俺が見知っている世界は、石造りの壁に粗末な木製のテーブルとイス。
本の詰まった小さな本棚とベッド。そして、埃で汚れてくすんだ、たった1つの窓。


『世界』のことは知っている。
望めば本は与えられたし、唯一の窓から見える景色は本物の『世界』はとても広いことを教えてくれたから。
でも、俺を形成する世界はこの部屋の中だけ。
部屋から出ることは許されない。
それは俺が貴重だから。 この世界に残された、最後の先視の一族だから。


この部屋の中ですることは特に決まっていない。
本を読んだり、外を眺めたり、世話係の奴と話をしたり。
未来のことが見えたら報告するだけ。
先視と言っても、見たいものが見えるわけでもない。
それは神託のように突然見える。
数秒後のことかもしれないし、何百年も後のことかもしれない。
役立つことなのかも見えてみないと判らない。
そんな、不確定要素の高い力なのに、人々は無くすことを恐れてる。
だから俺をこんな高い塔の頂上に閉じ込めて、傷つかないように大事にしまっておくんだ。











     liberalism











それは死んだ母親が残した最後の未来。
俺の最期の日まであと半年、という時だった。

その日は何故か眠れずに、ベッドの上から、部屋に差し込む月の光を見ていた。

夜は好きだった。
自分に媚びへつらってくる嫌なヤツラは来ない。
誰もが寝静まった、無音の世界。
そんな世界が好きだった。

突然、窓から差し込む光が翳った。
しかも、人型に。
慌てて窓の外を見る。
そこにいたのは、黒いマントを着た、人の姿をした、誰か。
「・・・・・・・・・・・こんな所に人がおったんや」
それは訛った言葉でそう言った。
俺は恐怖で声が出なかった。
けれど、それが何なのかは判っていた。
世話係のヤツが言っていたのだ。

夜中に血を求めて彷徨い、人間を襲う吸血鬼の話を。
それに血を吸われたら最後、その人も吸血鬼になってしまうとか。

こんな夜中に、こんな高いところに人間がこれるはずもない。
だから、吸血鬼に違いない。
「君、こんなところで何しとんの?」
「・・・・・・・・・・吸血鬼だ・・・・・・・・・・・」
質問されて、でも口から出たのはそれだけだった。
その瞬間、それは大きな声を上げて笑った。
「あははははは!!!!そんな反応したんは君が初めてや!!!」
不躾にも人の部屋に入ってきて、それは腹を抱えて笑いまくった。
「あー。腹痛いわ。・・・・・・・・せやで。僕は吸血鬼や」
その口が弧を描く。文字通りニヤリ笑った。
その隙間から見える鋭い牙が2本。
「・・・・・・・俺の血を吸うの・・・・?」
「そう思うか?」
「だって吸血鬼は・・・・・・・」
「『夜な夜な歩き回って、人間の血を啜る。吸われた人間も吸血鬼に変わってしまう』?」
俺が言おうとしていた言葉をそれが言ってしまった。
「あ・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・・・」
「君、もしかして先視の最後の姫さんか?」
「姫!?」
自称吸血鬼の言葉に俺は思わず声を上げてしまった。
どこをどう見れば俺が『姫』なんだろうか。
「う〜ん。噂は間違っとったらしいなぁ。姫さんやなくて、兄ちゃんやないか」
俺の顔をマジマジと見ながらそれは言った。
「お互い、お互いへの知識が違っとるらしいなぁ」
それは初めて、柔らかい笑顔で笑った。
何と言うか、俺は見惚れてしまうくらい、その笑顔が輝いているように見えた。
「ん?戸の向こうに人の気配がすんな。もう行かな」
それは扉の向こうを眺めてそう言って、窓の方に翻った。
「・・・・・・・・・・行っちゃうの?」
俺は思わずそれを呼び止めた。
「おん。人に見付かったら騒ぎになってまうやろ?」
それは少し悲しそうに笑った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・また来る?」
俺の言葉に、今度こそそれは、唖然となった。
俺自身も何を言ってしまったのか、一瞬判らなかった。
「・・・・・・・・・・・・来て欲しい?」
それは俺の方に向き直って、そう訊いた。
俺は迷わず頷いていた。
「やったら、また来るわ」
「その時は血を吸うの?」
「吸わんよ。僕は吸血鬼やけども、吸わんでもええねん」
そうやって笑って、彼は窓の向こうに消えていった。


