そこに足を踏み入れたらいけないよ



見つかったら連れていかれてしまうから


























 發 矢 の 森 


























お願いです


見逃してください


僕が代わりになるから















『二十歳になるまで待っていてあげる』




『二十歳になった年の今日、迎えに行くからね』


































人通りのない駅前通り。
時々地元の人間が通り過ぎるだけで、彼以外長くそこに留まる人はいない。
しばらくして、1時間に1本しか来ない汽車がやってきたが、降りてくる人は片手で数えられるくらい。
小さな駅だから乗客を迎える駅員は年老いた男が1人。
お帰りなさい、と迎える駅員に客は笑顔でただいま、と答え、それぞれ好きな方に散らばっていった。

「シゲ!」
一番最後に改札機を通り抜けてきた日焼けした青年が、彼に声をかける。
「お帰りタツヤ。久しぶり」
タツヤと呼ばれた青年は、嬉しそうにただいまと答え、シゲルはそれを受けて微笑んだ。
「変わんないね、この町も」
「でも栄えてもうても寂しいやろ?」
「確かに」
苦笑いを含めて笑うシゲルに、タツヤも再び笑って、2人は歩き出す。

「どないやの?勉強は?」
水田と畑の間、舗装もされてない道を2人並んで歩く。
「順調だよ。風邪ぐらいなら一発で治せるようになってきたし」
「すごいなぁ」
「師匠の方がすごいよ。この間なんてもう手遅れって言われてた人を治してさ」
タツヤは楽しそうに話し、シゲルも笑顔でそれに頷いていた。
「でも、發全師(はっせんし)も大変やねぇ」
「それほどでもないよ。夢だったから」



文化改革時代を超えた現在、医学分野の発展は目覚しい。
風邪から結核、果ては癌まで、あらゆる病は祟りの仕業である事が証明された。
病を引き起こす精霊が人に取り憑いて、人の命を喰っていくことが病の原因。

それを祓い、病を治す技術を持ったものは發全師と呼ばれていた。



「タイチも帰ってきとるで」
「あれ、出てってたんだ。会うの何年ぶりだろ?てかあいつ今何してんの?」
「あの子も發全師になるっちゅーて、タツヤとは別の街に行ってん」
そうなんだ、とタツヤは嬉しそうに笑った。
「あいつらは?マサヒロとトモヤ」
「あの子らもがんばっとるよ。マサヒロもなりたい言い始めてな、最近」
「何だよ、3人もこの町から發全師が出るのか。将来安泰だな」
「この町も寂れつつあるし、ええんやないの」
わずかに赤らんできた西の空を眺めて、シゲルが笑う。
「アナタはどうなの?」
「ん?ボク?」
「そう。択薬師(たくやくし=薬剤師)になるって言ってたじゃない」
「・・・・・・・・うん。勉強はしとるよ」
「そっか」
水田には青々とした稲が葉を広げて、穏やかに吹く風に合わせて揺れていた。












「ヤマグチくん!!」
「兄ぃ!!」
大きな平屋の古い屋敷の前、2人が門をくぐると、少年が2人走ってきた。
「おー!!久しぶり!!」
小柄で、吊り目の少年が嬉しそうにタツヤの前で足を止める。
一拍遅れて、ひょろっとした少年が追いついた。
「お帰り、ヤマグチくん」
「おう、タイチ。お前も發全師の修行してるんだって?」
「そうだよ、ヤマグチくん。3年の差なんてあっという間に抜かしちゃうんだから」
タイチは嬉しそうに笑って、タツヤが差し出した手に拳を軽くぶつける。
「お帰り!兄ぃ」
背の高い少年が、2人の話が終わるのを待って、嬉しそうに話しかけた。
「元気そうじゃないか。さすが俺の弟」
「当然でしょ!」
「お前も發全師になるんだって?」
「うん。でも択薬師でもいいな、と思ってる」
まだ悩んでるんだ、とはにかんだ笑顔でそう言った。
「一番うるさいやつがいねーな」
「トモヤはお使いに行ってるよ」
「そうか」
「ね、こんなところで話してないで中入ろうよ」
タイチの提案にマサヒロが家に向かって歩き出す。
タツヤは笑って頷いて、後ろを振り返った。
「シゲ、家ん中入ろうぜ」
振り返った先では、シゲルが門の向こうをぼんやり眺めていた。
そこに広がるのは水田とその向こうの森しかない。
「・・・・・・・・・・・・・シゲ?」
「ん?どないした?」
呼びかけに、シゲルは笑顔で振り返った。
「家。入ろうぜ。夕飯食べてくでしょ」
ここにいたら蚊にやられるし。
その言葉に、シゲルはようやくその場を動く。
「何かいた?」
「ううん。何もないで」
タツヤは首を傾げたものの、変わりないその姿に、気のせいかと頭を振った。












