雲一つない暗い空に月がぽっかり浮かんでいる。
瓦屋根の上で煙管をふかしていた彼は、ゆっくりと振り返った。
「こんばんわ」
ニヤリ、鋭い笑みを浮かべた来訪者は恭しく挨拶を述べる。
「こんな夜更けに如何用で?」
彼は薄く笑みを浮かべる。
「解ってるでしょう?」
その答えを鼻で笑う。
「解んねぇなぁ」
紫煙を吐き出しながら、彼は来訪者に挑戦的な視線を投げかけた。
「じゃあ説明するよ」
刹那、青年の姿が掻っ消える。
そして。
「アンタの首、頂戴」
彼のすぐ目の前に青年が現れた。
青年の爪が鋭く伸びる。
喉元を狙うそれを、彼は煙管で受け止めた。
そして、がら空きの青年の腹に掌底を喰らわせて笑った。
「やなこった」
咄嗟に身を引いていた青年はそのまま屋根に着地する。
「じゃあ力ずくで」
「やってみな」
青年の言葉に、彼は楽しげに口角を上げた。
月 下 遊 人
「楽しそうやなぁ」
塀の上に腰掛けた青年がのんびりと言う。
「趣味なんじゃない?」
それに背後から呆れた様子の声が答えた。
「お、来とったんや」
「当然でしょ。一応太一くんの部下なんだから」
塀の上の青年が、やはりのんびりと右手を見る。
彼よりいくらか離れた位置に背の高い青年が立っていた。
「こんばんわ」
「お晩です」
右手を額に翳して挨拶をした長身の青年に、ほわりと笑って応じる。
「ホント楽しそうだよねぇ」
立っていた青年は、彼の横に腰掛けてため息。
「松岡は戦わんでええの?例えば僕と」
楽しげに目を細めて、彼は松岡に問いかける。
瞬間、松岡の手が彼の額を叩いた。
「痛っ!」
「こんなのも避けられない奴と戦っても面白くないでしょ」
涙目の青年をジト目で眺める。
「それに、太一くんには兄ぃの首取ってこいって命令出てるけど俺には出てないし、
アンタに関しても命令は出てないの。無駄なことはしません」
「やったら何でわざわざ大陸からこっち来てん?」
彼の言葉に、松岡は肩を竦めた。
「暇潰し」
「物好きなやっちゃ」
「アンタには言われたくないよ、茂くん」
そして2人は再び視線を空に戻す。
青白い月光を背景に、2つの影が飛び交っていた。
薙ぎ払われる鋭い一閃を軽く避けて、彼は隣の屋根に移る。
青年は素早い動きでそれを追うが、どれも紙一重でかわされてしまう。
「ほら、どうした。俺の首取るんじゃねぇの?」
「・・・・・・・・・・っ!」
彼の挑発に、青年はムキになって向かっていく。
不意に彼が青年の方を向いて、足を止めた。
そして笑みの形に口歪め、中指を立ててちょいちょいと動かした。
「・・・・・・・・・っやってやろうじゃん!!」
それを挑発ととった青年は両手の爪を伸ばして彼に切りかかった。
その瞬間。
「!!?」
どんっという詰まるような音とともに、青年の背中に大量に水がぶち当たる。
どこから現れたのか、その水は青年を地面に叩きつけると、耳障りな音を立てて消滅した。
ずぶ濡れの青年が怒りで顔を歪めて立ちあがり、彼に向かって怒声を向ける。
「飛び道具なんて卑怯だ!!!」
「どこが卑怯なんだよ。海坊主が水使って何が悪い」
「接近戦しか出来ない相手に使わないでよ!ていうか海の妖怪なら海水使うべきだ」
ケタケタ笑う彼に、青年は不満げにその場に座り込んだ。
彼はその横に静かに降り立つ。
「こんな陸地に海水があるわけないだろ。無いものは使えねぇって。ていうかお前も猫ならもっと俊敏に動けよ」
「うるさいよっ。海坊主のクセに陸地にいる奴に言われたくない」
「それこそほっとけ」
言い合いをする2人の元に、塀から降りた城島と松岡が歩み寄る。
「今晩も派手にやったなぁ」
「おー、シゲ。見てた?今日も俺の勝ち」
苦笑交じりに声をかけた城島に、彼は笑顔でそう答えた。
「太一君、お疲れ様」
「・・・・・・・・・・・・馬鹿にしてんのか、お前」
手拭い片手に労わりの言葉をかけた松岡を、太一はジト目で睨む。
「違うよ!何でそういう風にとるかな!」
「そこのお猫様は俺に負けたのが悔しいみたいだぜ?ま、今のところ全戦全敗だからな」
ニヤニヤ笑いながら彼が言う。
「またそんなこと言うて。そう言うから話が拗れんねんで、山口」
城島が呆れた顔で彼を窘める。山口は小さく肩を竦めてちろりと舌を出した。
「ハイハイ。あ、シゲ、結界解いていいよ」
「んもー。ヒト使いの荒いやっちゃ」
ブチブチ言いながら城島がその辺に張ってあった紙切れを4枚、剥がして回る。
「ヒトじゃないじゃん」
