廊下でぱったり顔を会わせた。
けれど、声を上げる前に表情を歪められ、声をかける前に走り去ってしまう。
作りかけた笑顔そのままの曖昧な表情で長瀬は固まった。
そして上げかけていた手を力なく降ろすと、走り去っていった方向を神妙な面持ちで眺めたのだった。








c l o s e e n o u g h t o q u a r r e l








「松岡君が避けてくるんすよー」
机に向かう太一の後ろに胡座をかき、長瀬は不満をもらす。
小さくため息をついてペンを置き、太一は椅子ごと振り返った。
「何かしたんじゃねーの?」
「何もしてないっす」
ぷぅと頬を膨らませる長瀬に、太一は胡乱気な表情を浮かべて椅子にもたれかかる。
「心当たりは?」
「無いから困ってるんじゃないですかぁ」
そう言いながら長瀬は畳の上に大の字に転がった。
これが有名な鬼の孫なのか、と太一は内心呆れ返る。
けれどすぐに、仕方ないかと考えを改めた。
自分が連れ出すまで大江の山から出た事がないと言っていたのを思い出したからだ。


長瀬が城島の屋敷にやってきて、二週間ほど経った。
よく遊びに行っている坂本の家に行った時に、長野に連れて行かれた山の中でたまたま出会った鬼が長瀬だ。
酒呑童子の孫息子だという彼は、紆余曲折あって太一の式神となり、屋敷にやってきた。
人懐っこく子どもっぽい長瀬は屋敷の者に歓迎されたのだが、たった一人にだけはそうはいかなかったのだ。


「俺、松岡君と仲良くなれない気がします・・・・・・・・・・・・」
「何だよ、超弱気じゃん」
「だって挨拶さえさせてもらえないんだもん・・・・・・・・・・俺、何かしたのかなぁ・・・・・・・・・・」
もしも長瀬が犬だったら、間違いなく尻尾も耳も垂れ下げていることだろう。
「まー。アイツ、意外と繊細だからなー。気付かないうちに何かしたんじゃね?」
「・・・・・・・・・・そうなのかなぁ・・・・・・・・・・・」
ゴロゴロと床を転がり、小さく唸る。
太一はその様子を見て再び小さく溜息をついて、置いたペンを取り上げた。
それをクルクル回しながら天井を見上げ、何かを思いついたのか、ニヤニヤしながらナガセに視線を戻す。
「仕方ないな!松岡と仲良くなるまで、約束は無しな!」
「えええ!!?そんな!!!」
太一の言葉に、長瀬は勢いよく起き上がた。
そして太一の肩に手を置いて、涙目になりながら声を上げる。
「ヒドイっすよ!!俺すっげぇ楽しみにしてたのに!!!」
「だって松岡は俺の弟みたいなヤツだし、仲良くできないならさ、ここにいてもらうワケにも、なぁ〜。
 それに、茂君も、光一だってそう言うと思うぜ〜?ここで一番偉いの光一だし」
太一がニヤニヤ笑いながらそう言うと、長瀬は顔を青褪めさせて太一から手を離した。
「ちょっと散歩に行ってきます!!」
そう言うが早いか、長瀬は太一の部屋から駆け出していく。
バタバタと走る足音がだんだんと遠ざかるのを聞きながら、太一はクックッと咽喉を鳴らして笑った。
「面白くなりそうだな〜」
太一はそう呟いて、鼻唄交じりに机に向き直った。








バタバタと廊下を走り抜ける。
擦れ違った女中たちが小さく悲鳴を上げながら真ん中の道を譲った。
「何なんだよ!!何で追いかけてくるんだよ!!!」
「松岡君が逃げるからじゃないですか!!松岡君こそなんで逃げるんですか!!!」
前方を走る松岡が振り返りながら怒声を上げると、後ろを追いかける長瀬も声を上げる。
「お前が追いかけてくるからだろ!」
「じゃあやめたら話してくれますか!!?」
「ヤだね!!!」
「何でですか!!!」
べぇと舌を出して松岡が更に加速する。そして裸足のまま庭に出た。
長瀬も追いかけて庭に飛び出して、勢い余って植木に突っ込んだ。
「うわあ!!!」
その悲鳴に松岡は足を止める。
振り返って長瀬がひっくり返ってるのを見て、鼻で笑って走り去った。
「・・・・・・・・・くっそぉ・・・・・・・・・・!!!」
落ち葉やら雑草やらでどろどろになりながら長瀬が植木から這い出てくる。
そしてその場でガックリと項垂れていると、廊下の方から声がかけられた。
「苦労してるね」
「・・・・・・・・・たいちく〜ん・・・・・・・・・・・」
声の方を見ると、縁側にしゃがみ込んだ太一がケラケラと笑いながら長瀬を見ていた。
「すばしっこいだろ、アイツ」
「話をすることもままならない!!」
「意地っ張りだからなぁ」
「何か逆にやる気出てきました!!」
長瀬は勢いよく立ち上がると、闘志をメラメラと燃やして手をぐっと握り締める。
「絶対に捕まえます!!」
「ガンバレ」
「はい!!」
抑揚の無い棒読みの太一の激励に長瀬は元気よく返事をして走り出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何か目的が変わってきてたなぁ」
ニヤニヤ笑いながら太一はそれを見送った。