すぐに帰ってきたトモヤがタツヤを盛大に歓迎して、家の中は一気に騒がしくなった。
タツヤの母親が、一気に家が騒がしくなったと言いながらも、楽しげに夕飯の支度を始める。
その間、そして夕飯の間も、タツヤの土産話や日常の話などに花が咲き、笑顔が絶えることはなかった。

「ご馳走様でした」
「途中まで送ってくよ」
泊まっていけばいいのに、という誘いを断って、シゲルは夜が更けた頃、タツヤの家を後にした。
「あー、何だか懐かしいな」
「3年ぶりぐらいやからなぁ」
「やっぱこの町がいいよ。都会は騒がしすぎるもの」
面白いことは多いけどね。
タツヤは感慨深げにそう呟いた。
「でも、シゲも出てこればいいのに。俺の師匠の知り合いで、すごくいい腕の択薬師がいるんだ。
 その人の下で勉強すればいいじゃん。ここじゃ勉強するのも大変じゃない?」
「せやねぇ・・・・・・・・。でもボクはここから出て行くわけにはいかんから」
「おばさんのこと?」
タツヤの問いに、シゲルは曖昧に笑った。
「心配なら俺んとこに引っ越してこればいいじゃん。お袋とおばさん、仲いいんだし。
 どうせもうタイチとトモヤもいるんだから、2人くらい増えたって変わんねーよ」
「・・・・・・・・・・・それだけやないねん」
小さく呟かれた言葉は、少し暗かった。
「・・・・・・・・・・何かあるの・・・・・・・・?」
眉間にシワを寄せて、タツヤは訊いた。
「何もないで。お前は何も心配せんでええねん。發全師になるんやろ?」
「なるよ」
「やったら他のこと気にしとらんと、それだけに集中せな」
そう笑ったシゲルに、タツヤは何も言えなかった。
























行ってみようぜ

ダメだよ ばーちゃんがいっちゃダメって それにまっくらだし こわいよ

よわむしだな、お前 おれは行くよ

──── は?さそう?

今日はいないよ おばさんと街に行ってる

今日はおれたち4人だけで行くんだ また今度 ──── も一緒に行こう
























「ねぇ。兄ぃ」
トモヤが寝てしまい、家の中が静かになった頃、マサヒロが、タツヤの部屋にやってきた。
「どうした、マサヒロ」
修行先から持ってきていた書物を読んでいたタツヤは、それから顔を上げる。
「今いい?」
「ん?いいけど?」
本を閉じ、座り直したタツヤを見て、マサヒロは静かに部屋に入った。
「何だ?」
「・・・・・・・・・・・・・兄ぃさ。単刀直入に言うけど、シゲルくん見て何にも感じなかった?」
「感じるって、發全師として?」
「そう」
何言ってるんだ、と言いかけたが、マサヒロの真剣な表情に言葉を飲み込む。
「・・・・・・・・これといって、何にもなかったけど」
「ホントに?」
「ホントに」
タツヤの肯定に、マサヒロは表情をなさけなく緩めた。
「・・・・・・・・・タイチくんも同じこと言ってたし、俺の気のせいなのかな・・・・・・・・・」
「どういうことだ?」
怪訝な表情を浮かべる。それを見て、マサヒロは躊躇い気味に話し始めた。
「あのさ、最近になって特になんだけど、シゲルくん様子がおかしいよ。
 何にもない所をぼぉっと見つめてたり、今日は調子がよかったみたいだけど、一日中寝てることもあるんだ。
 おばさんは、ほら、今は街の病院に入院してるから、あの人一人暮らし状態でさ。
 母さんもうちに来なさいって何度も言ったんだけど、聞かなくて」
「おばさん、入院してんのか?」
マサヒロの言葉の中に含まれていた事実にタツヤは驚きの声を上げる。
「あれ?兄ぃ知らない?シゲルくんが連絡してると思ってたけど・・・・・」
「入院って、どれだけしてんだ?街なら腕のいい發全師だっているだろ?それとも怪我?」
「ううん、多分病気。原因が解らないんだ。半年ぐらい前かな、突然意識不明になっちゃって。
 国立病院でいろんな發全師の先生に診てもらってるのに、一向に良くならないんだよ」
タツヤは眉を寄せる。
「・・・・・・・・お前、おばさんが入院してる病院知ってるか?」
「え?知ってるけど・・・・・・・・・」
「明日行こう。俺まだ、修行中だけど、ちょっと診てみたい」
得も言われぬ不安が掠めたタツヤは、居ても立ってもいられなかった。