「言葉のあやや。僕がれっきとした妖怪やっちゅーのはお前がよう判っとるやろっ」
噛み付くように城島が山口に言葉を投げる。山口はアハハと笑った。
「シゲがこういうことできてホント助かるよ」
「感謝しとるならそれ相応の謝礼を渡さんかい」
城島は集めてきた紙切れをびりびりと破く。
すると抉れていた地面が元の姿に戻った。
「・・・・・・・ホント、茂君のそれすごいよねぇ」
その様子を眺めて、松岡が感嘆の言葉を漏らす。
「ま、こうやって文字にせぇへんと何の力もないけどな」
城島が笑ってそう答えた。
同時に横手の縁側の襖が勢いよく開く。
「おかえりなさい!リーダー!ぐっさん!!」
開いた襖の向こうからパーマ頭の青年が顔を出した。
「あ、太一君と松岡君もいらっしゃい〜」
青年がほわりと表情を崩す。それを受けて城島も表情を緩めた。
「ただいま、長瀬」
「お茶淹れてみたんです!太一君たちもどうですか?」
長瀬の笑顔に、太一と松岡はお互い顔を見合わせた。
この世界には、文明が発達してきたといっても、未だに妖怪が跋扈している。
天を舞う龍からヒトを惑わす妖狐、長年使い古された道具が意志を持ったモノまで、その種類は八百万。
ヒトは気付いてはいないけれど、いたるところに存在して、ずっと昔からヒトと関わりを持っていた。
妖怪はヒトの願望や想いを元に生まれてくる。
ヒトビトの中にその存在を信じる者がいる限り、妖怪は存在し続ける。
ヒトビトが、その存在を強く思えば妖怪は生まれ続ける。
だから、妖怪はヒトの願望の結晶。
日差しが強い。
陽の光に暖められて火照った身体を冷やすために、太一は木陰に身を寄せる。
その道すがら、煙管を蒸かす山口に出くわした。
「よう」
太一は答えずに、離れたところに転がった。
「そう真っ黒だとお猫様も大変だな。蒸し猫になるんじゃねぇ?この暑さじゃ」
皮肉った笑みを浮かべながら太一にそう声をかける。
太一はその黒光りする長い尾を振っただけ。
そういう山口も滝のような汗を流して、少しへばっているようだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アンタんとこ、扇風機ってのがあるんじゃないの?」
気だるそうに、太一が話しかける。
「あー、シゲに追い出された」
「何で?」
「扇風機は店の方にあるんだよ。俺が店に入ると商品にカビが生えるってんでさ」
「・・・・・・・・・・・・カビ?」
「俺が海のナマモノだからだってよ」
着流しをバタバタ扇ぎながら言う山口に、太一は笑った。
そして周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、その姿を変える。
黒い短い毛並みの猫は、短髪で目付きの鋭い青年に変わった。
「ナマモノなんだ」
「酷くね?自分が万年筆だからってさ」
不貞腐れた様子の山口を横目に、太一は幹にもたれかかる。
「てか海の妖怪が何で『山口』なの?」
「むかーし昔に食った人間の名前をもらった」
「へぇ」
「何でお前は『国分』なんだよ。猫のクセに」
「初めの主人の名前が国分だったんだよ」
「へー」
生温い風が通り抜ける。
それに合わせて木々が揺れた。
葉の間から漏れてくる光を、小さな木精がその翅に反射させて踊っていた。
それを、2人して黙って眺める。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前、いいの?こんなことしてて」
不意に、山口が目を細めて太一に声をかけた。
「俺を殺しに来たんだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん。正直ヤバイと思うよ」
少し考え込むような仕草のあと、太一はあっけらかんと答える。
「うちの派閥の上のヒトは容赦ないからねぇ。いい加減何か来るかもしれない」
「じゃあ今すぐにでもやったらどうだ?」
その言葉に、しかし太一は曖昧に笑っただけで動こうとはしない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・もう帰れないんだよね」
ポツリ、呟く。
山口はそれ以上訊くことはなかった。
この空間の方が居心地が良いと思ってしまったら、もう、あそこには戻れない
「兄ぃ、お願い」
その夜。
突然1人で訪ねてきた松岡が山口に言った。
「このままだと太一君が殺されちゃう」
悲痛な顔をして頭を下げる。