後ろから長瀬が追いかけてきていないことを確認し、松岡は敷地内で一番大きな桜の木の傍に腰を降ろした。
一息ついて、撒いてしまう前に長瀬が言った言葉を思い出す。
そしてムッとして、無意識に唇を尖らせた。
「お。こんなところで何してんだよ」
不意に屋敷の方から声がかかる。
聞き慣れた声に顔を上げると、通りすがりの山口が廊下から庭に降りてきていた。
「穴掘りしてんのか?」
「バカじゃないの!!犬じゃないんだから穴掘るわけないでしょ!!」
目を怒らせた松岡の反応に、ケラケラ笑いながらその横にしゃがみ込む。
「・・・・・・・・・・・・何だよ!」
「べっつに〜」
そう言いながら、山口は笑顔で松岡を見た。
「何か言いたいことあるなら言えばいいじゃん!!」
「その言葉、お前にそっくりそのまま返す」
「何それ!!」
噛み付くように言った松岡に、山口は肩を竦めながら立ち上がる。
「長瀬が嫌いなら、そう言えば良いじゃねーか。嫌いなヤツに気を使う必要なんてないだろ。
 言いたいこと言ったらすっきりするんじゃねーの?」
山口はそう言うと、呆然と山口を見ている松岡の眉間を人差し指で押さえた。
「いたたたた!!」
「ガキのクセに生意気にウダウダ悩んで、眉間にシワ寄せてんじゃねーよ」
「痛いよ!」
唇を尖らせて怒る松岡の頭をガシガシと撫でて、山口は笑った。
「頭で考えてないで言うだけ言ってみな」
そして肩を軽く叩いて屋敷の方に戻っていく。
「じゃ、俺はシゲに呼ばれてるからさ」
「俺が引きとめたわけじゃないでしょ!!」
楽しげに笑って去っていく山口を、松岡はムスっとしながら見送った。
そして足元の地面に目をやる。
数週間前のことを思い出した。


──── これ長瀬。今日から俺の式神になったから。


夏休みに入ってすぐ、修行に行ってくると一週間ばかり留守にして、帰ってきた太一が連れてきたのが長瀬だった。
城島や山口、当主の光一やこの屋敷内の人達の前で紹介された時から、何となく気に入らなかった。
屋敷に来てすぐなのに、ずっと昔から住んでいたみたいに感じられたし、妙に馴れ馴れしいのもいやだった。
太一と並んで歩いているのを見ると、胸の中がモヤモヤした。


──── そこは、


「見つけた!!」
考えを遮るように大声が響いた。
ハッと顔を上げると、そこには長瀬が立っていた。
「・・・・・・・・・何だよ・・・・・・・・・・・」
キッと睨みつけると、長瀬は少し困ったような表情を浮かべる。
「話だけでも聞いてください」
「・・・・・・・・い・・・・いやだね!」
長瀬が一歩踏み出したと同時に、松岡は声を上げて走り出した。
「だから、何で逃げるんですか!!」
それを追って長瀬も走り出す。
「いやだからに決まってんだろ!!」
「そのいやな理由を教えてくださいよ!!」
「うるさい!いやなもんはいやなんだよ!!お前なんてだいっきらいだ!!」
松岡のその言葉に、長瀬は表情を変えた。
そして急激に加速すると、勢いよく松岡の左腕を掴んだ。
「いっ!!?」
「俺の何を知っててそんなこと言うんですか!」
「離せよ!!触んな!!!」
「話したこともなければ、俺をちゃんと見てもないくせに、何で嫌いだなんて言うんだよ!!」
怒りを露わにして声を上げる。その剣幕に、松岡が少しだけ恐怖を滲ませた。
「俺のどこが嫌なのかって何度も訊いてるのに何にも言わないで、嫌い嫌いって、納得いかねーよ!!」
その怒声に、長瀬が家に来たときのことが頭の中で勝手に再生された。




『よろしくね』




差し出された手を見て、そのまま視線を顔に向ける。
幸せそうな表情、何の苦労もしていないような雰囲気を纏った姿が妙にムカついた。

『ずっと家を出てみたいと思ってたんです』

『今まで家族と一緒にいたから、出てくるのは不安だったんですけど』

『ここには優しそうな人がいっぱいでよかったです』

オレには帰るところなんて無いのに

オレには家族がいないのに

オレには“ここ”しかないのに

「・・・・・・・・何だよ・・・・・・・・・・・・」

茂くんの横は兄ぃと太一くんがいて、オレの居場所は太一くんの横で、

「・・・・・・・・・・・全部オレが悪いのかよ・・・・・・・・・・・・・・・!!!」

そこは、そこはオレの場所だったのに!!