リノリウムの廊下が続く。
日焼けしてしまったのか、真っ白だっただろう壁紙は薄っすらと茶ばんではいるものの、
病院独特の清潔なイメージは失われてはいない。
發全師の台頭により、大半の病が治るようになった今、入院する患者は怪我人ぐらいしかいない。
静かな廊下を歩き、病室の一番奥。
小さな一人部屋に、彼女はいた。
「・・・・・・・・・ホントに何もねぇな」
目を閉じて、眠っているシゲルの母親を見て、タツヤは眉を寄せた。
「何これ・・・・・何で意識が戻らないんだ?どこも異常なんてないじゃん」
同じく、發全師として勉強しているタイチも怪訝な顔をして呟く。
發全師は、レントゲン等の機械がなくても患者の体内を覗く術を身につけている。
發全師見習いとはいえ、成績のいい2人が見ても、原因らしきものは何も見えなかった。
「だから言ったじゃん。原因が解らないって。国立病院の先生も解らなかったんだから・・・・・」
マサヒロが、幾分か落胆した口調で言った。
「・・・・・・・・・・・・あれ?何これ」
ふと、タイチが眉を跳ね上げた。
「どうした?」
「ほら、ここ・・・・・・・・」
タイチが指差したのは彼女の肩口。
服で隠れて見えなかったが、薄っすらと痣のようなものが見えた。
「何だこれ。痣?」
「あれ?こんなのあったっけ?」
マサヒロも首を傾げて顔を近づける。
「この前来たときにはこんなのなかったよ」
「おばさん、ちょっとゴメンな」
一言断って、タツヤは彼女の上半身を抱き上げた。そして、服の襟元を少し捲る。
「!!?」
「わ、何これ!ひどくない?」
その痣は左肩全体に広がっていた。
「俺ちょっと先生呼んでくる!!」
その真っ黒な肩に、マサヒロが血相を変えて病室を出て行く。
「俺・・・・こんなん見たことないよ・・・・・・!!」
タイチが呆然と呟いた。



















なんだろ、あれ

家?

ぼろぼろだね

こわいよ かえろうよ おこられるよ

じゃあお前だけ帰れよ

いやだよ

おい、アレ、何だ?



















大騒ぎになった病室を後にして、3人は汽車に乗り込んだ。
「・・・・・俺、気になることがあるんだけど」
タイチの呟きに、2人は顔を上げた。
「何だよ」
「あの痣?さ、俺同じの見たことあるんだ。多分、ヤマグチくんもマサヒロも見てると思う」
「うそ?」
「覚えてない?ばーちゃんが死んだとき」
「・・・・・・・・・・・・・・そういえば・・・・・・・・・・・」
タツヤが眉間にシワを寄せて口を開く。
「ばーさんの死因って判んなかったんだよな?」
「そう。突然倒れて、そのまま死んじゃったよね」
「・・・・・・・・・・・・同じ?」
マサヒロがポツリ言った。
「ねぇ、今のおばさんと一緒だよ!突然倒れて、そのまま意識戻らなくて!!
 一緒じゃん!!しかも、多分だけど、時期って、一緒じゃない?これ・・・・・・・・・・」
「そうだよ!明後日はばーちゃんの命日じゃん!これ絶対関係あるよ!!」
見つけた関連性に興奮して声を上げる2人を余所目に、タツヤは険しい顔をしたまま。
「・・・・・帰りにシゲんち寄っていこう。何か気になる」