「助けて」
「ねぇ、太一」
纏わりつくような闇の中に、白銀の影が映る。
「一年前に、俺、何て言ったっけ?」
柔らかな笑みが太一の鼻先に近付いた。
彼の背後には豊かな毛並みの九本の尾がゆったりと揺れ、頭部には尖った狐の耳が生えている。
周囲には人の姿だったり獣の姿だったりと、様々な妖怪が控えていた。
「北海の主の首を取って来いって言わなかった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、でしたっけ」
「惚けても無駄だよ。・・・・・・・・・・・・掟は解ってるよねぇ?」
九尾の妖狐の突き刺さるような鋭い声に、太一は動けずにいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「1年経っても言ったことをやってくれない奴は要らない」
九つの銀尾の一つが鋭く尖る。
それが太一の方を向いた。
「バイバーイ。太一」
圧倒的な力の差に、太一は息を呑む。
逃げなきゃ、と思いながらも身体が動かない。
目の前に迫る鋭いそれに、太一は目を閉じた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・?」
何も起こらない状況に、恐る恐る目を開く。
目の前には影。
「・・・・・・・・・・・・・・ったく。何大人しくやられようとしてんだよ」
離れた先の白銀の王が表情を歪めている。
その声に、太一は聞き覚えがあった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北海の主・・・・・・・・・・・・・・」
「いい加減名前で呼べっつーの。てかもう北海の主じゃねーし」
太一の呟きに、山口は呆れた顔で振り返る。
「・・・・・・・・・・・・何、で・・・・・・・・・・・・・」
「せっかく助けてやったのに何だ、それ」
掴んでいた銀尾を離すと、それは元の長さに戻った。
「よう、九尾の」
山口が、忌々しげに顔を歪める九尾に、馴れ馴れしく声をかける。
「何しに来た」
警戒心丸出しで毛を逆立てる九尾の様子に、山口は鼻で笑った。
「俺のほしいもんを貰い受けに来た」
そして、太一の首根っこを掴んで持ち上げる。
「!!?」
「俺の首が欲しいんならいつでも来いよ。俺が直々に相手してやる。けど、」
山口は九尾の狐に向かって中指を立てた。
「誰にも連ならない俺に、仲間がいなきゃ何も出来ない狐風情が勝てると思うなよ」
そして次には親指を立てて、それを地面に向ける。
「ざまぁみろ」
その迫力に圧倒されて動けずにいる九尾とその周囲の妖怪達を一瞥してから、山口は太一を担いだままその場から消える。
少しして、苛ついた様子で、九尾が小さく悪態をついた。
「・・・・・・・・・・・・・どうすんの」
呆気にとられて黙っていた太一が突然口を開く。
「は?何を?」
「だから!!何喧嘩売ってんだよ!!言っとくけど、アレは九尾の狐だよ!!?大陸の主だよ!!!死にたいのアンタ!!!」
その太一の言葉に、山口は面白そうに口角を上げた。
「お前こそ何言ってんだ?俺はあの九尾が恐れて刺客を寄越した北海の主だぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「やられるはずもねぇだろ」
山口がそう言うと、太一は言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうやってここまで来たのさ」
「松岡に乗ってきた」
「・・・・・・・・・・は?」
言うと同時に太一は顔を上げる。
その先には、民家の屋根の上で休む巨大な龍がいた。
同じ屋根の上には城島と長瀬の姿があった。
「これで派閥には無所属になったわけだし、九尾からは目を付けられたわけだし?もうこれは俺らんとこに来るしかねぇだろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ニヤリ笑った山口に、太一はもう黙るしかない。
「・・・・・・・・・・・・俺は安泰に生きたかったから九尾の派閥に入ったのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「残念。どうしても派閥が欲しいなら俺の傘下に入っとけ。元部下はまだ北の海で俺の帰りを待ってるらしいし」
まだ派閥としては一応残ってるぜ?