「いきなりウチに来て、勝手にいすわって・・・・・・・・・・・・・・ここはオレの家だぞ!!!」
長瀬の怒声にも負けないほどの声で、涙目になりながら松岡が叫んだ。
「オレの家に入ってくんなよ!!茂君も兄ぃも太一くんもオレの家族なんだよ!!」
そう声を上げて掴む手を振り払い、松岡は長瀬の頬を思いっきり殴った。
「・・・・っ!!」
「出てけよ!!家があるなら帰れよ!!お前なんてだいっきらいだ!!」
「まつおかく・・・・・・・・・・・・・」
今にも泣き出しそうな顔の松岡に長瀬が怯む。
瞬間、松岡の身体が白く輝き、その光の中から白い大型犬が飛び出した。
「え!?」
長瀬は考える前に身体が動いていた。
勢いよく駆け出して、屋根の上に飛び乗った白い犬を追いかける。
鬼特有の身体能力を存分に生かして長瀬も屋根に飛び乗った。
それに驚いた犬が動きを止めた一瞬に、長瀬は二本ある尻尾を思いっきり掴んだ。

ぎゃん!

犬が悲鳴を上げたと同時に、長瀬はバランスを崩して足を滑らせる。
「あ」
そして尻尾を掴んだまま、犬もろとも庭に落下した。
「ぎゃああああ!!!」
【ぎゃああああ!!!】

悲鳴の後、ドンという鈍い音とともに陶器やガラスの割れる甲高い音が響き渡った。
途中でぶつかったのか、傍にあった低木からハラハラと葉が落ちる。
一瞬意識を飛ばした長瀬が我に返り、身体を起こすと、お尻の下で白い犬が伸びていた。
白い犬の身体が淡く光り、それが消えると目を回した松岡が現れる。
「ぎゃああああ!!!松岡君!!?」
顔を青褪めさせて長瀬が叫ぶ。
松岡の肩を掴んでガクガクと揺らすと、小さく唸り声を上げた。
「・・・・・・・・・う・・・・・・」
「わああ!!よかったぁ!!!」
松岡が目を覚ましたことに感動した長瀬はぎゅうと力いっぱい抱き締める。
「・・・・・・っ離せよっ!」
気が付いた松岡が長瀬の顔をギリギリ押す。
しかし長瀬はそれにもめげずに更に力を込めた。
「良かったっ・・・・・・松岡君死んじゃったかと思った・・・・・・・・・・・・!!」
「・・・・・・っ」
涙目で鼻を啜りながらそう言った長瀬に、松岡は言葉に詰まる。
「・・・・・・ごめんね・・・・・・・俺、加減ができなくて、いっつも一人だったから、どうしても仲良くなりたくて・・・・。
 松岡君の気持ちまで考えてなかったね・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・」
松岡を抱き締めていた手の力を抜いて、長瀬はしょんぼりと俯いてしまった。
それを見て、何とも居た堪れない気持ちになった松岡が口を開いた瞬間、不意に影が差した。
「「?」」
不思議に思ってその影の方向に顔を向け、二人はそのまま固まった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・仲のえぇことやねぇ・・・・・・・・・・・・。
 でも君らの下にある花瓶とか、水盤とか、それはそれはお高いものなんやけど・・・・・・?」
視線の先の城島は、恐ろしいほどに綺麗な笑顔を浮かべていたが、その額には青筋が浮いていた。
その言葉に二人は自分のお尻の下を見て、もう一度城島を見る。



言葉通りの意味でも、比喩的な意味でも、二人には雷が落ちたらしい。










「仕組んだのお前やろ」
「仕組んだなんて人聞きの悪い言い方しないでよ」
ムスッとした様子の城島に、太一がニヤニヤと笑いながら不服を示した。
「二人の中を取り持ったんだから」
「でも壊された花器類は光ちゃんから借りたもんやったから、全額弁償やってんで。
 半額負担してや。僕の貯金すっからかんやないかい」
「それは知らない。いいじゃん。松岡は逃げなくなったわけだし?」
ふふんと鼻唄を歌いながら、太一は立ち上がり、手を出す城島をスルーして部屋から出て行く。
入れ替わりに入って来た山口が、苦笑しながら城島の横に座り、その肩をぽんと叩いた。

開けっ放しの襖の向こう、広い庭の奥の方で、松岡と長瀬が言い合いながら何かをしているのが見える。
その様子に、しょうがないかと城島は溜息をついたのだった。











陰陽師シリーズ、ちょっと昔のお話でした〜。

ツートップメインとのリクエストでしたので、どうしようかと悩んだ結果、出会ったときの話になりました。
結局一番損をしたのはシゲさんという展開になっちゃいました(笑)
いいとこ取りなのはぐさまでしょうか?
珍しくほのぼの?したお話になったようなならなかったようなですね(汗)


ではでは、大変お待たせいたしました!!
いかがでしょうか、mizuさま。
お気に召さなかったら書き直しますので、遠慮なくおっしゃってくださいませ。
改めて、リクエストありがとうございました!!



2010/02/01




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