身体が重い。

動くのが億劫になるほどの気だるさに、シゲルは壁に背中を預けたまま、ぼんやり外を眺めていた。
意識もはっきりしているわけでもなく、波のように、落下と浮上を繰り返している。
特に、左肩が重い。
視界が滲んで、ぼやけた世界に一点、白く光が浮き上がる。

『もうすぐだね』

声がした。

『覚えてる?約束』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・覚えとるよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その呟きに、声は満足そうに言った。
同時に肩を中心に、身体の左側の感覚が薄くなっていく。

『迎えに行くからね』

クスクス。
笑い混じりの声。
少しずつ、息が苦しくなってきた。


「シゲ!!」
呼ばれた名前に意識が浮き上がる。
目の前のぼんやり霞んだ視界に幼馴染の姿。
明かりもついていない家の中に飛び込んだタツヤは、ぐったりしていたシゲルの姿を発見し、声を上げた。
「マサヒロ!!水汲んでこい!!」
タツヤの指示にマサヒロが走る。
シゲルを敷きっぱなしの布団の上に寝かせ、脈を取る。
「脈が弱い・・・・・・・・」
「ヤマグチくん!これ!!」
タイチがシゲルの服を捲る。
左肩を中心に、蔦が絡まるような紋様の痣が左手の平からほぼ左半身全体に広がっていた。
「これおばさんと一緒じゃねぇか!!」
「おばさんよりも濃いよ!!何だよ、これ!!こんなの昨日まで無かったのに!!」
「汲んできたよ!!」
洗面器いっぱいに汲まれた水に、タツヤは持っていたタオルを突っ込む。
「とりあえず身体を冷やさないと!熱でやられちまう!」
「・・・・・・・・・・・・・・ら・・・・・・・」
応急処置を始めるタツヤとタイチ。
シゲルが不意に、何かを口走った。
「え?」
「・・・・・・・・・・・ボクが・・・・・・・・・代わり・・・・・・・いく、から・・・・・・・大丈・・・・・夫やから・・・・・・・」
焦点の定まらない、虚ろな眼で虚空を見つめて、うわ言のようにそれを繰り返す。
「・・・・・・・・・・代わり・・・・・・?どういう・・・・・・・・・」
その内容に、3人が動きを止める。その瞬間、突然、シゲルが笑い出した。
“・・・・ふふ・・・・・あはははははは!!!かわいそうに!!!身代わりになってもらったやつは覚えてないんだ!!!”
「シゲ・・・・・・?」
“本当に連れて行く予定だったのは君なんだよ、發全師の見習いくん”
身体を起こし、普段の口調とは違う言葉で、タツヤを指差しクスクス笑う。
“・・・・ふふ・・・・あの巫師の言うことを守らなかった君らが悪いんだよ?来なければ何もしなかったのに”
その眼は虚ろなまま、あらぬ方向を見ていた。
“この子がどうしても、って言うから代えてあげたんだよ。健気だよねぇ”
「・・・・っ『疫』か!シゲの身体から出て行け!!」
“ダメだよ、もう手遅れだ。期日は明後日だから”
タツヤの怒声にそう笑って、シゲルは力なくくずおれた。
「・・・・・・・・・・何・・・・・・・・今の・・・・・・・・・・・」
それを受け止めたタツヤの横で、タイチとマサヒロが真っ青になっていた。
「・・・・一回だけ見た事がある。『疫』って名前の祟神だ。原因不明の病は全部これが原因って言われてる」
「何で!?祟神なんて、普通の生活してたら患うはずない!!『疫』なんて知らないけど、それっくらいは知ってるよ!!」
「・・・・・・・・・代わりって言ってなかった?」
「言ってた。それと、来なければってどういうこと?」


