ケタケタ笑ながら3人(2人と1匹)の元に辿り着く。
「おかえり」
「おかえりなさい」
山口の肩から下ろされた太一を、城島と長瀬が笑顔で2人を迎える。
その声に、龍が目を開いた。そして淡い光を発してヒトの姿に戻り、笑った。
「無事帰ってきてくれてよかった」
少し表情を歪めた太一の肩に山口が手を乗せる。
4人の笑顔に、太一が俯いた。
「太一君。俺はアンタについていくからね」
松岡がそう言う。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」
赤い顔で太一が呟いた。
「馬鹿じゃなきゃ楽しく生きてけねぇだろ」
山口が太一の背中をバチンと叩く。
そして城島たちの傍に歩いていき、振り返って手を差し出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺のこと守ってくれるんだろうね?」
「ま、それなりには自分で守ってもらわないと困るけどな」
「誰に言ってんの」
皮肉を投げ合いながら、太一はその手を取る。
「ようこそ。自由人の世界へ」
満足げに山口が歓迎の言葉を投げかけた。
「すごいっすね!これが妖怪の世界なんだ!!」
長瀬が感動に声を上げた。
再び龍の姿に戻った松岡の背に乗って、4人は空を往く。
「お。日の出だぜ」
東の空が少しずつ明らんできていた。
その言葉に3人は正面を見る。
「晴れとるし、何や、幸先ええなぁ。日の出が僕らの門出を祝福してくれとるってな」
「さすがシゲ。文豪の万年筆だっただけあるね」
城島と山口のやりとりに太一はコッソリと微笑んだ。
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と、いうわけで、『T2メイン。中華ファンタジー系で、ヒトと妖怪のお話』というリクエストでございました。
このリクエストでは細かく指示をいただきました。
キャラ設定については全部を出せなかったので、ここでちょっとだけ。
・ リーダー:昔の作家の愛用していた万年筆の妖怪。(古本屋経営)
・ 山口:だいぶ昔から存在してる海坊主。(北の海の主。元は大きな派閥を率いていた大妖怪)
・ 太一:黒猫が変化した猫又。年齢は軽く数百を超す。(九尾派に所属。命令を受けて大陸からやってきた)
・ 松岡:東洋系の龍と人間のハーフ。(太一の部下)
・ 長瀬:純粋な人間(大陸からの留学生)
※()内はこちらで付け加えた設定です。
細かい設定を戴いてのリクエスト、というのは初体験だったので、いつもと違った感じで楽しかったです。
設定を考えなくていいから楽そうに見えたんですが、難しいですね!
無い頭を捻りに捻ってこうなりました。
何だかあっさりとまとまりすぎたような気がするのですが、今の私の能力ではこれが精一杯のようです。
もっと上手く書ける文才が欲しいです・・・・・・・・。
大変お待たせいたしました!
いかがでしょうか、栗原翡翠さま。
お気に召さなかったら書き直しますので、遠慮なくおっしゃってくださいね。
リクエスト、ありがとうございました!!
2007/1/18
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