それが、俺と、吸血鬼の始祖だという茂君との出会いだった。













「そうなんだ」
俺が感心したように言うと、茂君は面白そうに目を細めた。

その次の日から、満月の日を除いて、茂君は毎日来てくれた。

そして、いろいろなことを教えてくれた。
見た目は結構若いのに、こんなナリに反して数百年も生きてるらしい。

もとは人間だったそうだ。

とある呪いを使って、吸血鬼になったのだと言っていた。
本当は、吸血鬼ではないとも。
その呪いというのは、永遠の命と力を手に入れるためのもので、もうこの世には存在しない呪いらしい。
だから、血を吸わなくても生きていける。
そもそも何も食べなくても、死ぬことはないんだそうだ。

茂君の血には力があるらしい。
それを与えた者も、茂君と同等の力を得ることができるそうだ。
けれど、血を与えられた者は、彼の言いなりの人形になってしまう。
彼の命令は絶対で、命も共にする。彼が死んだら滅びる。
そういう、人形。
その人形は、彼の血を定期的に口にしないと生きていけない。
与えなければ代替品を求めて、その衝動が暴走する。

それが、吸血鬼なんだそうだ。

だから、彼は吸血鬼じゃない。
でも、吸血鬼を生み出すことができる。
だから、始祖。


昔は彼以外にもたくさん、彼のような人がいたらしい。
けれど、最近になってその人たちは全てを捨てて、自分から消えて逝ってしまったそうだ。

永遠の命に耐え切れなくて。

そうして残された人形は、いなくなってしまった主人を求めて彷徨って、人間を襲いだした。

人形に血を吸われた者は、同じく人形になってしまう。

その力がうつるから。

それが、吸血鬼。





「僕にもおるよ。ついてきてくれる人形が」
少し悲しそうに、茂君は笑った。
「自分から、望んでくれてな。だから」
「・・・・・・・・本当は、嫌だった?」
その様子に、俺は思わずそう言った。
「嫌?」
「本当はその人を、人形にはしたくなかったのかな、と思って」
俺が言うと、茂君は黙ってしまった。
「あ、いや・・・・・思っただけで・・・・・」
「そうやなぁ。僕は、あいつには人間として生きて、死んでいって欲しかったよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「たまたま知り合って、1年、一緒に過ごしただけで、何で望んでくれたんやろうなぁ・・・・」


茂君は時々、こういう悲しそうな顔をする。
もうどうしようもなくて、でも何とかしたくて、動けなくて苦しくて。
そんな気持ちが伝わってくる。

茂君と話をするのは楽しい。
でも、こういう時は、少し寂しい。







































「シゲ」
声がした。
視線だけを動かして、その方を見た。
「ゴメン・・・・・・・・・・・シゲ・・・・・・・・限界」
辛そうなその様子に手を伸ばす。
「・・・・・・ええよ」
彼はその手を取って、腕に牙を立てた。
それを悲しそうな瞳で見ていたのには、誰も気付かない。






































「昌宏は、普段何しとるん?」
「俺?」
時々話の矛先は俺に向く。
「俺はここで、本読んだり、世話係のヤツと話したり」
「世話係?」
「そう。俺と同じくらいの歳でさ、目が細いんだよ。見えてるのかーって感じでさ!
 でもスッゲーいいやつなんだ。俺のこと大事にしてくれてるのよく判る」
俺の話を楽しそうに黙って聞いて、茂君は頷いてくれた。
「それは先視の生き残りだから、とかではなく?」
「そうだよ。小さい頃からずっと一緒にいたんだ」
「そっか」
俺の笑顔に茂君も笑った。