鬱蒼とした森を目の前に、子どもが4人、話し合っている。
「行ってみようぜ」
「ダメだよ。ばーちゃんがいっちゃダメって。それにまっくらだし。こわいよ」
一番身体の大きな少年の言葉に、つり目の少年の服を握り締めていた少年が反論した。
「よわむしだな、お前。おれは行くよ」
つり目の少年は彼を一瞥してそう言う。
「シゲルくんは?さそう?」
もう一人の少年が首を傾げた。
「今日はいないよ。おばさんと街に行ってる」
「今日はおれたち4人だけで行くんだ。また今度シゲルくんもいっしょに行こう」
そうして4人は禁じられている森の中に足を踏み入れた。




「なんだろ、あれ」
それを一番初めに見つけたのは、薄紫のTシャツを着た少年だった。
「家?」
「ぼろぼろだね」
「こわいよ・・・・・・・・・・・。かえろうよ、おこられるよぉ・・・・・・・・・」
ぼろぼろになった小さな社を見て、一番年下の少年が目を潤ませる。
「じゃあお前だけ帰れよ」
「・・・・・いやだよぉ・・・・・・」
「おい、アレ、何だ?」
一人が何かに気付いた。
その指先、社の辺りに何か黒い靄が広がっている。
「っ来た!!にげろ!!」
次の瞬間、その黒い靄は4人に向かってきた。
急いで草を分けて元来た道を戻る。
「うわぁ!!」
「トモヤ!!」
一番小さい少年が転んだ。
それに気付いた背の高い少年が戻って起き上がらせる。
そして、目の前には黒い何かが迫っていた。
「!!」
慌てて避けるが、それは少年の左肩を掠めた。
「タっちゃん!!」
「いいから走れ!!」
4人は振り返ることなく森を駆け抜けた。
黒い靄が掠めた左肩がジワジワと痛み始めていた。




「何で森に入ったんじゃ!!」
家に帰り、それを見せた4人は顔を真っ青にさせた祖母に激しく叱られた。
しかし、恐怖で黙り込む少年達を見て、彼女は大丈夫、と一言優しく言った。

彼らの帰りを待っていた少年は、熱を出して苦しんでいる少年を見て、泣きそうな顔になった。
少年達が祖母に叱られているのを聞き、何が起きたのかをすぐに把握する。
彼は大人たちがバタバタと医者を呼びにやったりしている隙に、そっと家を出た。
そして、彼は迷わず禁じられている森の奥に入っていく。
辿り着いたのは、少年達が見つけたぼろぼろの社。
そこに走っていって膝をついて、彼は叫んだ。
「お願いです!!見逃してください!!ボクが代わりになるから、タツヤを連れて行かないで!!」

許してください。

涙ながらに彼がそう言った瞬間。どこからか声がした。


『二十歳になるまで待っていてあげる』


男なのか女なのかも判らない、中性的な声が響く。


『君が二十歳になった年の今日、迎えに行くからね』


彼は頭を上げた。


『ただし、このことは誰にも言ってはいけないよ』


その視線の先、社の中の闇が、笑ったように見えた。






その日の夜遅く。
少年達の祖母が突然に、息を引き取った。

それと時を同じくして、少年の熱も下がり、何事もなかったかのように快復した。




















「何で?」
声に張りがない。
「・・・・・・・・・・死んでほしなかったから・・・・・・・・・・・」
布団に横になっているシゲルが、小さく答える。
「もっと他にも方法があっただろ・・・・・・・・。何で俺の代わりになんて・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・ボクはええねん。もともと身体弱かったし、ここまで生きてこれたのが奇跡なんやから・・・」
拳を握り締めるタツヤに、シゲルはかすかに笑った。
「・・・・・・・強いて言えば、お前が活躍するとこが見たかったなぁ・・・・・・・・」
その笑顔に、タツヤは顔を歪める。
シゲルの姿を見ていられなくて、顔を背けた。









