだ城島を、両手でがっしりと受け止めた山口。
「シゲ!大丈夫か!?」
「だいじょーぶ・・・・・・・・ん?」
山口が慌てた様子で城島を下ろし、声をかける。
城島はけろっとした様子で答え、そしてある一点を見て視線を止めた。
「?どうした?」
「・・・・・・・・・・お前。これはどういうことやねん」
声が1オクターブ低くなる。
それを傍から見ていた太一はため息をつき、松岡と長瀬は、あ、と声を上げた。
城島の視線の先。
包帯の解けた向こうに、傷など影も形も見られない、きれいな山口の左腕があった。
「・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・」
「これ、さっきから今までの4、5時間でこんなきれいに治るはずないよなぁ?」
「いや、これは、その・・・・」
山口の怪我をしていたはずの腕をがっしり掴んで、城島は笑顔で詰め寄った。
「・・・・・・・・・・怪我は嘘です・・・・・・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・・」
その勢いに負け、山口は小さな声でそれを認めた。
次の瞬間。
「こんのアホんだらぁ!!」
城島は力いっぱい山口の腹に右ストレートを叩き込んだ。
いまだ烏枢瑟摩明王の力をその身に下ろしたままで。
「ぐはぁっ!!」
「ぎゃー!!兄ぃが!!兄ぃが逝きかけてる!!!」
「茂君!!ダメですよ!!烏枢瑟摩明王の力を込めて殴ったら!!」
吹っ飛ばされてぐったりしている山口に松岡と長瀬が駆け寄って、叫びを上げた。
「ちょっと、茂君、それやりすぎ・・・・」
苦笑いしながら近寄った太一は、城島が握り締めた拳を震わせて、顔を赤くして悔しそうな顔をしてるのを見た。
「茂君・・・?」
「・・・・・・人がどれだけ心配したと思って・・・・・・・・・・」
その様子に、太一は切法師の言葉を思い出した。


『茂君はね、鬼よりも強い相棒が欲しかったんだよ。だから鬼伏神にすごく期待してた。
 でもその鬼伏神である山口が大怪我をしただろう?しかもたかが狐ごときにやられて。それがショックだったんだ』


松岡と長瀬が山口の方を担いで2人の方にやってくる。
「とりあえず依頼はこれで終わりや。帰るで」
城島がぶっきらぼうにそう言って、4人に背を向ける。
1人先に石段を降りていくその背中を、松岡と長瀬が慌てて追いかけた。
「・・・・・・・・それがショックなのもあるだろうけど」
1人送れて石段を下り始めた太一は小さく呟く。


『それと、山口はきっと覚えてないだろうけどね』


もう1つ、若き鬼王が言った言葉が頭の中を走る。


『茂君は小さい頃、ある鬼伏神と約束をしてるんだ。
 自分と共に戦って、足手纏いにならないくらい強くなったら、従ってやる、とね』


切法師はそれが誰かは言わなかったけれど、絶対的にそれは山口だろう、と太一は思っていた。
自分を庇って山口が怪我をしたということは、自分が足手纏いになった。
そう城島は考えたのだろう。
「足手纏いになったら自分のもとから去っていくって思ったんだろうなぁ」
だから烏枢瑟摩明王を下ろすなんて、あんな無茶したんだろうけど。
ふと下を見ると、小さく城島の背中が見えた。
「自分を心配してくれないからって結界の媒介を適当に設置する人がそんなことないと思うけどね」
お互いにお互いのことを解っているようで解り合えてない最強の術士と最強の式神を眼下に捕らえる。
それを見て、太一は小さくため息をつきながら、苦笑して、その後を追った。









結局。
山口は持ち前の頑丈さと、城島が下ろしていた力が弱かったことから消滅することはなかったが、
1週間本気で寝込み、食べ物を口にすることもままならない状態を初めて体験することとなった。



その後、切法師が持ってきた極上の酒で一晩中宴会をして、二日酔いで5人がぶっ倒れたのと、
上司のもとから帰って来た稲荷神が報酬をケチろうとして、笑顔の城島に神喰いの長瀬を突きつけられて脅され、
逆に倍の報酬をふんだくられたのは、また別のお話。









で き た ぁ !!
足らないところがいっぱいな気がするけど、できました!!

お待たせしました、あきらさま!
お気に召していただけましたでしょうか?
気に入らないというならば返品可ですので、どうぞ遠慮なくおっしゃってくださいね。

今回は半分書いた後に初めから書き直す、というアホなことをしてしまい、
かなり時間がかかってしまいました;;
しかも、またリクエストからずれてしまうという体たらく・・・・!!
甘やかしたところは膝枕しかないじゃないか!!
もっと上手く文章が書けるようになりたいです。


えっと、恒例の本編の補足です。
まず、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ですが、本当にお稲荷さまとして奉られている神様です。
こちらは日本神話の神様です。途中で出てきた荼吉尼天(だきにてん)というのは、日本に仏教が取り入れられた際、
これに当てはまるだろうされた仏教の仏様です。仏教系の稲荷神社では本尊がこの方です。
ついでに摩利支天(まりしてん)というのは同じく仏教の仏様です。詳しいことはわかりませんが、威勢のいい女神だそうです。
そして、烏枢瑟摩明王(うすさまみょうおう)。浄化を司る(と言っていいのか・・・)この方。実はトイレの神様です。
といってもどうしてトイレの神様になったのかは不明だそうで。
炎の神様なので、不浄を火で浄化するってところからじゃないかって説もあるそうです。
反閇(へんばい)は結界の一種です。決められた踏み方で円を描いて歩くことで結界を作ることができるのです。

とりあえず、確実に言えるのは、まともに資料は見てない(探してもない)ので、
捏造90%ですよってことで。本物の陰陽師がこういうのだって思わないで下さいね。

また後書きが長いし。いい加減にします・・・・・・。

改めまして、あきらさま、リクエストありがとうございました!! そして、8888打、ありがとうございました!!


2006/08/03




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