けれど、本当はそうじゃなかった。
きっとあいつは、完全にとは言わない。30%ぐらいだと信じたいと思うけれど、
多分半分は、俺が先視の最後の一人だから、大事にしてくれていることはわかってた。

「寂しいん?」
ふと、茂君が言った。
優しい笑顔で、俺の顔を見た。
何だか泣きそうになった。
「・・・・・・・・・・大事にしてくれてても、寂しいよなぁ」
ぽんぽんと俺の頭を軽く叩いて、笑った。













このままじゃいけないと思った。
だって、俺はもうすぐこの世界からいなくなってしまう。
それなのに、この人と一緒にいたいと思ってしまう俺は、我儘なんだろうか。













「もう来ないでって、どういうことやねん」
俺の言葉に、茂君はここに来るようになって初めて眉間にシワを寄せた。
「あんまり仲良くなると、辛いから」
「何でや」
「・・・・・・・・・・・・・俺ね。死ぬ日がもう決まってるんだよ」
それは母が死ぬ前に視た光景。
「俺はあと1週間しか生きられないの。・・・・・・・・・・先視が見た未来は絶対外れないから。
 特に人の生き死にに関しては絶対なんだ。全部が連鎖してるから、それだけを変えることは出来ないんだ」

この世界のことは全部繋がってる。
全部全部、歯車のように繋がってる。
先視が視れるのはその歯車のほんの一部。
視るだけ。
視る以外、何もできない。
どんな悲惨なことが起きるのが判っていても、先視は何もできない。
ただ視てるだけ。


「・・・・・・・・・・俺・・・・・こんな力なんて要らないよ・・・・・・・・。
 普通の生活をして、普通に友達作って、普通に生きていたかった・・・・・・・・・」


何もできずに一生を終えるなんて、そんなの辛過ぎる。






茂君もそうなの?



寂しいの?






「・・・・・・ここから出たいか?」
突然、茂君はそう言った。
「出たいか?」
真面目な目だった。
真剣な目だった。
「・・・・・・・・・・・出たい」
俺は答えた。
「ここから出たいよ!一人で死んでいくなんて嫌だ!」
俺の答えに茂君は笑った。
「・・・・・・・・・・・・今日は帰るわ。またな」
































「何考えてるの?」
吊り目の彼はため息をつきながら言った。
「別に。あの子の願いを叶えてやりたいだけや」
「最後の一人を連れてくるって、どういうことか解ってる?」
「わかっとるよ」
持っていたペンをくるくる回しながら、彼はじっと見据える。
「世界を敵に回す気?」
「そんなの構わん。それに、先視でなくなってしまえば、世界は必要とせぇへんやろ」
「・・・・・・・・・・山口君の二の舞になってもいいの?」
「それしか手はないねん」
意思を変えようとしない様子に、彼は再びため息をついた。
「仕方ないなぁ・・・・・・・・。何とか手を考えるよ」
「ありがとう、太一」
彼は、一緒に暮らし始めて、初めての心からの笑顔を、見た。







































この1週間、茂君は来なかった。
もっとも、来てもらっても何もできなかったと思う。

あの日以降、俺の体調は日に日に悪化していったから。


家柄、だそうだ。
世界は、先視の血筋を途絶えさせないために、他の血を入れようとしなかった。
俺の母親と父親は、兄弟だったらしい。

だから先視の一族は短命。

俺もそれに違うことなく、母親と同じ原因で、命を落とそうとしていた。


部屋には誰もいない。
世話係のヤツは来なかった。
きっと、他のやつらに止められたんだろう。
少し前にそいつの叫ぶ声が聞こえた以来、誰の声もしない。


俺はひとりで逝かなきゃならない。


部屋に響くのは俺の息遣いだけ。
死の気配が部屋の中を満たしてる。
息が、苦しい。

もうすぐ、時間だ。
あと、10分くらいだろうか。
人が集まりだした。

先視は死ぬ前に、それまでとは比べ物にならないものを見ることがあるらしい。
それを狙って来ているんだろう。
俺の母親もそうだった。
母親が視たのは、先視の血の断絶。