『解った。急いでそっちに向かおう。しかし今日の夕刻になってしまうが・・・・』
「期日は明日らしいんで、大丈夫だと思いますけど、何かあったら俺が手を出してもいいですか?」
『ああ。許可しよう。絶対に死なせるなよ』
「はい」
受話器を置く。チン、と甲高い音がした。
電話を借りた店の主人に礼を述べ、タツヤは店を出た。
店の外で待っていたトモヤが腰を上げる。
「ぐっさん・・・・・・・・・・」
「来てくれるって」
「ホントっすか!?」
「でも、あそこからここまで汽車でも半日かかる。ホントに、ギリギリかもしれない」
タツヤはため息をついた。
唯一電話を引いていた店に電話を借りて、かけ続けること2時間。
昼前に、ようやく彼の發全師の師匠と連絡がついた。
「それまでは何とか持ちこたえてもらうしかないな。俺もタイチも、出来ることは限られてる」
「そんな!!シゲルくん死んじゃうんですか!!?」
智也は泣きそうに、その整った顔を歪める。
「・・・・・・・やだよう・・・・・・・」
歩きながら鼻をグスグス鳴らし始めたトモヤに、タツヤは優しく肩を叩く。
「大丈夫だって。死なねぇよ。・・・・・・・俺が死なせない」
ぎゅっと拳を握り締めて、タツヤは言った。

















シゲルを自宅に移し、交代で様子を看ながら書物を調べていた。
そのうちに、ドタドタと板張りの廊下を走る音。
到着に合わせて振り返ったタツヤの目に飛び込んできたのは、血相を変えたタイチの姿。
「どうしようヤマグチくん!!」
「急変したか!?」
「違う!!ちょっと厠に行った隙に、シゲルくんがいなくなっちゃったんだ!!」
「何だって!!?」
慌ててその場から腰を上げるタツヤ。
タイチについてシゲルを寝かせていた部屋へ行くが、事実、シゲルの姿はどこにもいなかった。
「っどうして目を離したんだ!!」
「だって寝てたんだ!!まさか起き上がれもしない人が動くなんて思わなくて」
うろたえた表情でタイチが言った。
「・・・・・探すぞ!!」
そう言って外に出ると、すでに日は傾きかけていた。
「マサヒロとトモヤは駅に行け!先生が来てるかもしれない!!俺はあっちを見てくる!!」
「じゃあ俺はこっちを探してくるよ!!」
4人はそれぞれ走り出した。

タツヤはシゲルの行きそうなところを隈なく見て回った。
シゲルの自宅から、隣町との境まで行ってみたものの、その影は見付からない。
戻りがてらもう一度同じところを探すが、やはりいなかった。
「どうしよう、ヤマグチくん!!もう暗くなってきちゃったよ・・・!!」
泣きそうになっている太一を慰め、タツヤは行きそうな所に考えを巡らす。
そして。
「・・・・・・そうか・・・・・!!」
呆然としているタイチを置いて、彼は走り出した。

どうして気付かなかったのか。
日は西の空に沈み、空に少しずつ闇が下りてくる。
自分の姿さえ見えなくなる中で、タツヤは迷わず森の中に足を踏み入れた。
子どもの頃に入った時と変わらず、昼間でも暗いそこは、湿っぽい空気が満たされていた。
何となく寒気がするくらい、生き物気配がない。
まさに死の森と言っても過言ではない、静かな世界だった。
どれだけ走ったのか、どこに向かっているのか。
方向感覚も時間感覚もよく解らなくなってきたころ、急に視界が開けた。
「・・・・あった・・・・・・・・・・」
そこにあったのは、記憶と寸分違わぬ崩壊しかかった古い社。
「っシゲルくん!!」
その前に倒れていた人影に、タツヤは声を上げて走り寄った。
「シゲルくん!!シゲ!!しっかりしてよ!!」
呼びかけても反応はない。
左半分に広がっていたはずの痣は右手の腕の辺りまで広がり、首の上、左の頬にもそれは伸びてきていた。

『無駄だよ。もう手遅れだよ』

クスクス。
社の奥から笑が響く。
「何でだよ!!もともとは俺だったんだろ!!連れてくなら俺を連れてけ!!」
タツヤがシゲルを抱えたまま声を上げた。

『ダメ。その子は約束を破った。誰にも話してはいけない、と言ったのに』

「そんなん知るか!!絶対にシゲは渡さない!!」

『それこそ約束違反だ』

「そっちだって約束を破ってるじゃねぇか!!俺の代わりにシゲを連れて行くだけだろ!!
 俺のばーさんや、シゲの母親にまで手を出してるじゃないか!!」

『利息、と言うやつだよ。その子が二十歳になるまで待ってやったんだから』

「それはお前が言い出しただけだ!!ふざけんな!!」
タツヤは半分自棄になって叫んでいた。
そして、ふと我に返り、シゲルを背負う。
「こんな所にいちゃ何にも出来ねぇ」
その場から離れようとしたが、来た道は消えていた。
「・・・・な・・・・・」

『行かせない。お前、發全師を呼んだだろう。今戻れば祓われる。行かせない』

「邪魔すんな!!」
適当に木の隙間に入り込む。そしてそのまま走った。
しかし、視界が開けたと思うと、元の社のあるところに出てしまう。
「くっそぉ!!こんなんじゃ、シゲが死んじまう!!」
タツヤはその場にシゲルを降ろし、その手を握った。

『期日はまだだけれど、もう連れて行ってしまっても変わらないだろう?』

そんな声が聞こえてきて、黒い靄が辺りに立ち込め始める。
「っそんな事させてたまるか!!」
タツヤは、病を祓うときに結ぶ結界を広げた。

『無駄な足掻きだね』

結界の向こうからくぐもった声が笑った。
「っ!」
結界を黒い靄が押しつぶし始める。
「シゲっ!シゲ!!しっかりしてよ!!俺はアナタに死んで欲しくないんだ!!」
何の道具もない。
いくらタツヤが發全師の見習いであっても、祓うのに必要な道具がなければ何もできないのだ。
「お願いだよ!!こんなのに負けないでよ!!死を受け入れないで!!シゲルくん!!」
完全に意識を失っているシゲルに、タツヤは必死に呼びかける。
その目には涙がたまっていた。
「シゲルくん!!お願いだから!!!死なないで!!!!」
その時、握っていたシゲルの手が微かに動いた。
「シゲルくん!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・たく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
小さく呟かれた言葉に、タツヤは、その手を力いっぱい握り締める。
「死なせてたまるかぁぁぁああああ!!!!!」

瞬間、光がはじけた。































突然、社への道が開けた。
「・・・・・・っこっちです!!」
それに気付いたタイチが男を呼んだ。
森の中に走っていくタイチに続いて、男は森に足を踏み入れた。
そして、その空気が、さっきまで森を覆っていたものとは異なっていることに首を傾げる。
「ヤマグチくん!!シゲルくん!!」
タイチが声を上げて走り出した。
その先、少し視界が開けた空間に、完全に崩壊した建物の残骸と、折り重なるように倒れる2人の姿。
男は黙ってそれに駆け寄った。
そして2人の脈を確認し、息をつく。
「大丈夫。生きてるよ」
同時にタツヤが目を覚ました。
「・・・・先せ・・・・・・・タイチ・・・・・・・?」
「ヤマグチくん!!」
状況を飲み込めていないタツヤに、タイチが泣きながら抱きついた。






















「病よりはやっぱりね、人間の生きようとする力のほうが強いんだよ」
タツヤの師匠は、出されたお茶を飲みながらそう笑った。
「多分あの子の生きたいという想いと、ヤマグチの死なせたくないという想いがあの祟神の力を上回ったんだろうね。
 ヤマグチは發全師の力も持ってるから、それで結果的に祓ってしまったんじゃないかな」
元を叩いたから、あの子の母親も今ではけろっと治ってるだろ?
終わりよければ全てよし、と笑う。
「そんなもんなんですか・・・・?」
怪訝な顔をするタイチに、彼は笑った。
「結局、發全師と言えども、最後は患者を死なせたくないという想いが物を言うんだよ」
気合だよ、気合。
そう言って笑った發全師に、タイチはそんなもんかな、と曖昧な笑顔を浮かべた。