俺は、何を見るんだろう。



その時、勢いよく、窓が開いた。

人々が慌ててそちらを見る。
誰も窓には触れていなかったのだ。

開かれた窓から強い風が一陣入り込んできた。
カーテンが激しく巻き上がり、そして、黒い影が現れた。

「それが先視の最後の血筋か」

その影は言った。

「類稀なるその力、もう失われてしまうそうではないか。ならばその死にかけの身体、貴様ら人間には必要あるまい」

その身に纏った闇を翻して、1歩1歩、部屋の中に入ってくる。
集まった人々は得体の知れないその影に恐れ戦き、部屋の隅に逃れた。

「おいで、昌宏」

そこで気付いた。
その影は茂君だった。

「・・・・・・・・茂く・・・・・・・・・・・・」
「苦しいか?ごめんなぁ、待たせてもうて」
茂君は優しく微笑んて、俺の傍に来た。
「人形を僕から解放する方法を、僕の友人が見つけてくれてん。やから、心配ないで」
茂君は軽々と俺を抱き上げた。
「先視の最後の血筋、私が貰い受ける」
そう言って、茂君は、俺の首筋に咬み付いた。



瞬間。


俺は視た。









果てしなく広がる草原。
吹き抜ける風。
高い青空が全てを包んで、それはとても幸せな『世界』。

その中で、茂君と、まだ知らない誰かが手を差し出して待っている。

彼らの視線の先には、俺がいた。

先視でも、吸血鬼でもなんでもない、普通の人間の、俺。





首筋で、皮膚が破れる感覚。
微かに痛みを感じながら、俺の意識は少しずつ薄れていく。

それでも、俺は、自分が見た光景に、涙が溢れたのが判った。


先視は自分自身のことは視れない。


でも、今、視界に映った光景は、とても幸せなものだった。

それが、事実じゃなくても、俺の願望だったとしても、視れたことだけで幸せだった。




「少し眠って。次に目覚めた時には、本当に自由になれるから」

茂君の優しい笑顔が見えた。

恐怖と絶望を浮かべた人々の中に、悲しそうな顔の世話係が見えた。
けれど、すぐに、笑顔を浮かべてくれた。


ありがとう。


お前と一緒にいれて、俺は幸せだった。

でも、寂しかった。

俺とお前の間には壁があったんだ。

だから、俺は俺を理解してくれる人のもとへ行くよ。

先視の俺はもう、この世界からいなくなってしまうから、お前は自由だ。










そして俺も自由なんだ。













薄れていく意識の中、最期に見たのは、鮮やかな夜明け。


































「松岡!」
眼下に広がる世界を眺めていると、後ろから声がかかった。
「太一君」
そこにいたのは吊り目の錬金術師。
「山口君と長瀬が腹減らせて待ってるから、早く来いよ」
「わかったよ」
俺は笑いながら、2人の吸血鬼の姿を思い浮かべた。
「もうええの?」
さらに横手から声がかかる。
「茂君」
柔らかな髪を風に遊ばせながら、永遠の命を手に入れた賢者は微笑んだ。
「どうや?『世界』は?」
俺は茂君の顔を見て、太一君を見た。
その向こうに、山口君と長瀬が見える。
「最高だよ!!」
俺はそう笑って、2人のもとに走った。







もう未来は見えない。

永遠の命でも、すぐに消えてしまうような儚い存在でもない。



その代わり、俺は自由を手に入れたんだ。












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・・・・・・・・・・・なんか違う。
これ、吸血鬼ものじゃないですよね・・・・;
報われるように報われるように・・・と思っていたら、吸血鬼じゃないよ、これ・・・・。
ああ、でもこのリクエストもらった時に書きたいと思ってしまったんです。

橘 五月さま、すみません、趣味に走ってしまって・・・・・。
お気に召さなかったら書き直しますので、遠慮なくおっしゃってくださいね。
リクエスト、ありがとうございました!!

2006/08/07




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