レースの白いカーテンが風に吹かれて揺れる。
ベッドの上にはシゲルが眠っていた。
その横で、タツヤがそれを眺めていた。

本当に、奇跡としか言いようがない。
彼の師匠は事態を把握しながらも、そう言って笑った。
祟り神自体が封印されて長い時間が経っていたため、力が弱まっていたらしい。
それでも、こんな事態は滅多に起こる事ではないそうだ。
それで自分もシゲルも助かったのだから、神様の存在とやらに感謝しなくてはいけないかもしれない。

そんなことを思っていると、ふと、シゲルの手が動いた。
タツヤはそれを力いっぱい握りしめる。
その手は握り返してきた。
「シゲ・・・・」
薄っすらと目が開く。
「・・・・・・タツヤ・・・・・・?」
「おはよ、シゲ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おはよぉ」
タツヤが泣きそうな顔で、それでも笑うと、シゲルも笑ってそう言った。




















「行っちゃうの?」
トモヤが寂しそうに言った。
タイチはすでに前日の汽車に乗って修行先に戻ってしまっていた。
「奇跡で助かったといっても、十年近くも憑かれてたわけだからね。しばらくは私も元で療養してもらう」
「択薬師の先生を紹介してもらえることになってん。やから、勉強に行くんやで」
タツヤの師匠の言葉を受けて、シゲルがトモヤの頭を撫でて説明する。
「戻ってくるんだよね?」
「俺もシゲも、一人前になったら戻ってくるって」
嬉しそうに、タツヤがシゲルの肩を組んで言った。

「俺!!」
汽車に乗り込んで、窓から手を振ると、マサヒロが大きな声で言った。
「来年、絶対に勉強しに出るから!!俺も發全師になる!!」
にっと笑う弟に、タツヤは拳を突き出した。
「待ってるぜ!!」
「ぜってぇ追い越してやるから!!!」
その言葉にタツヤとシゲルは笑った。
そして汽車は、白い煙を吐き出して、駅を出発した。

「マボが行くならついてこうかな、俺も」
小さくなっていく汽車に手を振りながら、ポツリ、智也が呟いた。
「お前も?やれんのかよ」
「やれるよ」
不敵に口角を吊り上げた同級生の笑顔の裏に、マサヒロは彼の兄の姿を見た。
「じゃあ、追いついて、追い越してやろうぜ」
「もちろん」
2人は志新たに、駅を後にした。












楽しげに客席に着いたシゲルに、タツヤは視線を向ける。
「大丈夫?体調」
「ホント何もないって。心配性やなぁ、タツヤは」
「だって、十年近く隠されてたからね」
タツヤがにっこり微笑んだ。シゲルは苦笑いするしかない。
「・・・・・・・・・・ボク、もう何でもできるんやね」
死の恐怖に怯えてなくてもいいんだ、と嬉しそうに両手を見つめる。
「一緒に夢を追いかけられるでしょ?」
「今までの分も取り返したるわ」
タツヤが笑いかけると、シゲルは最高の笑顔で笑った。




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というわけで、リーダーが病気を隠していて、もう手遅れになってから4人にバレるというお話でした。
意外と壮大な設定になってしまったんですが、もうこれ、病気じゃないですね;;
ハッピーエンドということに注目していたら、こんなんなっちゃいました。

とりあえず、舞台はト○ロの田舎を思い出してもらえれば、と思います。
科学より呪いの方が主体になっている世界です。
妖怪とか、幽霊とか。そういったものが病気の原因とされてます。
それと、リズム隊、凸凹T2はそれぞれ兄弟です。

タイトルは、『はつや』と読みますが、意味は森以外の漢字に病だれをつけた熟語です。
不治の病、という意味らしいですよ。

リセッタメインで、ベイベが超脇役ですね・・・・。ゴメンね、ベイベー;;
いかがでしょうか、夏秋 香さま。
気に召さなかったら書き直しますので、遠慮なくおっしゃってくださいね。
リクエスト、ありがとうございました!!

2006/8/24




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